この夏、雨に煙る房総の浜辺。水面の先に潜水艦がぽっかりと浮かんでいた。そのフレームには北朝鮮ミサイル、核開発という張りつめた臭気がたちこめていた。ある種の違和感に包み込まれた。なんだかんだいっても人間ってシンプルなのかも。未体験、非日常、突発的で想定外な事柄に見舞われると、本能的な感性に呪縛されてしまう。
 今回の唐突な衆議院解散の理由に北朝鮮政策が掲示された。そこに違和感があった。しかし、外交、安全保障の危機が社会問題となっている世情での選挙において政権党は負けない。そんな不文律が今回も実証された。未知なる不安や危機に対して大きな変化を抑制する人心。
それでも安倍一強政治に対する違和感は小選挙区、比例区それぞれの総票数をみれば、野党獲得票が与党票を凌ぐかたちとなって示されている。
 一方、想定外の唐突な解散がトリガーとなり、希望の党の誕生、小池都知事の党代表就任。そして民進党の自壊、排除の論理から立憲民主党の誕生。という即興劇の監督、脚本、主演はもちろん「時の人」小池都知事だった。しかし、あまりにも「時の利」に恵まれなかった。そして、違和感がつきまとう判断と場面が劇中に展開され続けた。
 3か月前、小池旋風による逆風都議選において安倍首相は「こんな人達に負けるわけにはいかない」と絶叫した。
 今回、新党の旗をたて政権交代を目論んだ小池都知事は「排除いたします」とカメラに向かいほくそ笑んだ。
 所詮は同じ穴の狢なのでは!と感性で受けとめられた瞬間に新党への希望は萎んだ。
 排除され、苦境に追い詰められたが、健気にそれを乗り越えようとする枝野さんの言動に対する違和感は少なかったと思う。同情心と相まって人心を少なからず引き寄せた。
 センシティブな社会に「違和感」は致命的な棘となる。