私がこのプログラムを創ったわけ
2020年の今、以前にも増して地球の波動が、どんどん変化しています。
今までの修行の時代が終わり、これからは、あなたが望めば、愛と感謝とワクワクの中で成長できる時代がついにやってきます!
たくさんのステキな仲間とこの新しい地球を体験したくて、ハッピーライフチェンジプログラムを創り、2015年から口コミだけでセミナーやセッションを続けてきました。
思考の現実化が早まる中、一人ひとりの波動を軽くする必要性がますます高まってきているのを感じます。
私は長い間、目に見えないものに価値を感じず、目の前の見える世界がすべてだと思っていました。
そんな私が今、量子学や、ヒーリングを学び、このプログラムをみなさまにお伝えするようになったのは、ある大きな出来事がきっかけでした。
奇跡が起きた!
それは、当時15歳で、中学校の卒業式を終えたばかりの息子を通しての体験でした。
春休みに入った3月22日、息子は突然、10万人に一人しか症例のない、特定難病指定されているある病気にかかってしまったのです。
進行が早く、気づいた時には、手足が麻痺し、ろれつもおかしくなってきていました。すぐに大阪大学付属病院に紹介され、入院しました。
それまで信仰心もなく、現実しか信じてこなかった私でした。
でも、人は本当にどうしようもなくなると、自然に胸で手を合わせるのですね。
どこに向かって祈っているのかもわからないまま、ただただ無心に息子の回復を祈りました。
すると、どのくらい祈ったか覚えていませんが、突然目の前に、白い光の世界が広がっていたのです。
まぶしくはなく、穏やかで美しい光だけの世界でした。観えたのは数秒だったかもしれませんが、よく覚えていません。
そして、そこから私の意識が戻ってきたとき、それまで、苦しそうに目を閉じていた息子が、しっかり目をあけて、はっきりした言葉で言ったのです。
「お母さん・・・手、動く・・・。」
息子はその瞬間からびっくりするくらい早く症状の回復が始まりました。大学病院の先生たちもみな、首をかしげておられました。
当の本人は、みるみる元気になり、何事もなかったかのように、高校の入学式にも参加して、当日からサッカー部で元気にボールをけっていました。
難病を発症し、大学病院に入院、そして、奇跡の回復から高校入学、この間2週間ほど。あまりにも短期間でいろんなことがあって、無我夢中でした。
そして、息子がサッカー部の練習初日を終え、汚れたサッカーのソックスを洗ってあげている時、やっと、本当に息子はあの難病から治ったのだと、嬉しさと、安どと、感謝の気持ちがこみあげてきて涙があふれてきました。
でも、一方で、頭の中が、???でいっぱいになってきました。
「願いを叶えてくれた白い世界はどこにあるんだろう」
「この宇宙のどこかに、自分の願いを叶えてくれる場所があるんだ!だって私見たもん」
「そこに意識的に行くことができれば、私は魔法使いになれるやん」
と、時間が経つほどワクワクしてきました。私がスピリチュアル関係のいろんな勉強を始めたのは、このことがきっかけです。
そこからまた、このプログラムができあがることになる、大きな奇跡を体験することになるのです。
長くなりましたので、この続きは次に書きますね


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