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 最近、小説を読んでいないと思いつつ、古書店でめっけた本。 『ホロン革命』の著者として有名なアーサーケストラー が序文を書いていたので、「おやっ」と思い読む気になった。ナチス時代のドイツの小説。小説の主題より、高校生の頃読んでいたヘッセの小説を思い出させる内容に惹き込まれてしまった。2002年10月初版。

 

 

【転校生】
 彼は、1932年1月、私の人生にはいってきて、それから一度も立ち去ることはなかった。(p.9)
 この小説の主人公は二人の少年。
 一人の少年がギムナジウム(日本で言えば小学校高学年から中学と高校にまたがる9年制の学校)に転校してきたところから物語は始まる。
 私達は、まるで幽霊でも見るように、彼をじっと見つめていた。自信に満ちた身のこなし、貴族的な雰囲気、わずかな侮蔑を微妙にたたえたほほえみ。だがなにより私に衝撃を与えたのは、いやたぶん私たち全員に衝撃をあたえたのは、彼の優雅さだった。(p.12)
 こういう文章を読むと、読んだことがある人なら誰だってヘルマン・ヘッセの小説を思い出すだろう。ドイツ人の家柄に関する意識は日本人の比ではない。階級社会である欧米の子どもたちは、子ども同士でもこの点にたいそう敏感に反応するらしい。
「きみの苗字と名前を言ってくださらんか。生年月日と生まれた場所もね」
 少年は立ちあがった。「グラーフ・フォン・ホーエンフェルス、名前はコンラディン。1916年1月19日、ヴュルテンベルク州、ホーエンフェルス城館で生まれました」。そして、着席した。(p.14)
 フォンは、伯爵の家柄であることを示している。大統領でさえ頭を垂れるような階級。

 

 

【少年の心理】
 初めて出会って3日後。
 それからぎこちなく、まだためらっているような動作で私のふるえる手を握ると、「やあ元気、ハンス!」と言った。そして突然、私にはわかったのだ、うれいしいことに、ほっとしたことに、そして驚いたことに、彼もまた私同様に、臆病で、私と同じように友人を求めているのだということが。
 その日コンラディンが私に何を言ったか、私が彼に何を言ったか、たいして覚えていない。わかっているのは、ただ、ふたりがまるでおどおどと気おくれしている若い恋びと同士のように、あちらこちら行ったり来たりして歩きまわったということだけだ。(p.36)
 こういう記述も、ヘッセの小説を強く思い出させる。主人公の名前「ハンス」は、『車輪の下』の主人公ハンス・ギーベンラートと同じだし、このような少年の出会いの様子は『知と愛』のナルチスとゴルトムントの出会いの場面にもあったような気がする。
 ヘッセの小説を思い出していたのも、故ないことではなかった。

 

 

【シュワーベン地方の都市、シュトゥットガルト】
 道路には、ジュワーベン地方の人びとに自分たちの豊かな遺産を思い出させる、ヘルダーリン、シラー、メーリケ、ウーラント、ヴィーラント、ヘーゲル、シェリング、ダヴィッド・フリードリッヒ・シュトラウス、ヘッセといった文人や哲学者たちの名前がついていて、ヴュルテンベルク州を離れては生はほとんど生きるに価せず、どんなバイエルン人もザクセン人も、ましてやプロイセン人などはいうまでもなく、自分たちの足元にも及ばないのだという内なる確信をさらに証明しているのだった。そして彼らの誇りは根も葉もないというわけではなかった。人口50万たらずのこの都市では、マンチェスターやバーミンガム、ボルドーやトゥールーズよりも、よほど多くのオペラ公演があり、よりすぐれた劇場、より美しい美術館、より豊かな蒐集、総じて満たされた生活があった。ここは、たとえ王様の住むところではなくても、ずっといつでも一種の首都だった。繁栄している小さな都市や、「無憂(サン・スーシ)」とか「我が憩い(モン・ルポ)」といった名前を持つ城館に囲まれた首都だったのだ。そしてほど遠からぬところに、ホーエンシュタウフェン、テック山、ホーエンツォルレン、《黒い森》、ボーデン湖、マウルブロンやボイロンの修道院、ツヴィーファルテン、ネーレスハイム、ビルナウなどのバロック教会があった。(p.59-60)
 これらの固有名詞の半分以上が、ヘッセの小説の中に出てきただろう。
 場所はドイツの南部、フランスとスイスとの国境に接する地方である。

 

 

【友情】
 二人の少年は、仲良くなって互いの家にも遊びに行くようになっていた。ところが、コンラディンがハンスを家に招くのは必ず両親がいない時だった。その理由を、家柄の違いだろうと思っていたハンスは、「憐みの対象になるよりは孤独を選ぶ」と叫んでしまった。その時、コンラディンはハンスの言葉を遮って言った。
 「ぼくがきみを憐れむなんて! どうしてそんなことができる? ・・・中略・・・。ぼくだって孤独だったし、きみを失えば、信頼できるたった一人の友人を失うことになるんだ。きみを恥じているだって? どうしてそんなことが? 学校のみんながぼくたちの友情を知らないというのかい? ふたりで一緒にあちこち旅行したじゃないか? ・・・中略・・・。それなのに、きみときたら!」 (p.93-94)
 コンラディンがハンスを両親に会わせなかったのは、ポーランドの王族出身の母親が大のユダヤ人嫌いだったから。ユダヤ人迫害の時代だったがゆえに、コンラディンはハンスを守っていたのである。

 

 

【結末】
 その後の物語では、ハンスは命を守るために両親の指示によって渡米したことになっている。
 そして20年後、2人の少年が通っていたキムナジウムから、ハンスのもとに、第二次大戦で死んだ生徒たちの思い出のために記念碑を建立するという主旨で、薄い名簿の小冊子が届いた。
 勇気をふるいおこし、ふるえながら、Hの頭文字のところを開く。そして読んだ。
「フォン・ホーエンフェルス、コンラディン。・・・中略・・・」 (p.127)
 これからこの本を読むかもしれない人のために、結末は・・・中略・・・にしておいた。

 

 

【訳者あとがき】
 少年たちの友情物語を、しだいに暗さをましてゆく時代の雰囲気という奥行きとともに浮かびあがらせた「小説」なのであう。だからこそ、とくにいまの若い人達に読んでほしい。(p.137)
 活字が好きじゃない若者でも、わずか130頁ほどの小説だからすぐに完読できる。
 ついでに、読んでいないなら、ヘルマン・ヘッセの小説も・・・。

 

 

                    <了>