イメージ 1

 対談が行われたのは、2000年に二人してハーバード大学名誉博士号を授与された数ヵ月後だという。
大江さんは光君の才能に喚起されたのかどうか知らないけれど、音楽についても造詣が深い。そんな対話の部分は書き出さないけれど、沢山記述されている。

 

 

【何かを創ろうとするエネルギー】
小澤 : 人間というのは本当のエネルギーになるものは、案外すごい身近にあるんじゃないかなあと思っているんです。学生さんがいい学校を卒業していい会社に入ってお金を稼ごうという意欲も、実はそうやって可愛い女の子に会って結婚するためなんじゃないか。ピカソがもうずいぶん年取ってから、「本当の何かを創ろうとするエネルギーは何だ」 と訊かれて、「女だ」 と言ったというんですね。いろんな問題は案外そういうところにあるんじゃないか。
 あなたはどう思われます。
大江 : 本当にそう思います。僕は、最初ひとつ日本にない小説をつくってやろう、というふうに始めたんですけれど、人生のあるときから、おっしゃるとおり身近にある、生まれてきた障害のある子供が、生きることと仕事とのエネルギーのもとになりました。(p.26-27)
 身近なところに、物質的にも精神的にも愛情を注ぎ続ける人がいた方がいいことは確かなのだろう。ただし、小澤さんと大江さんの表現は、似ているようで違う。
 多くの音楽家の不埒とも言える奔放な行動は、創作エネルギー余剰の発散なのだろうし、光君は大江さんにとって救命ボートのような存在だったのではないだろうか。

 

 

【大江文学】
 僕は、文学をやって日本語で書いてますけど、つまり世界の共通言語の仕事じゃないと言われるけども、日本語で書いてても、それがうまく翻訳されると絶対に通じるように書いてやろうと、僕は考えているんです。(p.47)
 つまり大江さんの文学は、日本語感覚の小説ではないということになる。多くの日本人が 「大江健三郎の小説はつまらない」 と思ってしまう原因はこの辺りにあるのだろう。

 

 

【悲しみ】
小澤 : 要するに、ほとんど9割ぐらい音楽はみんな悲しいというか、暗いというか、モーツァルトやベートーベンの楽しい曲とか、あるいはヴェルディの楽しい音楽づくりなんていうのは、それがあったからこそ出てきたんじゃないか。(p.112)
大江 : 昔の歌の主題は何かというと、喜びの歌もありますけど、悲しみの歌が中心ですね。人が死ぬ悲しみもあるし、たとえば 「春、空を見ているとヒバリが飛び上がっていく。心は悲しい」 というのが、基本的な歌ですよ。(p.113-114)
 大江さんの発言にある歌とは 『万葉集』 の中にある歌のことを言っている。
大江 : ファルスタッフという老人の悲しみが本当によく分かります。人生の悲しみというか、人間の悲しみというか。その悲しみとしての情がまずある。それを若いときも考えるけれども、ある年齢を経ると、しっかりそこに行き当たってゆく。
 文学の世界でも、近代に来て音の役割が弱くなって、意味が力を占めてきたけれども、文体というものが作られる基調はやはり音のリズムだし、主題はやはり悲しみです。(p.114)
 対談時、65歳のお二人。かつて創作された音楽や文学の基調が悲しみであったとしても、それが永遠に続くのではない。この対談が行われた20世紀最後の年(2000年)までが悲しみの世紀で、21世紀からは喜びが基調になるのではないかと思っている。もちろん現在は乱流状態で、陽に転ずるために陰を極める遷移期間なのであろうけれど。

 

 

【立志の時】
大江 : 大体14,5のころに、僕は文学をやろうと、目標を立ててしまったんです。
小澤 : 僕もそう。中学三年のときです。
大江 : あ、僕も正確に、三年のとき。 (p.115)
 流石。立志の時が早い。

 

 

【チャンチャン】
大江 : お嬢さんの征良(せいら)さんが音楽誌に書かれた ・・・(中略)・・・ 。
小澤 : 今度は、うちに18年いたチャンチャンという犬のことを書いたんですよね。(p.142)
 猫の親分に犬扱いされている子分のチャンちゃんは、同類同名のチャンチャンを発見して嬉しい。そっちのチャンチャンは18年も生きたとか。ドックイヤーを7年として、人間換算で126歳まで生きたことになる! こっちのチャンちゃんはその半分で十分である。

 

 

【助平人間フェスティバル!】
小澤 : それで僕、バーンスタインに言われて、スケベーニンゲンというヘンな名前のオランダのフェスティバルにいって指揮をしてたんです。(p.175)
 不埒なオッちゃんやオニイちゃんオネエちゃん達が大集合しそうなお祭り、ではありません。

 

 

【学びたい、教えたい】
大江 : 僕は、勉強することが好きなんです。勉強するといっても、学者になろうという意味じゃないんですよ。ただ、勤勉であることが好きなんです。本をつねに読んでいるか、つねに小説を書いていることが。そして勤勉にやって長年生きていると、やはり蓄積されるものがあるんです。そして奥行きが生じてくる。それが僕には、老年ということの積極的な意味です。それがあなたには僕など比較にならないだけ、多量にありますよ。しかも、そいつは年を取るまで分からないものなんですよ。(p.210-211)

小澤 : 本能的なことかもしれないんだけど、自分が覚えたことを次に遺してもらいたい、自分だけで終わらないで遺してもらいたいというのはあるみたいですね、音楽の場合は。教えたいという本能。 ・・・(中略)・・・ 。ヘンな話だけど、僕ね、スキーにしてもテニスにしてもレッスンばっかり受けるんですよ。(p.216)
 作家なら活字として作品を残せるけれど、音楽家の場合は録音というものがあるにせよ、唯今に消えゆく音の世界だから、無形のものを伝えたいという思いはよけい強くなるのだろう。
 有形のものであれば到達点も道程も物として残せる。しかし芸術のように本来無形なものに取り組む人々は、それだけ学びたい伝えたいという思いが昂じて真剣に人生を走り続けるようになるのだろう。終わりのない過酷さは、継続する勤勉さと裏腹である。
 
<了>

 

  《大江健三郎について言及しているブログ》
   《参照》   『おおい雲』 石原慎太郎 (角川文庫)
            ◇大江健三郎
   《参照》   『心ゆさぶる平和へのメッセージ』 村上春樹 (ゴマブックス)
            【大江健三郎の 『同時大論集』 】
   《参照》   『魂よ、目覚めよ』 門脇佳吉 岩波書店
            【大江健三郎の作品について】