ドラッカーを学ぶ/埼玉のドラッカリアン和光良一

ドラッカーを学ぶ/埼玉のドラッカリアン和光良一

ドラッカリアンとは、ドラッカーを理解、実践する事が大好きな人たちの総称です。チェンジリーダとは、ドラッカーによればイノベーションを行う者です。

長いこと経営者としてブログを書いてきましたが

実は、今はサラリーマンをしています。

 

色々あったんですが、渦中にいる間は書きにくかったので

しばらくはブログもお休みでした。

 

別に秘密にしていたわけではありません。

フェースブックなどでは近況報告してましたし。

ただ、やっぱりリアルタイムで仕事のことを書くのは

気を使うのです。

 

このブログは、そういう意味では、肩の力を抜いて

書ける場所なので、今まで逆に書けませんでした。

 

実は、2024年の12月に工場が売却できました。

2004年1月に父が急逝してから引継いで20年経営してきた

本社工場です。

本社って言っても支店があるわけじゃなく

本社しかありません。

 

社員も全員そこにいて、製品もそこで製造し販売していた

唯一の拠点です。

なくなってしまえば仕事は続けられません。

 

しかし、工場を売却すれば借金は全額返済できます。

20年前に工場と一緒に引継いだ借金は、20年間かけて

三分の一は返済済でしたが、まだ三分の二が残っていました。

これまでと同じペースで返済できても後40年掛かる計算です。

その頃には僕は90歳になっています。

それを一気に返せるのです。

まあ、現実的には選択の余地はありませんでした。

 

買ってくれたのは隣の会社です。

土地・建物を居抜きで買ってくれました。

交渉の最初から「もし社員さんが仕事に困るなら相談に乗る」

とも言ってくれて、実際、希望者は全員採用してくれました。

 

22年前、社長になった時、僕が思っていたことは3つでした。

・親父が残した借金を返す

・親父が残した社員を守る

・親父が作った工場(まだ築6年でした)を活かす

 

今回の工場の売却で全てを綺麗に解決できました。

 

社員については、仕事は変わってしまったけれど、

希望者は殆ど同じロケーションで働けています。

20年経っているので、社長になったころの中堅は

みんな60過ぎていますから、

これを機に引退した人も多いみたいです。

むしろ、これまで会社のために

老骨に鞭打って働いてくれていた感じです。

守ってたつもりで、実はずっと守らてたんですね。

 

工場の建屋は、先日、外から見たら、キレイに塗装を直されて

今は最初から隣の会社の建物だったみたいな顔をしています。

私が経営している間は、20年間、金欠だったので、

外壁の塗り替えもきれいにはできませんでした。

内装もキレイに直されて

建物も今まで以上に活躍できそうです。

 

会社の仕事は、製品ごとに、いくつかの会社に

引継いで頂きました。

多少はご迷惑をおかけしたと思いますが、

お客様にも致命的なご迷惑はお掛けせずに済んだと

思っています。

 

2024年3月をもって会社は閉じました。

借金も全部返したし、倒産した訳ではないのですから

法人は残して、何か新しい事業を始めても良かった

のですが、止めました。

12月に社員と別れて工場も手放して、1月から3か月

自宅で一人で色々考えましたが

やっぱり、これで綺麗に終わった方が良いと思いました。

 

昭和23年に祖父が創業した歴史のある会社ですから

迷いが全くなかったかと言えばウソになると思いますが

今回の話が舞い込んできたときの、僕の正直な感想は

「ああ、これは祖父と父から許されたな」

というものでした。

二人ともとっくに亡くなってるので、本当のところは

分かりませんが、私には二人の

「良一、もういいよ」

という声が聞こえたような気がしました。

 

ですから、会社を廃業登記することに後ろめたさは

全く感じませんでした。

 

それから3か月くらいは主夫やってましたが

昨年7月からは、同業社の社長から声をかけて頂き

その方の下でサラリーマンをやっております。

 

まだ、53歳ですし

ドラッカー学会理事としての仕事もあるし

僕が世の中のお役に立てるのは、むしろこれから

という気がしています。

 

引続きよろしくお願いします。

 

下の絵は、AIに描いてもらった昇天する会社の絵