昭和26年(1951年)から、20年間に渡って東宮侍従をなさっていた著者。浩宮さまが11歳の頃まで侍従をされていたことになる。浩宮さまが小さかったころの写真が掲載されている。1997年2月初版。
【ミシンを踏んで産着つくり】
日本赤十字社の名誉総裁をしておられる美智子さま。優れた業績のあった看護婦さんに、ナイチンゲール記章を授与しているだけではない。
日本赤十字社の名誉総裁をしておられる美智子さま。優れた業績のあった看護婦さんに、ナイチンゲール記章を授与しているだけではない。
皇后となられた今日まで日赤通いを続けていらっしゃる。ご公務でお忙しい妃殿下方、それぞれ時間を合わせて、日本赤十字本社でミシンを踏む日を作られているのだ。
30数年前、私は初めて産着を縫いに日赤に出かけられる美智子さまのお伴をした。(p.16)
美智子さまがお縫いになる産着は、今日も全国どこかの日赤の産院で使われている。それが誰の手で作られたのかも、誰にもわからないままに・・・。(p.17)
30数年前、私は初めて産着を縫いに日赤に出かけられる美智子さまのお伴をした。(p.16)
美智子さまがお縫いになる産着は、今日も全国どこかの日赤の産院で使われている。それが誰の手で作られたのかも、誰にもわからないままに・・・。(p.17)
【天皇ご一家の “壮絶な” 百人一首大会】
美智子さまは、皇族となってから百人一首を覚えたという。
ご一家が百人一首をなさるということが決まると、私ども侍従は、御所内の広い応接間 「日月の間」 に畳を運び込む。
一般にはあまり知られていないことだが、御所内には和室、畳の部屋というものはない。すべて板の間。(p.55)
意外な気もするけれど、神社で畳の間を見ることもないから、そんなものなのだろう。
一般にはあまり知られていないことだが、御所内には和室、畳の部屋というものはない。すべて板の間。(p.55)
読み声は、ゆったりしたものだが、場の雰囲気は真剣そのもの。優雅どころではなく、緊張感に満ち溢れている。
すさまじいものがあるといってもいい。
お子さま方が入っていらしてもそれは同じだ。両陛下とも手加減など一切なさらない。
一般に親というのは、子どもとゲームをしたとき、わざと負けてやったりするが、両陛下は、そういうことは絶対になさらない。浩宮さまが五歳、六歳という年齢の時からそうだった。殿下方も勝負というものはそうしたものだと思っていらっしゃる。
負けたら、顔を赤くお染めしてくやしがっていらっしゃる。何事もそうだけれど、負けてくやしがるくらいでないと進歩はしない。負けても勝っても同じだというのでは強くならない。両殿下は、そのことを百人一首を通してお教えになっていらっしゃったように思う。(p.57-58)
なんか、ちょっと引く。すさまじいものがあるといってもいい。
お子さま方が入っていらしてもそれは同じだ。両陛下とも手加減など一切なさらない。
一般に親というのは、子どもとゲームをしたとき、わざと負けてやったりするが、両陛下は、そういうことは絶対になさらない。浩宮さまが五歳、六歳という年齢の時からそうだった。殿下方も勝負というものはそうしたものだと思っていらっしゃる。
負けたら、顔を赤くお染めしてくやしがっていらっしゃる。何事もそうだけれど、負けてくやしがるくらいでないと進歩はしない。負けても勝っても同じだというのでは強くならない。両殿下は、そのことを百人一首を通してお教えになっていらっしゃったように思う。(p.57-58)
美智子さまは、皇族となってから百人一首を覚えたという。
【完璧主義】
海外訪問や地方に出かけられるときのお勉強のことは前にも書いたが、美智子さまは、そういうとき、決してなまけたり、手を抜いたりはなさらない。徹底して真剣に取り組まれる。持って生まれたご性格なのだろうが、それは完璧主義と表現して差しつかえないほど徹底していらっしゃる。(p.60)
テレビで放映される皇室の様子から想像すると、ゆっくり話してばかりいて、頭なんて全然使ってないんじゃないかと思ってしまうけれど、この本を読むと、そんな暇で阿呆な凡人的生活など全然していないことが、よ~~~~く分かる。
【浩宮徳仁(ひろのみやなるひと)】
皇子・浩宮の名は中国の古典の一つである 『中庸』 の、「浩々たり其天・・・聡明聖知にして天徳に達する者」 から取られている。(p.80)
命名に際して3つの候補が挙げられていた。その中から、
昭和天皇が 「浩宮徳仁」 御名の上に、親指で爪の印をおつけになり、決定の意をご表明になった。(p.80)
何故か、爪で印をつけるのが慣わしなのだという。 浩宮様の地球に関する使命は、以下に記述されている。
《参照》 『生命と宇宙』 関英男 (飛鳥新社)
【太陽と地球の昇格(アセンション)】
【「お印(しるし)」】
皇族の方々には、皆さまお印を持っている。陛下のお印は 「榮」、さかえるという文字。栄光の栄の字である。浩宮さまのお印は 「梓」、 秋篠宮、礼宮さまのお印は 「栂」、 紀宮さまのそれは 「未草(ひつじぐさ)」、美智子さまのものは 「白樺」 である。
こうしたお印は、天皇家を表す 「菊」 のご紋とは違って、皇室の殿下、妃殿下、宮さま方それぞれお一人おひとりのプライベートなものだ。(p.81-82)
「桃」 は皇太后さまのお印である。(p.83)
昭和天皇のお印がなんだったのかは、書かれていない。こうしたお印は、天皇家を表す 「菊」 のご紋とは違って、皇室の殿下、妃殿下、宮さま方それぞれお一人おひとりのプライベートなものだ。(p.81-82)
