《前編》 より
 

 

【チーター】
 昆虫は主に複眼をもっているけれど、これとは別に、額に単眼(第三の眼みたいなやつ)をもった個体がいるという。
 これらの単眼をもつワーカー(単眼型)は、通常のワーカーとは遺伝的に異なる系統であり、社会システムに寄生する利己的な裏切り者であることがわかってきました。(p.115)
 生物学上、こうしたコロニー内の裏切り者は、英語の「だます(cheat)」の意から「チーター」と呼ばれます。彼ら単眼型は通常型の労働にただ乗りし、自分たちの卵を育てさせるだけのフリーライダーのチーターだったのです。
 このようなチーターは社会があればどこにでも現れます。(p.116)
 “チーター”は、反応閾値が低い“働かないアリ”ではない。寄生する裏切り者だから反応閾値はゼロである。
 であるから、チーター(単眼型)が多く寄生したコロニーは当然死滅する。
 チーターと通常型の増殖率の差からいえば、チーターが侵入したコロニーは2~3年で滅びてしまうでしょう。つまり、数年でチーターは滅びてしまうと予想されます。(p.120)
 寄生母体(コロニー)が滅びるのだから、寄生者(チーター)だって滅びるはず。ところが、チーターは滅びない。次々とコロニーを乗り換えて行くからである。
 いうなれば局所的な絶滅と再生が繰り返されることで、バランスが保たれるのです。(p.121)
 ズル~~ガシコ~~イ奴ら。

 

 

【チーター存在下のバランスを、国際経済に当てはめると】
 経済のグローバリズムは地域ごとに分かれていた経済圏を世界に拡大してしまうので、利己的なチーターの局所的な絶滅と利他者の再興で平衡が保たれるような機構が働かなくなります。(p.168)
 チーターがいても国内経済だけで動いているなら国内での局所的な絶滅と再生が繰り返されることで平衡を保つことができた。しかし、その範囲が世界になってしまえば局所的な絶滅が、特定の地域ではなく特定の国になってしまう可能性があるということをいっている。
 このようなことは、何もチーターの存在を仮定せずともいえることだけれど、ヘッジファンドをチーターに当て嵌めているらしい。生物学的なチーターははるか昔から定率で存在していたんだろうけど、ヘッジファンドは近代になって猛烈に増殖してきたシステムである。ヘッジファンドが永続するためにチーターから学べというのなら、「その凶暴率を低く一定に保て」ということか。

 

 

【皆殺しのルール】
 白蟻の異なる2つのコロニーを混ぜると、融合する場合と片方が皆殺しに合う場合があると言う。
 融合するのは、相手あるいは双方に将来繁殖虫になるように運命付けられた幼虫(ニンフといいます。跡継ぎと考えていいでしょう)がいない場合のみで、ニンフがいる場合には必ず片方が皆殺しになるというルールがあったのです。(p.126)
 野蛮人。じゃなかった、野蛮蟻。

 

 

【遺伝子、混合せず】
 コカミアリとウメマツアリ両方でオスはオス同士、メスはメス同士で遺伝的に分化した別種の集団になっていることがわかっています。つまり、雌雄は同じ母親から生まれ、交尾もし、ワーカーも両者の遺伝子の混合物としてつくるのに、オスとメス自体は遺伝的に完全な「別種」となっているのです。正直、この10年間の生物界で発見されたなかでいちばん驚いた現象です。(p.138)
 !!!!・・・???
 残念ながら、その理由がどのようなものかはまだわかっていません。(p.138)

 

 

【「適者生存」の定義と検証】
 実はこの「適者」というのがくせ者です。ダーウィンの理論には、「何に対して適しているものが適者なのか」という定義がなされておらず、したがってどんな性質が進化してくるのかもこの論理だけでは決められないのです。そこで進化論を支持する学者たちは「世代が重ならず(親と子の世代が共存しない)、世代間で個体数が変化せず、内部での交配は完全にランダムである」というきわめてシンプルな「定常個体群」という集団を想定し、そこで個体の適応度が異なると、適応度の高いものが最終的に残ることを計算によって示しました。それで現実の生物もすべて説明しようと考えたのです。つまり、現在のほとんどの進化論は、理想的な個体群においてのみ成立する考え方でしかないのです。(p.177)
 自然を相手にした学問なんてこんなもんだろう。理想状態を仮定しなければとてもじゃないけどやりきれないのである。そこに名誉欲たっぷりのルイセンコ学者が絡めば、定説や権威者の理論に迎合するような結果ばかり報告するのである。
 チャンちゃんも理想状態を仮定した学問のバカバカしさに馴染めない経験をしていた。分野はまるで違うけれど、土質力学などというものは、理想的な一様な土質を想定して理論値を算出するけれど、実際の土壌にそんな理想状態に当てはまるようなところは殆どない。実際のところは理想状態を仮定した空論みたいなものなのである。しかし、その分野の人々は、そんなことは分かっていながら建前を崩すわけにはゆかず、そうかといって地盤が崩れてはこまるから、実際の施工に関して地盤の支持力を理論値の3分の1にする、などというトテツモナク大雑把な決めごとをしているのである。
 笹子トンネルの天井板崩落だって、あんなに重たいものを天井にT字型ではなく単なるI字型ボルトを埋め込んだだけで釣っていたのである。素人が考えたって普通におかしいと思うことを、学者は平然とするのである。学者や学問の成果をすべて盲信するなんて、とてもじゃないけどムリである。というより馬鹿げている。

 

 

【適応基準を多様化して考える】
 働かない働きアリのいる短期的効率の低いコロニーのほうが長期的な存続可能性が高いことなどは、一見、「適応度の高いものが進化する」という単純な進化の法則に反する事例です。これらの事例は最後に残るものが進化する、という意味では既存の理論に反してはいませんが、時間、空間の広がりの中で肝心の適応度のカウントをどのレベルまで行うべきなのか、という点で、いままでの考え方とは異なる新しい考え方を導入しています。そのような考え方のほうが生物現象のある面をうまく説明するのです。こうした考え方に基づく生物理解は、いうまでもなく説明できなかった様々なことが説明できる観点として、今後もっと一般的になっていくと思われます。(p.182)
 理想状態を仮定した大雑把論や、基準が明確でない大雑把論はもういいのである。個々の事例に応じた現象の中にそれぞれの真実を見出すことのほうがはるかに重要だろう。

 

 

 

 

<了>