大阪府枚方市牧野にある片埜神社

 

👆 拝殿 👇

 

👆 本殿説明     👇 本殿(外削ぎ・鰹木4本)

👇 御祭神 👇

 

境内の東側にある門から出ると、北東側に隣接した公園があります。

 

【牧野公園】

公園内にあった説明ボードの一部を、以下に取り込んでおきました。

公園の中央に、こんもりとした塚があります。

ここは、「阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)が処刑された」と伝わっている場所。

  《参照》 『火怨(下)』高橋克彦(講談社)《3/3》

         【斬首】

塚石の裏面には、以下のように書かれていました。

 

 延暦21年(802年)秋8月13日、蝦夷の首長アテルイとモレの二人は、征夷大将軍坂上田村麻呂らの助命嘆願もむなしく、「野生獣心反覆無定」として河内国で処刑された。

 肥沃な蝦夷地日高見國の征服は古くからの朝廷の悲願であったか、延暦8年には5万余の大軍が北上川河畔でアテルイの軍に大敗する有様であった。

 郷土史の先覚者たちにより両名最期の地と目され、また首塚の伝えをもつ当地に、1205年の時を隔て多くの賛同者の浄財により塚を建立する

 

   記 関西外国語大学教授   瀬川芳則

   塚の表記は京都、清水寺貫主 森 清範 による。

   平成19年3月4日建立

   伝 阿弖流為・母礼之塚建立実行員会

 

「阿弖流為と母礼の塚」に関して、片野神社の社務所で聞いたところ、いくつもの言い伝えがあることを教えていただきました。その中で、最も慰めになったのは、「ここは都(平安京)の裏鬼門(南西方向)にあたるので、“蘇りの方向” として選ばれたのではないか。坂上田村麻呂の配慮かもしれません」という説明でした。

片埜神社の鬼面の説明には、「大阪城鬼門(北東方向)鎮護の社として尊崇された」ことが書かれています。「より強い鬼を以て外より来る鬼を制す」というのは、最強の鬼と恐れられていた蝦夷(阿弖流為と母礼)の強さを、鬼門鎮護に用いたということでしょうか。

 

 

<了>

 

 

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