さて、初投稿から大分日が経ってしまったみたいですが、閲覧数は0だったようなので安心しました。こんなもの見られたらたまったもんじゃありません。なら投稿するな、なんて言わないでくださいね。やりたくてやっている事ですから。どうせだれも見ていないんでしょうけども。
今日の話題は引越しについてです。私は4月に仙台へ移住します。
引越しは初めてで、住む場所が変わるという事実を私はまだよく分かっていません。
先日、自室を片付けたのですが、18年間溜め込んできた物がゴミ収集所に高く積まれているのを見て、あぁ、もう戻って来れないんだなと少し大袈裟な事を考えてしまいました。
物理的には帰ろうと思えば帰ってこられるけれども、もう、ここで退屈で物足りない日々を過ごすことは絶対に手に入らないのです。
そんなことを考えて一人感傷に浸って残り少ない日々を過ごしています。
10も下の弟との距離のとり方や、最近仕事へ行かなくなった父親の言い負かし方、母親の面倒な話の聞き流し方、妹との軽口の叩き方、やっと分かってきました。
自分は小さい頃から本や歌、絵画などの他人の作りだした世界に浸ることが多く、普段から夢見がちなぼんやりとした挙動をしていました。家族や友人と過ごす時も、その世界の残滓を抱えたまま、どこか他人事のように眺めているような感覚でした。
高校に上がってからは、創作物を見る時間や気力も無くなり、現実と向き合って3年間を無事に過ごせたような気がします。
他人の世界に浸るのは悪い事では無いと思いますが、自分の世界が疎かになっていたのです。
誰かの世界の住人になりたくて、とにかく他の人とは少し違うことを念頭に置きながら生きています。それをアイデンティティーの渇望というのか、それともただのナルシストと呼ばれるのかは確かではありませんが、今までの人生でそれは概ね成功していたように思えます。
人と違う事、これは大衆に淘汰される対象にもなりかねません。
しかし幸いなことに、私は話したい事を話すだけの存在にうってつけだってようで、ひとりにされることなく、変わった子という認識だけが残りました。
人の話を聞くのは正直に言うとあまり好きではありません。大体が結論の出ているお悩み相談、有名人の功績を自分の功績のように重ね合わせ恍惚としている様、解決する事や対処する事など微塵も考えない愚痴など今までよく聞いていられたものです。
そんな私もこうして愚痴のような自分語りのような事をしていたりするので、結局お互い様というかブーメランというか…
それに、愚痴や悪口を語る時だけベラベラと話す自分が惨めです。
感情を剥き出しにすることはとても見苦しいものだと今までの人生で考えました。いい意味で隙のない人物になりたいものです。
余談ですが、先程ツイッターで不老不死が近いうちに実現するという旨の記事を見ました。私は老いに嫌悪を感じる未熟者なので、ずっとこの肉体年齢のままでいたい、つまりは朗報でした。私が老いに絶望的を感じ亡くなる前に是非とも実用化して頂きたいです。
また沢山書いてしまいました。今回は見ていてあまり面白くない話ばかりだったと思いますが、書いている中で記憶から色々な不都合な感情を消しているような感覚になったので、きっとすっきりしたんだと思います。この文章を書き連ねる行為というのは作られた世界から抜け出し、自分の世界を肯定、確定させるのに都合がいいことに気が付きました。私の人生の充実のために貢献してください。