それほど生きたいとは思わない | ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

週末を迎えました。


先週途中からはじめたFXトレードは、700,000円スタートの乱高下して、今週は資産702,000円で終了しました。


下手くそトレード(どこかルールを破っているトレード)がまだ多く、それでも資産管理やリスク管理を最終で必ずやれている感はあるので、なんとか初期入金額を保っています。


まったくの初心者の頃は、おそらく一週間もトレードしていれば資産が500,000円くらいにはなっていたんじゃないかな?




さて、昔から私は生に対する欲望があまりなく、周りの人間を見て「そんなに熱くなれない…」と思うことが多く、冷めているっちゃ冷めている人間でした。


なんかそんな人間の私に対して「それはダメだよ」みたいな声が向けられました。当時の私は「相手には真摯に対応すること」というわけのわからない信念があったので、その言葉を真摯に受け止め「自分はダメなんだ…」と思うことの連続でした。


あとまぁ、複雑性PTSDとか解離性障害とかの自他の境界性が薄いってやつもあるかと思います。


ま〜何かと影響も受けやすく、社会生活は不安定なものになっていました。


フツーに発達障害もあるので、もうわけがわかりませんね。


そんな私の生存戦略は、擬態するということでした。そうしないと人間社会で生きていけないと思いました。


興味ないけど周りがやっているから自分もやる。周りが楽しんでいるから自分も楽しいフリをする。相手が悲しんでいるから自分も悲しい気持ちを共感する(ホントは悲しい気持ちを理解していない)。みたいな連続です。


こういったことの積み重ねで社会生活をしていったら、精神疾患まみれで社会からドロップアウトせざるを得なくなりました。


人間関係の最中にいるときは、自分の本心というものも分からないで生きていて、後々に気付く。


自分は自分の感情も認識できない「失感情症」もあるんでしょうけど、自分の感情もよくわからない。


ただ、落ち着いて考えてみると、そもそも自分は生まれつき、周りが思うほど『生に対して欲望がない』ということですね。


これは仕方ないんですよね、だってもともと興味ないものに興味持てっていわれても、強制されて持てるものでもないし。


40歳で社会からドロップアウトしてから「あ〜、俺はそんな生きたいと思わないんだな。地球人の営みには眺める分はいいけど、参加はしたくない。感情の渦に巻き込まれるのが苦痛。人間社会の権力争いや芸術に対して興味がわかない。」こういう気持ちが自分の中で認められることは嬉しかった。


それまで他人には言う必要のない本心でさえも自分に対してこんな考えをすることすら禁じてきたので、これが認められるってことは本当に嬉しかったんですよね。


昔から非難されまくりで、人間関係では自分が褒められる側に立たないと生きられないっていう強迫観念もあったくらいなので、他人からどう思われようが自分の内面で「興味ない」って認められること自体がとても嬉しい。


自分の感じるような(どこまで察知できてるかわからないけど)物事を挙げると、そりゃ周りと共有できるものがそもそもないのに、無理して社会生活をすることが苦痛すぎます。


働くってお金を稼ぐやら生活のためにというのもあるけど、周りと共有するっていうこともデカい要因かと。これが自分には上手く立ち振る舞えなくてストレスが大きすぎた。発達障害もあるためか、周りが当たり前にできるコミュニケーションもできないので、気付いたら邪魔者扱いされて職場にいられなくなるし。


これも脳のせいだから仕方ない。昔からコミュニケーションのノウハウ本とか心理学とか貪るように読んで克服しようとしましたが、そもそも脳の障害でそんな機能になってしまっていると判明したときには、受け入れるしかありません。


ま〜仕方ない。生に対して欲望すらない。人間社会の歴史は権力争いで発展してきましたが、興味ないものは興味ないんで…



「早死にしてもいいけど、老衰がいいな」


「眠り続ける人生で時間が経過して、死んでいけたらいいな」


「死にたくなったら、餓死する手段だといいかな。物を口に入れないで体から栄養やらエネルギーを抜いていって。そろそろか…と悟ったときには森林に移動して、自然豊かな環境に囲まれて横たわって死を待ちたい」


こういったことを考えられるのが、自分の中の素直な気持ちで嬉しい。




とりあえず生きていても大して生きていたいとは思わないし、生きることは暇だし、唯一日々トレードすることが私の中で「生きていて甲斐がある」と思わせてくれる対象物なので、ありがたいですね〜。



『今週のトレード総括』

トレードチャンスは相場が与えてくれるものであって、自分で無理して探すものではない。


手法はシンプルに。手法自体に正誤はない。自分の使用する手法の中から、その時々の環境によって最適なものを取捨選択していくことが肝要。


ルールは作ることは簡単なくせに、ルールを守ることが何倍も難しい。小さなルールほど守らなくてはいけない。一度でもルールを破ったりミスしたりすると、その罪悪感によって自制心崩壊が起こり、「どうにでもなれ効果」が発動してしまう。