パレスチナ難民の鍵

シナモンロールパン
若手中心のバスケット日本代表強化試合対オランダ戦は、前半戦リードも後半戦に逆転負けでした。ラグビー対ウェールズ戦は、日本代表が12年ぶりに勝利しました
1948年にイスラエル建国により、その地に住んでいたパレスチナ人は、その後レバノンや中東の国で、難民生活を始めるのです😧しかし多くのパレスチナ人は、数ヶ月で戻れるのだと思って、家や倉庫等の鍵を締めて難民となったのです。それから77年が経ちましたが、既に第一世代は亡くなられています😮そして第二世代と第三世代以後の人がレバノンや、中東諸国に住んでいるのです。イスラエル建国の時に、もう少し議論されていたら、今のような悲劇は続かなかったと思います🙂パレスチナ人はクルド人と似ていて国を持たず、各国を渡りながら酪農を行っていたのです。近隣国との間では、パレスチナ人の土地は、認識されていたのですが、先進国はアフリカや中東を勝手に線引きをしてしまったのです😧そしてアメリカの後押しを受けたイスラエルが、パレスチナ人の住む場所に、建国をしてしまったのです。イスラエルの言い分では、2千年前にそこにイスラエル人が住んでいたという事でした😮今の考えでは通用しないと思います。更にパレスチナの住む土地は、先進国に線引されていなかったのです。クルド人と同じく国を持たない民族とされたのです🙂先進国の線引がいかにいい加減だったのかは、その後線引された国境線をめぐり、多くの国が揉めたり紛争の元になりました。先進国にはイスラエルとパレスチナを和解させる、大きな責任があると思います😧