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 日本人と台湾人とポリネシア人の関係が何か書かれているかと思って読んでみた。副題が、ポリネシア人の祖先を求めてとなっているけれど、本書の中ではラピタ人を求めてに置き変えられる。
 この書籍、ポイントだけ書き出すならば、30ページほどですむはずの内容が、200ページにもわたって繰り返し繰り返しタラタラと書き綴られている。人類学関係の書籍というのは概してこのようなものである。
< 台湾・元智大学図書館 にあった本 >
 

 

【ポリネシア人の生活圏】
 いかにポリネシアの領域が広大であるか。その面積は、じつに地球の全表面積の20%近くに相当する。(p.6)
 広大な海原に住むポリネシア人たち。物理的に見えない島を見つめて漕ぎ出す人々の魂の深遠さや逞しさに憧れを持つことがある。
 今日でも、伝統技法の遠洋航海士はまだ存在している。
    《参照》  『ホクレア号が行く』 ナイノア・トンプソン ブロンズ新社
            【伝統技法の遠洋航海士、マウ】

 

 

【ポリネシア人の特質】
 どの島も先住民はポリネシア人である。小錦とか武蔵丸とか、ラグビーのラツウやバショップのようなスタイルの人たちだ。じつは彼らポリネシア人は、体格が並外れて大きいことをのぞくと、私たちアジア人に非常に良く似た身体性(身体の形態的および遺伝的特性、あるいは身体形質)を特徴とする。というよりアジア人そのものなのである。(p.6-7)

 

 

【ラピタ人とポリネシア人】
 ラピタ人の文化は、後のポリネシア人のそれとはだいぶ様子を異にしていた。最大の相違点は、なんといっても土器文化の有無に関してである。ラピタ人は土器を製作していたが、ポリネシア人となってからは失われた。・・・(中略)・・・。またポリネシア人よりラピタ人のほうが、なんでも屋的な性格がはるかに強い生業活動を営んでいた。それにくわえ、融通無碍に離散する臨海性の集落を構え、より広い地域に及ぶ交易ネットワークをもっていたようだ。
 しかし身体形質については、あとで述べるように、ラピタ人と後の時代のポリネシア人とを区別するのは容易ではない。(p.56-57)
 

【ラピタ人のルーツ】
 まずは比較言語学の知見による推論である。たとえばベルウッド(1989)などは、ラピタ人こそオセアニアに最初に進出したオーストロネシア語族の集団であり、・・・(中略)・・・。そもそもは台湾あたりにオーストロネシア語族のもっとも古い祖語があり、それが南方に広がってフィリピンあたりでオセアニア系とインドネシア系との二分されたと考える仮説(ブラスト、1988)に依拠して、ラピタ人の究極のルーツが台湾、あるいは南中国にあったのだと考えている。
 考古学の方面からも同様な見解が出されている。(p.66)
 人類学の観点からも、ラピタ人のアジア起源論に組みしないわけにはいかない。(p.68)
 比較言語学の知見によると、台湾とラピタの繋がりを語ることができる。
 また、日本人とポリネシア人に共通する脳の反応特性が確認されている。
    《参照》  日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <前編>
           ■ 日本語と日本人の脳の特異性 ■

 日本―台湾-ポリネシア-ラピタを一本で結ぶ見解は語られていないけれど、いずれも太平洋を囲む諸島国家であり、生理学的にも近似したDNAをもつ人々なのだから、必ずや深い関連性はあることだろう。

 

 

【サツマイモの謎】
 南米を原産とするサツマイモは、ポリネシアの多くの島々に、もっとも重要な作物として古くから存在していた。
 ヘイエルダール(1966)はサツマイモの存在を金科玉条として、アメリカ大陸の先住民がポリネシアに漂流してポリネシア人の祖先となったとする 「南太平洋のアメリカン・インディアン(先住アメリカ人)説」 を唱えるところとなった。(p.113)

 かつて太平洋上に大陸があったとするなら、もっと説明は容易だろう。

 

 

【ラピタという名前の由来】
 ラピタ土器もラピタ人も、その名称は、ギフォードらがニューカレドニアで遺跡を発掘した鳥の名前に由来するわけである。余談ではあるが、この地名の実在性については疑問があるようだ。・・・(中略)・・・。
 ギフォードらは、当時の現地の発掘作業員から、この名前のことを聞いたという。にもかかわらず、それから30年の歳月がたったころ、あるフランス人の考古学者がラピタという名前の意味を調べたところ、現地では誰一人として、その名前の場所を知るものがいなかったという。それどころか、実際にはラピタという地名すらなく、架空の名前にすぎないということが判明した。(p.158)
 言葉の通じない者どうしでは、別の言葉に誤解することなどざらにある。それがそのまま残り、ラピタ人として学問の世界で先取権を得ているということ。
 言葉の聞き違いというよりは、そのような実在しない地名の単語に関しては、以下のようにも考えられるだろう。
 古代人は、現代人より高度なスピリチュアル能力を活用していたのは明白な事なのだから、その能力で、特異で稀なものを認識し、それを 『(天空の城)ラピュタ』 と表現したいう可能性だって十分あり得ることだろう。古代民族には、高度なシャーマンがいて、そのような人の語りは、疑問を挟むことなく、民族間で長く語り継がれるのが普通である。
 
 
【ラピタ人の最初の定住地】
 西ポリネシア、ことにトンガとサモアとフィジーの三角地帯であった。そこに定住した人々こそ、まさにラピタ人なのであった。(p.172)
 南太平洋のどのあたりがラピタ人の主な居住区だったのかを具体的に押さえておかないと、記憶が漠然としてしまうから、三角地帯としての島の名称を書き出しておいた。
 なお、ポリネシア・トライアングルと呼ばれるのは、ハワイ、イースター島、ニュージーランドを結ぶ、より広大な海域である。
 
<了>