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 最近この読書記録のブログに書き出した内容とリンクすることを中心に書き出しておいた。タイトルに関わる本来の主旨を読みたい方は、御自分で購入して読んでください。
 再3読。この愛蔵版は92年初版だけれど、大元の版は25年くらい前(1986年頃)に出ている。

 

 

【 「一念の自己管理」 と 「八正道」 】
 「一念の自己管理」 は口で言うほどやさしくはない。・・・(中略)・・・。とかく、人間の念とは環境と五感に大きく左右されるのである。・・・(中略)・・・。
 そこで、釈尊は、出家して成道せんとするお弟子に対して、「八正道」 を盛んにすすめたのである。(p.21)
 出家だからいいものの、在家だったら釈尊のいた当時であって 「八正道」 もやり遂げるのは難しかった。
 これを、情報と刺激に満ちた現代の人達が真に実行することは不可能である。(p.22)
 「八正道」 の概要はいろんな著作で言及されているから、すっかり在家修行者用の方法だと思い込んでいたけれど、今になって 「八正道」 は出家者用の修行方法だったことを改めて認識した次第。

 

 

【「八正道」 より 「神ながらの道」 : 仏教と神道】
 「八正道」 は、一部を除き、日本の若者をだめにする。これが私の結論である。「大和魂」 をふるい立たせ、少々の悪など意に介せず、大善を目指して己を磨き、社会に立ち向かって行くという勇気が消えうせてしまうからだ。もしも自分が小悪に染まってしまったとしたら、「みそぎ祓い」 をして、ますます大善を行うべく勇気と根性を輝かせよ、というのが 「神ながらの道」 の教えである。(p.23)
 「神ながらの道」 は大善のためには小悪をしてしまっても、みそぎ祓えば良し、だけれど、「八正道」 は潔癖すぎるのである。潔癖の癖には “病だれ” が付いている。
 仏教は常に心を対象にするから、在家者を対象としながらも、現実を余り考慮することなく語る傾向がある。
 心と想念がすべてではない。現実がよかったら、人間はおのずから善い心を持つ。善い心をもてば、優れた感覚や素晴らしい神気にもふれることができるのである。
 だから、現実界というものを改善することを棚にあげておきながら、心だ、想念だというのが、仏教信奉者の犯し易い間違いであるといえるだろう。(p.102)

 

 

【守護霊と悪霊】
 私達には守護霊がついているということは間違いない。しかし同時にまた、私達には悪霊も憑いているのだ。・・・(中略)・・・。
 つまり、人には、良い霊としての守護霊がついてはいるが、その力を打ち消したり、弱めたりする悪霊もついているのである。守護霊と悪霊という相反する性質と目的をもった霊の影響を、絶えず受けているのが、霊界から見た人間の真実の姿なのである。そして、どちらの影響をより強く受けるかによって、幸福か不幸かが定められるわけだ。(p.28-29)
 どっちの影響力を受けるかは、基本的に本人次第。
 悪霊にとりつかれてどうすることもできない時、
 「こんな自分は生きるに値しない」
 と意を決し、悪霊に取り憑かれたまま自己の脱皮をはかろうとして立ち上がった刹那、守護霊が現れて、
 「よくぞ立ち直った、守護致すぞ」
 と、その時始めて直接守護されるのだ。もちろん、その時に、守護霊団が悪霊たちを追い払ってくださるのである。
 つまるところ、自分自身の一瞬一瞬の生き様や思い切りが、全てを決するのであるから、他人ごとのように、何ごとも霊のせいにする態度はよろしくない。(p.31)
 心は霊界へのチャンネルだから、暗く考える人は暗い霊界に通じ、明るく考える人は明るい霊界に通ずる。ドンずまりのピンチに陥る前に、普段から前向きで行動的な人生を過ごしていれば、悩み(汝が闇)の世界には入らない。そうであれば、自然除霊がなされている。
 一般の職業人ではない主婦の場合は、清掃、洗濯、何でもいいから全力を傾注する。心と体を一つのことに集中していけば、守護霊が次から次へと回答を出してくれるようになっているのである。これが問題解決の秘策というべきものだ。(p.115)
 専業主婦だけじゃなくて、ニートやひきこもりにも、お勧めである。
 唯今、唯今、瞬間、瞬間に、心が何かに没頭し続けていれば、悪霊の割り込む余地はない。だから守護霊が回答してくれる。

 

 

【プラスの意志の持続力を備えるための方法】
 悪霊を遠ざけ、守護霊との回路を太くするためには、プラスの意志の持続力が備わっていればいい。
 それにはまず、「意志の持続力は誰でも持てるものなんだ」 と信じて念ずる信念の力、そして強烈な念力を持つ努力が必要である。念力の強弱に関しては、体力、筋力、神経の力が大きく作用するので、身体を鍛えるということも大切なポイントとなる。ところが、体力と信念だけの人とは、一度大きな挫折を味わうと、絶望の淵から立ち上がって、強い意志を回復させることが困難であることが多い。だから、本当に強い無敵の意志の力を養うためには、絶えざる学問への精進と教養の練磨、そして正しい信仰力の3つの要素を養い、自分の人格をもう一人の自分が正しく見つめるということが必要なのである。(p.40)
 まずは 「身体を鍛える」。
 次に 「学問」 「教養」 「信仰力」 を磨き上げる。
 高級な先祖霊達と一つとなるべく自分自身の御魂を磨くほうが、地獄界にある先祖霊を供養することよりも、はるかに重要であるし、運勢を良くする上でも、大きな効果のあることなのである。
 そうした努力、つまり学問、教養、正しい信仰力を身につける努力を怠っていて、供養、供養といっているから。永遠に解決する糸口のない暗夜行路へと迷い込んでしまうのだ。(p.50-51)
 「学問」 「教養」 「信仰力」 は、人間の生まれてきた意味にかかわることでもあるから、とっても重要なポイント。
 高級霊とは、この3つのポイントを高めてきた方々だから、高級霊に守護してもらいたいなら、高級霊が持っているのと同じような 「学問」 「教養」 「信仰力」 を身につけねばならない。低級霊とは、低級な人間性の霊のことだから、平凡以下の人生でよければ、何ら努力することなく、いつでも低救霊に憑いてもらえるということだろう。