傷口から血が流れている

その優しい温かさを感じる



いつもしっかり固めていたはずのガードをふと降ろしてしまったため、

あなたのよく研がれたナイフが私をかすってしまいました



あなたのよく研がれたナイフ・・・



あなたは今までどれだけ自分が傷ついてきたかを語りながら、

同時に人に向けるナイフを必死に研いでいることに気づいていたでしょうか



もう自分は傷つくことに耐えられないのだと言う度に

あなたのナイフはその鋭さを増していました



あなたは色々なものを恐れていました

その中でも最も自分が傷つくことを恐れていました

自分が人を傷つけることよりも


あなたは自分を守るために知らず知らずにとても鋭利なナイフを手にしていたこと

知らなかったでしょう



私にもそのナイフはよく見えませんでした

見えたとしたならば、それを下ろしてほしかった



私には私のナイフがあって、
それであなたを傷つけないよう気を配っていたことをわかってほしい

あなたは私のナイフにずっと怯えていましたね

私がそのナイフであなたを傷つける日が来るのではないかと



そうです
私もそう思っていました
私がいつかこのナイフであなたを傷つけることになるのだろうと
だから私は私なりに気を配っていたのです



あなたは私に傷つけられたのでしょうか

そうだとしたならばそれは全く意図していなかたったものです

私はあなたを傷つける気なんか全くなかった

ただ二人の新しい関係を模索して提案しただけだった

私にとってそれは希望に満ちた、未来の見える提案だった

でもあなたはそれが好きではなかったのですね



私たちの関係は言葉で成り立ちました
私たちは多くの、とても多くの言葉を交わしました
それも面と向かってではなく、書くことによってお互いを知りました


そして今、あなたは何の言葉も発さなくなりました

その行為は私を傷つけ続けています



時々あなたは死んだのかもしれないと思います
それ程までに、あなたが何の言葉も発さないということが私には信じられないし、
理解できないことなのです



ロジカルな答えを求めているとあなたが私に言った時、

あなたはすでに心を閉ざすことを決めていたでしょう



これがあなたのロジカルな答えだというならば、
私は受け入れるしかありません


あなたは私のナイフに怯えるあまり、私にナイフを向けました

それは意図していなかったことでしょう

でも、そうなのです


私はいつもそうやって人にナイフを向けてきました

だから分かるのです



私の傷は時間と共に癒えるでしょう
だからなにも心配しなくていい

でもあなたのナイフについた血は落ちないでしょう?

あなたはそれを見てまた傷つくことになるのです



私はあなたを少し可哀そうに思います
あんなに強くて勇気のあるあなたが、こんなに傷つくことに怯えているなんて
そしてこんな行動を選択するなんて


あなたはとても純粋な人です

あなたが自分の手にある血のついたナイフを見てひどく怯えているのを私は知っています



心配しないで
大丈夫だから



私はもう待ってはいない
あなたはあなたの道を歩けばいい
もうそれ以上ナイフを握るのはやめて、その手で顔を覆って大きな声で泣きなさい

誰もあなたを傷つけはしない

だから大きな声で泣きなさい



あなたが傷ついたことではなく、
あなたが傷つけた人達のために泣きなさい
























昨晩私の部屋にファンタズマが訪れた

私は眠っていたのだけれど、窓がガタッと開いた様な音がして目を覚ました瞬間、
何か小さな影がさっと床を走るのを見た

白いカーテンがふわっと揺れた

ネコか、ネズミだと思い起き上がろうとしたが起き上がれない


声も出ない
また眠りと現実との隙間の世界に入ってしまったと思った


声が出ない

するとふわりとした存在が私の頭の上方からやってきて
私の顔を横向けに覗き込んだ


その存在は薄い煙の様に白っぽい透けた色をしていてひょろ長く、足先はすっとすぼまって自然な曲線を描き折り返していた


あまりにも顔との距離が近いので恐怖を感じた
声がでない
胸がつまる


するとそれは私の顔を上から下までじっくり眺める様な動きをし、
そして私にキスをした

冷たくも温かくもなかった
でも唇の感触が生々しくあった


そして私の耳元で”M”で始まる何かの単語を言った
マ。。マユ。。ミ。。?


