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 神話については シュタイナーのようなシャーマニスティックな能力を有する人の書いたものでなければ面白くないし、有意義でもない。 著者のプロフィールを読むと、宗教に造詣の深い文学者ということらしい。序盤に書かれている著者の神話に関する解釈を読んでいると閉口する記述が少なくない。なので、このような著者の場合は、文献にどう書いてあるのか、特定の神々に関する記述をピックアップするのみ。

 

 

【アルテミス】
 アルテミスは太母(グレートマザー)を具現化したもの、つまり動物たちの女王であっただけでなく、生命の源泉でもあった恐るべき女神である。慈愛に満ちた母なる大地などではなく、無慈悲で執念深く過酷な性質を持っている。アルテミスは元来、狩猟に儀式の戒律を破る者がいると、生贄と血のあがないを求めることで悪名が高い。この恐るべき女神もまた旧石器時代を生き延びた。 (p.43)
 神々が善悪の2面を持っているのは普通(本質的には、人の分別智が2面を分けたがっているだけ)である。悪の側面を持っているからこそ専属の悪神の悪知恵の上をいけるのであって、善一筋の神というのでは所詮たいした実力派の神にはなれない。悪をまったく知らぬ善というのは不毛なのである。
 箱根の九頭龍神も、自然界に住む純粋な悪神であったけれど、万巻上人に制せられ、改心したからこそ悪を制する知恵ある龍神になれたそうである。

 

 

【創生神話の役割】
 創生神話を朗誦する目的は情報の提供ではなく、主として人を癒すことにあった。人はさし迫った危機に直面しているときや、争いを終わらせたいとき、あるいは病気を治したいときに、宇宙の成り立ちを物語る神話の朗誦に耳を傾けたものだ。そこにあるのは、人間の存在を支える、時を超越したエネルギーを利用するという考えである。この神話とそれにともなう儀式は、物事が好転するには往々にしてまず悪化する必要があること、人生を生き抜き、物事を創造するためには、ひたむきな努力が必要であることを思い出させる役割を果たしていた。(p.75)
 「創生神話が有するエネルギーを人間が利用する」 という解釈は、神話の価値を認めていない多くの現代人にとっては、ありえないものに思えることだろう。この解釈を受け入れたにしても、「物事が好転するには、まず悪化する必要があること」 そして 「人生を生き抜き、ひたむきな努力が必要であること」 を思い出させるものであるなら、人のひたむきな努力とその結果、例えば地球環境の維持は、畢竟するに短期的には連動しないのだし、やがて平衡は崩れることになるのではない? という疑念ないし諦めすら生じてしまう。
 宇宙や地球規模での創生神話から 「天地に仁なし、万物をもって走狗となす」 というような “大愛” を看取したところで、宇宙や地球規模での厄災が避けられないのならば、個々の人間の努力って畢竟するに何の意味があるのか? と思ってしまうことだろう。
 しかし、人間ひとりひとりには個々の魂に固有の “向上する” という基本的な目的があるのだという。
 大愛による大変革によって、多くの人類もろとも命が失われたとしても、個人の “向上の鋭意” は、宇宙規模・地球規模の盛衰・変転とは別に、次の転生へと継続される。
 人によっては、また時と場合によっては、向上心を維持できない場合もあるのだろうけれど、向上=創生・創造である。宇宙は絶えざる創生・創造の過程の中にある。宇宙の一部である人間には創生・創造(向上)の趨勢が分有されている。だからこそ、創生神話の中に揺るぎようのない真実の一面が語られているのだし、それを有意な創生・創造(向上)として解釈し沿うべきなのだろう。 

   《参照》  『人類が生まれた秘密をあかす』 深見東州  たちばな出版

              【人類誕生の理由】

<了>