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 タイトル通りの内容。「商売には仏教はちょっと・・・」 と思っている中途半端な宗教的善人の方は、この著作から本当の生き方を学ぶことができる。
 

 

【人脈構築に必要な人間理解】
 人が悪いと言うと語弊がありますけれど、格好つけずにハッキリ言うと、名声を得ている人、出世をしている人はみんな人が悪い。
 それに対して、人のいい人はどうなのかと考えたら、出世していないし、名声もありません。人のいい人と言うのは本当に無欲です。そして、自分が無欲で人がいいものだから、他人もみんな無欲で人がいいと思っています。だから、「うまい儲け話があるんですけど、聞きに行きませんか」 と誘っても、「あっそうですか」 で終わりです。 ・・・(中略)・・・ 。どんな話を持ちかけても、「あっ、そうですか」 で終わりです。純粋で無欲で人がいい人は、それで終わりです。だから、出世もしないし、名声もないし、お金もない。(p.43-44)
 そんなんじゃ、人のいい人は出世できないから、社会的な影響力はなく世の中が良くなるような大きな貢献はできない。どうりで、世の中は、汚職だの不正だのにドップリないしスレスレの人々が活躍する際どい世界になっているわけである。
 じゃあ、人のいい人が人の悪い人を蔑視したり無視したりするのではなく、会得しなければいけないのは、何かというと・・・。
 ひと言で言えば人間理解。人に対する理解の深さです。はっきりいって、深い人間理解なくして、有意義なる人脈の形成はあり得ません。 ・・・(中略)・・・ 。「ああ、こんなに人が悪いけれど、ものすごく頑張ったから名声を得たんだなあ」 「二面性どころか三面性も四面性も持ちながら、人を蹴落としながら。出世したんだなあ」 と。そのことに対して理解をし、慈悲の心、優しい思いを持ってあげないとダメですね。そうしないと、向こうも感じます。(p.51-52)
 寛大と言うか、キャパが大きいというか、すごい人間理解である。人間同士の同じ地平で見ている立場では、なかなか考えづらい。あたかも全てを受け入れる神様のように、「人間の世界を鳥瞰する立場で考えよ」 ということなのだろう。「人であれ、物事であれ、何であれ、裁くな」 と言っているのと同じように聞こえる。そして、そうなのであろう。

 

 

【人間理解:チャイコフスキー編】
 音楽家で清廉潔白な人、道徳的な人なんどいません。
 ところが女性は、そういうものを見て 「許せないわ」 と言うんです。私は、許そう、何やっててもいい、いい音楽を聞かせてくれればそれでいいんだ、ホモの近親相姦のチャイコフスキーよりはよほどいいじゃないか、再婚したぐらい何でもないじゃないか、と思っております。(p.61)
 浮気にプッツンしている女性に、この話したら、かなりヤバイ反撃にあいそう。
 「アンタにどんな才能があるのよ。音楽作れるの? 料理すらできないくせに! 湖で白鳥ごっこでもして湖底に沈んじゃえば!」 とかって言われそう。
 チャイコフスキーがダメならパバロッティがある。

 

 

【人間理解:パバロッティ編】
 オペラ歌手のパバロッティなんかもそうでしょう。ドミンゴ、カレーラスと並ぶ 「世界三大テノール」 の一人と言われているルチアーノ・パバロッティには、長年にわたって彼を支えてきた糟糠の妻がいたんです。ところが、60数歳になって、26歳の若い女性に恋をして、奥さんと別れてしまったんです。 ・・・(中略)・・・ 。
 まあ、生霊と若い女性のプラスの念波で、プラスマイナスゼロなのかもしれませんけれど、パバロッティのそんなところを誰が見るかというんです。見る人もいるでしょう。けれど、パバロッティは歌手なんですから、いい音楽を聞かせてくれればそれでいいんです。だいたい、オペラの内容ってそんな内容ばかりですから、身をもって演じておられるのかもしれませんけど、音楽家を見るとき、いったい何を見るんだ、と。(p.64-65)
 ダメだしの第2段の砲撃を受けるかもしれない。
 「ババロアだかフラミンゴだかカレーライスだか何だか知らないけど、そこにアンタが入れば “世界4大低ー能ー“ よ。バッカじゃない」
 「そう、キミが言うように、ぼくは低能なんだから、その分、キミが“人間理解と言う知恵” を持ってよね」

 

 