そして引きずるように私の頬をつたいすっといなくなった


なにもかもが立ち去った後に残された空間はとてつもなく黒かった
恐怖を感じてはいけない、とだけ思った
声が出ないし体も動かない
でも”恐怖”に自分を飲みこませてはいけない


これは怖いことではないのだ。。。
これは怖いことではないのだ。。。


間もなくして眠りが訪れ
気が付いたら朝だった
人の記憶なんてものは、簡単に薄れていくものだ
そうでもしないと日々入荷される膨大な情報を処理できないからだろうか
あるいは忘れられないと前に進めない様なことが人生には起こるからだろうか


なんて知能の高い、なんて自己防衛本能の強い生き物なのだろうと私は思う
都合の悪いことは忘れるようにできている
致命的な痛手を負いそうな香りがするものには近づかないようにできている

それを人は理性と言ってみたり、本能と言ってみたりする
それを判断するのは時には頭脳であり、時には心でもあるということだ



この場所であれ程私を縛りつけていた君の影と匂いはもうここにはない
それは私を大いに戸惑わせたものだった


去年の夏、何年かぶりにこの地に降り立った時
私はこの国すべての街角に君の影を見る様な思いがした
このくぐもった空気の匂い、砂煙、人々の声、石畳、そしてその喧騒が私に与える胸騒ぎ


私の中でまだ生きていた君が、ここの空気を呼吸し息を吹き返していくのがわかった
それはもう止めようがなかった
私は君のいた場所にまた足を踏み入れてしまったのだ
そして君はまだ私の中で生きていた

それは私を大いに戸惑わせた


狂ったように旧市街の人ごみをかき分けて君を探したあの時が昨日の様に蘇る


私にはそれをコントロールできる自信がないのだから、どうか息を吹き返さないでくれ
どうか、どうか、鮮やかに蘇らないで下さい・・・


そう願った通り、君に再び会うことはなく夏が終わった




あんなにも鮮明に蘇った君に、私は本当に戸惑った
しかし、今また私の中の君は徐々に薄れようとしている
私の中にも新しい物語が生を持ち、
それが驚くほど手際良く君を消し去っていくのを感じる


君の中に生きている私も、同じ様にどこかのタイミングで消されてしまうのだろう


新しいこと、新鮮なこと、初々しいことがもたらす大きなエネルギーが、
古傷を癒すと共に、大切だと信じてしまっておいた小さな箱の中まで浸食する

そしてその新しいこと、新鮮なこと、初々しいことが
必ずしもその箱の中身にとって代わる程大切なものかというと、
後になってみるとほとんどの場合そうでもないのだ


ただそのエネルギーがひと時大きいため、それらをかってに飲み込んでしまうというだけのこと

しかし、確実にそれらに消されていく君の影を感じながら、
私はなんて簡単に人を忘れていくのだろうと愕然となる
あんなにも大切だと思っていたものが、いとも簡単に消えていく


それは効果的なシミ抜きの様に
もう消えないと何年も諦めていたものを嘘の様に消し去ってしまう
そして太陽下、最終的にそれは完全に消滅する


私はまだ空気の中に、太陽が引きはがしたシミのチリとなった君の残像をみることができる
こうやって記憶は薄れ、人は人を忘れていくのだと
チラチラと太陽に照らされて光る君の断片を見ながら私は哀しい気持ちになる


私にとって、忘れられない位大切な人なんていないのではないだろうか


それが生き残るための頭脳であろうが、
前に進むためのボジティブな心の機能であろうが、
今の私の記憶は確実に例外なしに薄れていく


それを私はただ哀しいと思っている


忘れないことを糧に生きていく人もいることを知っている私は、
忘れることばかりを選び前に進んでいく自分を哀しいと思う


でも、
それも今だけのこと
結局大事なのは前に進むことだと私はまた明日にはそう思うだろう
それが生き残るための頭脳であろうが、
前に進むためのボジティブな心の機能であろうが構わない


ただ、今はそれを哀しいと思っている
だからそれを書くことで味わっているのだ