9月2日、突然、テレビのチャンネルの並びが滅茶苦茶になりました。
いつもよく見ていた151、152の映画チャンネルが映画チャンネルでなくなり、
あれ? と思い、最初から確かめたら、殆ど番号が変わっていました。
まあ、数年に一度、あるんですよ、こういうことが。
全部で180くらいチャンネルがあるので、また番号を覚えるのは大変です。
最初から最後までチャンネルを確かめていたところ、途中でハッとしました。
この、アメリカの大学で教えていらっしゃった老子の専門家の趙先生、
数年前に亡くなったんですよ。
私は毎日テレビ講座を見ている訳ですが、そこでも老子の講義をされました。
(中央テレビのではなく、上海のチャンネルの講座)
非常に分かり易く語ってくださったけど、分かったような分からないままのような。
分かったか分からないか分からない、それこそが、老子の道だ!
と、いっそ断定してしまおうかしら。
(どうやら老子はそんなこと語ってないようですが)
ええと、昨日の講座は『無為而無不為』ですか。
英訳するならどう訳すのが適切であるか。うーん。
全ての物事は自然に変化するので、何もせず、自然に任せればいいのだそうですが、
いつでも何もせずにいればいいという訳でもないのだそうです。
つまり、例えば、「風邪は自然に治癒するから放っておけばいい。
でも、症状が重ければ自然に任せても治らないから、ちゃんと治療しなければ」
というような意味合いだそうです。
そうだった、私、日本で『老子』を買ってきたんだった!
……ちょっと、どこに書かれてる? またゆっくり研究しようと思います。
昨日の講座では、この言葉の説明として松下幸之助さんの言葉が紹介されました。
「社員が100人の時は、社長は中心に立って皆と一緒に頑張ればいい。
社員が1000人の時は、社長は先頭に立って頑張ればいい。
社員が10000人になったら、社長室でただ、感謝していればいい」
……ちょっと元の言葉が分からないのですが、
先生が語ったのはこのような感じのお言葉でした。
とにかく、無為というのは、何もしないという意味ではないという説明でした。
昨日は数年前の再放送が見られて、本当によかったです。
趙先生、知的で非常に穏やかな先生でした。
現在のテレビ講座は、相変わらず、先生の顔を見た途端に寝てしまいます。
雍正帝の話なのですが。
どういう訳か、テレビ講座が終わった途端に目が覚めるのですよ。
先生の声が子守歌になっているのかしら。
次の講座は『紅楼夢の中の詩詞』だそうです。いつからなのかなあ?
次の講座が本当に楽しみです。