朝廷によって翻弄され続けた蝦夷(えみし)たちの22年間にわたる戦の物語。(上・下)2巻で千頁を超える長編小説だけれど、僅か2日で読み終え、何度も慟哭してしまった。20年以上前に出された本書を、2024年の今になって読むことになった理由が分かったような気がする。新生日本の復活は、“弥生から縄文への回帰” と認識している人々は多いはずだけれど、別な言い方をするならそれは “天系から地系へ戻す” ことに相当するはず。本書は、地系の民である蝦夷たちの無念が認められた書籍である。

 阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)が住んでいた胆沢や東和という蝦夷の拠点地域は 、現在の岩手県奥州市(旧・水沢市)から花巻市にかけての一帯。2002年10月初版。

 

 

【大和朝廷と蝦夷】

 陸(みち)の奥に暮らす蝦夷と蔑まれ、それゆえに朝廷の興味から遠ざけられ、陸奥(みちのく)の民がのどかに過ごしていられた時代はいったいいつ頃までのことだったろうか。(p.7)

 本書は、このような書き出しで始まっている。

 本格的な朝廷の陸奥支配は724年、多賀城(仙台市の北東側に隣接する多賀城市の中心)を築城したことに始まるが、それは陸奥の支配が目的というより、朝廷の統括域と蝦夷の居留地を明確にする程度のものだったと書かれている。

 だが、その先に蝦夷の運命を一変させる思いがけない出来事が持ち上がった。(p.8)

 749年に、多賀城にほど近い小田郡(宮城県の北東部)から大量の金が算出し、朝廷はこれに狂喜した。このとき朝廷は東大寺の大仏造立に着手していたからである。

 その時世を代表する歌人である大伴家持も黄金の産出に感涙し、

  すめろぎの御代栄えんと東路の

    陸奥山に黄金花咲く

 と詠んで天皇の威光を褒めたたえた。

 辺境と見捨てられ、なに一つ価値を見出されていなかった陸奥が、このときから朝廷にとって宝の国となる。黄金があればいくらでも仏を造り、寺を建立することができる。仏の浄土を現世に構築できるのだ。時代は仏教の教義による末世に入っていた。極楽に迎えられるためには仏への帰依を明確にしなければならない。天皇一人でなく公家たちも争って黄金を求めはじめた。

 多賀城に精鋭が送り込まれる。・・・(中略)・・・。小田郡を完全に制圧しようと桃生城が新たに築かれる。朝廷には蝦夷と共存する意思はない。力でもって陸奥を奪い取る方針を定めたのだ。

 しかし、蝦夷は抵抗に転じない。

 これにはいくつかの理由があった。

 小田郡はもともと朝廷との境界線の向こう側にある。その上、黄金は蝦夷にとって少しも必要がないものだ。蝦夷はアラハバキ神の信仰を持ち、仏教とは無縁なのである。したがって黄金を用いて仏像を造る者などいない。朝廷がいくら採掘しようと痛手ではない。(p.8-9)

 とはいえ、簒奪を目的とする朝廷は、蝦夷を持って蝦夷を制するという侮蔑的な策を弄するようになり、蝦夷の中に朝廷側の傀儡となる者もあらわれ、このような者たちが、朝廷と蝦夷の溝を深めてゆくことになってしまう。

 蝦夷と朝廷の間の抗争は、この時から、およそ22年に及んだ。

 

 

【蝦夷と物部】

「蝦夷と物部が背後で手を組んでいると朝廷に悟られぬようにしているのだ。それが知れればただでは済まぬ。物部がひっそりと陸奥に隠れ住んでいると信じておるゆえ朝廷も見逃しておるのだ。むしろ物部の配慮と言うものであろう。でなければもっと前に蝦夷も物部も滅ぼされている」

「ずいぶん物部の肩を持つ」

 阿弖流為は母礼を見詰めた。

「物部ほどの力と財力があれば蝦夷の上に立つことなど簡単にできたはず。それをせずに物部は蝦夷と共存の道を歩んで来た。この東和の里とて、蝦夷のなるべくおらぬ土地を探して切り拓いたもの。都から追われた一族と言うても、都の者らとは違う。蝦夷を大事と考えてくれている。それに・・・詳しくは知らぬが、もともとは我ら蝦夷と同族と耳にしている。黒石の巫女が教えてくれた」

「本当か?」

「だからこそ同族の暮らす陸奥を頼って来たのだ。かつては出雲が我ら蝦夷と物部の祖先の暮らす土地であったらしい。それを、海を渡って来た朝廷の者らの祖先が奪い取った。我ら蝦夷は北へと逃れたが、物部はなんとかとどまって朝廷に従う身となったのだ」

「我らと物部が同族・・・」

「祀る神とて同一ではないか。ともにアラハバキの神を信仰している」

「それを今の物部は承知か?」

「むろんだ。会うたら真っ先にそれを質してみるがいい。物部は断じて我らの敵と違う」(p.98-99)

  《参照》  『火怨(下)』高橋克彦(講談社)《1/3》

          【斐本】

          【蝦夷―物部―朝廷】

 

 

【山と空のために・・・】

 阿弖流為はじっと猛比古を見つめた。

「・・・(中略)・・・。敵はほとんどが無理に徴集された兵ばかりで志など持ってはおらぬ。我ら蝦夷とは違う。我らは皆、親と子や美しい山や空のために戦っている」

「山と空のために・・・」

 猛比古は胸を衝かれた様子で繰り返した。

「敵にも親や子がある。それを思えば戦で死にたくはなかろう。だが、我々は我々を育ててくれた山や空を守るためであるなら喜んで死ねる。山や空とて、きっと我らに味方をしてくれよう」