「桃」 は皇太后さまのお印である。(p.83)
【本】
日本のおとぎ話、グリム童話、アンデルセン童話。何度も何度もお読み聞かせになって、表紙などはもうぼろぼろになっている。しかし、美智子さまは、決してそれをお捨てにならない。私は何度も拝見して承知しているのだが、その本は繕われ、補修されて礼宮さまにもお読み聞かせになっていらした。そのお古を、紀宮さまにもお使いになった。(p.91)
本だけではなく、本に接する人間の態度にも注意を払っている。
私も、浩宮さまと礼宮さまのご教育担当の侍従をおおせつかっていて、美智子さまにこうご注意を受けたことがあった。
「浜尾さん、浜尾さんがご本を読んで聞かせてあげているとき、わき見をしたり、他の遊びをするような、そんなことのないように。そういうことがあったら、注意してあげてくださいね。ちゃんとお聞きにならなきゃいけませんと叱ってやってくださいね」 (p.92)
美智子さまは、子どもの教育や書籍に高い関心を払っておられる。このことについては、一般書店で購入できる美智子様の著作 『橋をかける 子供時代の思い出』(すえもりブック) などに記述されている。「浜尾さん、浜尾さんがご本を読んで聞かせてあげているとき、わき見をしたり、他の遊びをするような、そんなことのないように。そういうことがあったら、注意してあげてくださいね。ちゃんとお聞きにならなきゃいけませんと叱ってやってくださいね」 (p.92)
【蛍とカワニナ】
カワニナは、タニシのような小さな黒い貝殻をもった巻貝で、実はこの貝は清流の中でないと育たない。蛍の幼虫は生きたカワニナを食べて大きくなるのである。
皇居では、毎年、昭和天皇が年に何度か必ず湧き水の池にその貝をお撒きになっていた。東宮御所の庭でも陛下が、やはり貝を撒いておられた。
この貝がいなくなると蛍は育たないというお話を私は陛下ご自身のお口からお聞きした記憶がある。(p.143)
昭和天皇は、自然のままの状態で生息する植物や昆虫をとても大切にしていた。皇居では、毎年、昭和天皇が年に何度か必ず湧き水の池にその貝をお撒きになっていた。東宮御所の庭でも陛下が、やはり貝を撒いておられた。
この貝がいなくなると蛍は育たないというお話を私は陛下ご自身のお口からお聞きした記憶がある。(p.143)
【養蚕と衣類の継承】
結局、伝統というのは、このように祖先が行ってきたことを体験的に継承してゆかねば維持できなくなってしまうのだろう。皇室は、それをやっている。しかし、そのようなことは一般に公開されていない。
今日の一般家庭では、単にお金で衣食住を揃えるだけである。日本の伝統的日常文化全般は、その拠って来たる由縁を辿りうる連鎖をお金に依って断たれ、次にお金がなくなれば、それぞれの家が維持してきた家風という文化すら誰も維持できなくなってしまうのだろう。
宮中には蚕を飼っている御養蚕所があり、明治以来歴代の皇后が続けてきた養蚕を美智子さまも引きついている。(p.167)
繭をつむいで、糸を一枚の布に織りあげるその布を仕立てて衣服にする。それははるか昔から女性にまかされた大きな仕事だった。
贅沢なのではない。
天皇ご一家は、現在でも美智子さまがお召しになったドレスを、ちょっと仕立てなおして紀宮さまが身につけられるなど、洋服のリフォームは、当たり前のこととしてなされている。シャネルだ、アルマーニだなどとブランドに目の色を変えている人たちに、身にまとうもののありがたさ、本当の女性のおしゃれとは何なのか、もう一度考え直していただきたいと私などは時折、痛切に考えてしまうのだ。(p.168)
衣類に限らず、昔は衣食住のすべてが自家製だったのだろうから、それらの作成過程を見ることで全てに家族の汗と想いがこもっていることを、誰が誰に教えるまでもなく、共同体の構成員すべてが知っていた。繭をつむいで、糸を一枚の布に織りあげるその布を仕立てて衣服にする。それははるか昔から女性にまかされた大きな仕事だった。
贅沢なのではない。
天皇ご一家は、現在でも美智子さまがお召しになったドレスを、ちょっと仕立てなおして紀宮さまが身につけられるなど、洋服のリフォームは、当たり前のこととしてなされている。シャネルだ、アルマーニだなどとブランドに目の色を変えている人たちに、身にまとうもののありがたさ、本当の女性のおしゃれとは何なのか、もう一度考え直していただきたいと私などは時折、痛切に考えてしまうのだ。(p.168)
結局、伝統というのは、このように祖先が行ってきたことを体験的に継承してゆかねば維持できなくなってしまうのだろう。皇室は、それをやっている。しかし、そのようなことは一般に公開されていない。
今日の一般家庭では、単にお金で衣食住を揃えるだけである。日本の伝統的日常文化全般は、その拠って来たる由縁を辿りうる連鎖をお金に依って断たれ、次にお金がなくなれば、それぞれの家が維持してきた家風という文化すら誰も維持できなくなってしまうのだろう。
【皇室の祭祀】
現代の合理主義に慣れすぎている精神にはわかりにくいことかも知れないが、深く静かに思うとき、ここに生きている自分と、すでにあちらの世、他界にいってしまっている先祖の霊は渾然として一体になる。皇室の祭祀とは、ほとんどがそのためのものだと私は思っている。きわめて精神的、スピリチュアルなものであると。 (p.199)
世の盛衰につれて移ろいやすい一般家庭では維持継続が難しいことを、皇室の方々がやってくださっているからこそ、日本という国家の背骨(屋台骨)が立っていられると思っている。<了>