「教わること」と「学ぶこと」 | ドラッカーを学ぶ/埼玉のドラッカリアン和光良一

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ドラッカリアンとは、ドラッカーを理解、実践する事が大好きな人たちの総称です。チェンジリーダとは、ドラッカーによればイノベーションを行う者です。

今回から『経営者の条件』終章から引用します。

 

「第2の前提は成果を上げる能力は習得できるという

 ことだ。そこで本書はいかにして成果を上げる

 エグゼクティブになるかについて読者が自ら

 学びたくなるような順序でエグゼクティブの仕事の

 多様な側面を提示してきた。

 本書は教科書ではない。

 その理由の1つは成果を上げることは

 学ぶことはできるが教わることはできないからである。
 つまるところ成果を上げることは教科ではなく

 修練である」(『経営者の条件』終章p.218)

 

ドラッカーさんはこのように言われています。

 

教わることと学ぶことを
ドラッカーさんは明確に区別しています。

一般的には、教わることと学ぶことはあまり
区別されていないと思います。

しかし、ドラッカーさんはそれらを全く違うもの
として捉えています。
『断絶の時代』にも書かれていますが
教わることは理解に関わることです。
教師から知識や情報を受け取り
それを論理的に理解することです。

一方、学ぶことはできるようになることです。
実際にやってみて、反復練習して、
能力を習得することです。

例えば、自転車に乗ることは学ぶことです。
なぜ自転車が倒れないのか
物理的な原理を理解していなくても
自転車に乗れる人は自転車に乗れます。

それが学ぶことなのです。

この本は教科書ではありません。
つまり、教えるためのツールではないのです。
ということは理解するための本ではない。

 

だから『経営者の条件』は分かり難いんです。

多分、ドラッカーさんは理解させることを
目的として、この本を書いていないのだと
思います。

書き手にあまり理解させる気がないのだから
読んで分からない部分があって当然です。

私も分からない部分がたくさんあります。

では、ドラッカーさんはこの本で読者に
何を求めているのでしょうか。



きっと、それは音楽の楽譜のようにこの本を使う
ことなのではないかと私は思っています。

楽譜は一回読んだだけでは意味がありません。
何度も何度も目で見て、覚えて、指で弾く。
この本も同じです。

何度も何度も読んで、覚えて、実践する。

日常生活や会社の仕事で
ドラッカーさんが書いてあることをやってみる。

時間の記録を取ったり、貢献に焦点を合わせたり
強みに着目したり、大事なことに集中したり
意思決定を5つのステップで行ったりする。

そうすれば、成果を上げる能力が徐々に身に付きます。


この本は分かったからといって何の意味もありません。

この本はあくまでも成果を上げる能力を理解するための
本ではなく、習得するための本だからです。

 

音楽において、一つの曲の中に特徴的なメロディが

モチーフとして何度も繰り返し登場するように

 

『経営者の条件』をよく読むと、

「貢献」「強み」「集中」がモチーフとして繰り返し

繰り返し出てきます。

読者は、この本を繰り返し読むことで、自然に

「成果を上げる能力」を何度も反芻できるのです。

 

今回もYoutubeと連動してます。

ご視聴頂けると嬉しいです。