 聞いていた猛比古の目に涙が溢れた。

「山や空のために・・・か」

 母礼も大きく頷いた。

「この男、ときどき神懸かりのようになって思い掛けぬことを言う。山や空のために死ぬとは心地好い。本当にそうかも知れぬ」(p.261)

 そう、自然と共に生きていた蝦夷たちは、ただただ自分たちの生活を守ろうとしているだけ。

 だのに、戦わねばならない・・・。

 

 

【坂上苅田麻呂】

 天鈴は物部、八十嶋・阿久斗・伊佐西古は蝦夷のリーダーたち。

「坂上苅田麻呂・・・聞き覚えがある」

 八十嶋は言って小首を傾げた。

「およそ二十年ばかり前に、わずか半年ほどであったが鎮守将軍として多賀城に赴任したことがござった」

 天鈴が返すと八十嶋は了解した。その隣に座っていた阿久斗も首を大きく動かした。

「何代も続いた武門の家系。・・・(中略)・・・。あの苅田麻呂が九年も陸奥に居てくれれば今の戦はなかったはず。蝦夷を対等な者と見てくれていた。それゆえ内裏の者らは苅田麻呂をわざと陸奥より引き離した」

 いかにも、と八十嶋はすっかり思い出した顔で笑いを見せた。

「そうか。あのお人は亡くなられたか」

 阿久斗は小さな吐息をした。(p.422)

 

 

【阿弖流為と坂上田村麻呂】

 阿久斗と阿弖流為は親子。

「会ったことがありまするか」

 阿弖流為は阿久斗に尋ねた。

「あの頃は多賀城と行き来があっての。赴任のたびごとに長らが挨拶に出向かねばならなかった。よく覚えておる。そなたも連れて出掛けた。そなたが鮮麻呂どのと顔を合わせたのもそのときのことであったと思うたが」

 逆に阿久斗が阿弖流為に質した。阿弖流為が多賀城に父親と出掛けたのは二度しかない。だから阿弖流為もよく記憶している。

「では、・・・お子を従えて参られたお人か」

 そうだ、という阿久斗の頷きに阿弖流為の頬が緩んだ。鎮守将軍とは会っていないが、その子供の印象は今もはっきりとある。鮮麻呂が多賀城から阿弖流為らの居る館までわざわざ遊び相手にと連れて来たのである。七、八歳だった阿弖流為にとって十二、三のその子供はひどく大人びて凛々しく映った。

「なるほど、田村麻呂を知っているか」

「あのお人は今どうしておられます?」

「田村麻呂か。確か近衛少将のままだと思うが」

「このたびの戦には?」

「加わってはおるまい。近衛少将は天皇の警護の要。それが我らにとっては幸いであるの」

 天鈴は苦笑いしつつ応じた。

「その者も切れ者にござるか?」

 伊佐西古が膝を進めた。

「父親の苅田麻呂より武人としての器量は上かもしれぬ。あの者とは戦をしたくないの。父親に似て立身の欲がない。内裏には珍しい男だ。それゆえ恐ろしい」

 天鈴は口をつぐんで目を瞑った。

〈坂之上田村麻呂・・・〉

 阿弖流為はその名を胸の裡で繰り返した。それほどの武者であるなら、戦が長引けばいつか必ず目の前に現れる。敵であるはずなのに阿弖流為はなぜか高鳴りを感じていた。(p.423-424)

 

 

【・・・それに対して我らは戦っている。】

 戦場で出くわした、蝦夷の飛良手(ひらて)と朝廷軍の丈部善理(はせつかべのよしまさ)

「そなたはなんでこの戦に加わった」

 飛良手は質した。

「お帝(かみ)の詔。それ以外に理由などない!」

 叫んで丈部善理は踏み込んだ。・・・(中略)・・・。

「生まれがどこか知らぬが・・・(中略)・・・その故郷を攻めよと命じられても、詔とあれば従うのか?」

「なんのことだ」

「死に花を咲かすなど・・・武者であるのを自慢しておるらしいが、結局は心を持たぬ道具でしかあるまい。我らはこの戦に進んで命を懸けている。罪もない女や子供を守るためだ。緑の大地を守るためだ。なのにそなたは命じられて戦に加わっただけと言う。命じられれば親も子も惑わずに斬れるのだな」

「・・・・・」

「それが武者なら俺にも遠慮がない。恨みも持たずに人を斬れるのが武者。俺とは違う」

「この戦はうぬらがはじめたものぞ。・・・(中略)・・・。うぬらが伊治城で按察使(あぜち)を殺めたのがはじまりであろうに!」

「獣に等しいき扱いをされてはだれでも歯向かう。俺の母や姉も朝廷軍によって殺された。この戦となる前のことだ。・・・(中略)・・・。はじめたのではない。はじめさせられたのだ。そなたはなにも知るまい。・・・(中略)・・・。朝廷軍は蝦夷を人と思っておるまい。それに対して我らは戦っている。何も求めておらぬ。人として扱うなら従いもしよう」

「戦場でそれを言うたとて・・・遅い」

「武者として死ぬのが嬉しいか!」

 飛良手は丈部善理の刀を躱(かわ)して一閃させた。二人は間近ですれ違った。

「わざと死を選んだな」

 振り向かずに飛良手は口にした。どさっと倒れる丈部善理の音がした。骨を割った嫌な手応えが飛良手に残っている。飛良手は胸の裡で祈りを捧げていた。(p.480-483)

 丈部善理は、坂之上田村麻呂の配下として近衛府に出仕していた武者だった。

 

 

《下巻》