【毘沙門天の知恵】
 金の鉱脈というのはどういうものかと考えたら、そういう世の中のおぞましいものの連続なのです。おぞましさと嫌らしさと許せないようなこと、人間として最低と思えるような人が続いていると考えていい。それが人脈というものです(笑)。 ・・・(中略)・・・ 
「相手が悪なら、それ以上の悪でないと、本当の善の道は貫けない」 ・・・(中略)・・・ 。しかし、心まで悪になってはダメなんです。ハートは世のため人のため、神様や仏様やみんなのために守らねばという、善の心、愛の心でなければいけないのですが、頭は、誰にも負けないような毘沙門天の知恵。その頭、すなわち毘沙門天の知恵とは理解力なのです。「深い人間理解なくして・・・」 という短い綺麗な言葉の奥にあるのは、そういうことですね。(p.69-70)
 不要な戦は決してせず、宿敵・武田信玄に塩を送るという深い人間理解を実践した越後国主・上杉謙信の軍旗に書かれていたものこそ、毘沙門天の “毘” である。
  《参照》 『ご神業とビジネスを両立させる決断力 深見所長講演録2』 (菱研)
           【神道精神と経営】
           【神様を信じている人間は・・・】

 

 

【中途半端な潔癖性は捨てよ】
 花と言っても、花弁だけではありません。茎があり葉があり根っこがあって花なのですから、根っこを見て汚い思わないことです。茎を見て、何か一本調子だと思わないこと。葉っぱを見て、平べったいと思わないこと。根っこがあり、茎があって初めて美しい花を咲かせるわけです。
 ところが、中途半端に宗教をかじった人は、花という花弁だけが花だと思い、「ああ、花は綺麗だ、美しい」 と言うわけです。正しく深い人間理解のある人は、綺麗な花を咲かせるためには必ず根があり、茎があり、葉っぱがあるんだ、ということをわきまえています。(p.144-145)
 仏教しか知らない人の多くは、この潔癖の轍に嵌っている。潔癖の “癖“ は ”病だれ“ に覆われている。潔癖は真なる知恵を欠いている故の病である。

 

 

【悪に染まらないために】
 その悪に染まらずにやっていくためにはどうしたらいいのか。それを考えなければならないのですが、私の場合、 ・・・(中略)・・・ おぞましい人間と会ったあとには、必ず 『中庸』 や 『論語』 を読んだりしています。 ・・・(中略)・・・ 。そういうときには清々しい書物に没入して、自分の心を清めるわけです。(p.87)
 “心を清める” なんていう思いすら忘れている人って、既にかなり染まりつつある状態なのだろう。
 放置しておくと、社会で生きているというだけで、“清浄を乞い願う心“ さえもが本当に薄れてゆく。

 

 

【人脈づくりの具体的方法】
 基本的な部分はもちろん人間理解で、 ・・・(中略)・・・。
 次の共通項は筆まめ、口まめです。 ・・・(中略)・・・ 足まめでもあります。 ・・・(中略)・・・ 。
 それから、礼儀、恩義、信義。この三義も欠かしてはなりません。とくに礼儀は大切です。 ・・・(中略)・・・ 。 権力、権威、富み、地位、名声のある人は、ほとんどみんなわがままで、 ・・・(中略)・・・ 他人が礼儀に反することをすると、自分のことは棚にあげておきながら、「なんて無礼なヤツじゃ」「何て礼儀を知らんヤツじゃ」 と言うんです。(p.99)
 本当に一流になった人はものすごく思いやりがあるし、細かいところまで気を配るし、相手を理解する能力がある。例えば飛行機のファーストクラスに乗るような人々には思いやりがあるからいいけれど、ビジネスクラスに乗るような中途半端な人々が最もウルサイという。客室乗務員さんから直接聞いたというそんな話も記述されている。

 

 

【取締役以外と会ってはいけない】
 私は、 『超一流のサラリーマン・OLになれる本』(たちばな出版刊) の中で、「トップ中のトップは、みんな畏れて誰も来ないから、孤独なんだ」、「その懐へズバーンと飛びこんでいったら可愛がってくれる」、「だから営業マンは取締役以外に会ってはいけない」 というようなことを書きました。それができるかできないかは、すべて営業マンの度胸一つにかかっているのですが、(p.79)
 度胸って言ったって・・・・ねぇ。でも、そこは考え方次第。
 私は25歳からすっと、取締役以下には会わない主義で、どんな大物であろうと、どんな有名人であろうと、真っ正面からバチンとぶつかってきました。それだけ度胸があるわけです。なぜ度胸があるかというと、私の後ろには宇宙創造のスの神様がいるんだと、いつも考えているからです。だから、どんなに肩書きが立派な人であろうと社会的地位が高い人であろうと、たいしたことはないと思うわけです。
 地面から見れば、三階建てのビルは高く見える。 ・・・(中略)・・・ 。富士山から見たらマッチ箱です。宇宙から見れば、ウンコの周辺に飛んでいる蝿のまつげの先に付いているバイ菌の、そのバイ菌のヘソの下にある原子核の周りを飛んでいる電子ぐらいのものですね(笑)。そんなものに負けてたまるか、と思うわけです。(p.129-130)
 「男は度胸、女は愛嬌、つまみはラッキョウ、鉄砲は薬莢」 とまで言わないかもしれないけれど、前の二つだけは人脈作りや人生にとって有効なものらしい。
 
<了>