<前編> より

 

 

【アルゼンチンのペソ暴落とその後の株価上昇の原因】
 2002年にアルゼンチンのペソが暴落した。そして、2003年にアルゼンチン株に投資した人間は、97%もの株価上昇で大きな利益を得た。
 その原因は何か。1994年のメキシコ、97年の東アジア、98年のロシア、99年にはブラジルと、次々に通貨危機が発生した。これは巨大な台風が移動しながら各地に被害を及ぼすのと同じで、 “サヤ取り業者” と呼ばれる巨大台風が通貨危機の次の行き場としてアルゼンチンに上陸したにすぎないのである。
 ・・・中略・・・
 しかし、台風(低気圧)が通過した後には高気圧が流れ込んでくるように、大混乱のあとに回復が訪れるのはごく自然のことである。 (p.162)
 なるほど、アルゼンチン上陸以前に、台風が4か所に上陸していたのなら、わかりやすかったのだろう。しかし、一般の日本人は、おそらく、東アジアの通貨危機以外の3か所について知らなかった人の方が多いのではないだろうか。 「考える技術」 の前提は、正確かつ客観的な事実の収集からである。
 だったら、客観的事実が収集できなくって、前提が立てられないときはどうすればいいのか。

 

 

【マッキンゼーの面接試験問題】
 マッキンゼー時代に著者が出した面接試験問題だという。
 急に明日からタンザニアに半年間出張することになった。持って行けるのはルックサック一個。あなたはリュックサックの中に何を詰めますか?
 この問題に 「正解」 はない。あくまでも知識ではなく、考え方のパターンを試すテストだからだ。
 マッキンゼーに入ってうまくやっていける人間は、瞬時にこんな答え方をする。「すみません、私、タンザニアがどこにあるのかよくわかりません。でも、たぶんアフリカで、暑いという前提でお答えすると・・・」 というように、答えの前提をはっきりと言うのである。
 このタイプは学校秀才型と違って、パニックになることはない。もしその前提が違うということが分かれば、前提を変えて答えることができるからだ。 (p.172)
 「考える技術」 の上達は、前提とその検証、そのピラミッド的(ときに並列、ときに縦列)な繰り返しが基本ということらしい。

 

 

【「考える」 ということ】
 「考える」 ということは、自分に 「知的備蓄」 をつくるということにほかならないのである。
 ふだんから考えることを怠り、時間があればうたた寝をしているような連中は、21世紀の複雑系の世界では落後していくしかない。 (p.175)
 現代はニュートン力学のように、初期値を与えれば到達地点が分かるというような時代ではなく、葉っぱがどこに落ちるかを予測しなければならないような複雑系の時代だという。葉っぱの着地地点を特定できなくても、せめて着地する方向を予測することは、「考える」 ことで可能になると書いている。
 
 
【中途半端に時間を使うな】
 いちばん困るのは、何事も中途半端な人間だ。ピアノも少々、バイオリンも少々、ギターも少々。だけど人前で弾けるほどではないというタイプ。ゴルフもマージャンも釣りもたしなむ程度というのが最悪のパターンである。こういうタイプの人間は、時間の使い方も中途半端になりがちだ。
 たとえば、私のやっているビジネススクールでは、・・・中略・・・、1年100時間のコースが 「忙しくてできません」 という人間がいる。1年で100時間というのはそう大した時間ではないし、・・・中略・・・、その100時間を作れないような人間は、どのみち何をやってもダメということだ。 (p.177)

 

 

【先見性は論理的思考の産物】
 先見性と言うと、あたかも予言か何かのごとき 「ひらめき」 とか 「直感」 によって生まれるものだと誤解している人が多い。しかし私に言わせれば、先見性もまた論理的思考によって生まれるものなのだ。(p.214)

 

 

【 iPod はどうなるか?】
 しかも、勝者であるはずの iPod でさえ、前章で見てきたように5年後には携帯電話に統合されて “用済み” になる可能性が高いのだ。 (p.249)
 この書籍が書かれた2004年11月から5年近く経った今、iPod はまだ現存しているけれど、デジカメ同様、iPodも複合機能を併せ持つ携帯電話にいずれは飲み込まれてゆくことだろう。
 
 
【役所の窓口のうち、なくせるものを考えてください】
 たとえばシンガポールでは、建築許認可申請などは、現在すでにCADで受け付けている。あとはコンピュータで基準に適合しているかどうかを判定するだけだから、一瞬で 「OK」 と認可が下りるのだ。日本のように県庁の建築許可に1ヵ月もかかるなどという話は、すぐにでもなくせるのである。
 日本の場合、建築基準法そのものに裁量の部分があるためコンピュータ化できないのだが、本来、建築基準は非常にコンピュータになじむ性質のものだ。現にシンガポールで稼働しているシステムは、日本のコンピュータ会社が作った。ところが日本の役人は、「自分たちが用なしになってしまう」 ということで自分が裁量する部分を手放そうとしない。それがコンピュータ化できない理由なのだから、じつに情けない話である。(p.258)
 建築基準に限らず土木基準においても、こういった事例はきっとあることだろう。
 全国共通であるべき政府のシステムですら、共通にすべきDBレイアウトを指示しないまま、各自治体が独自に違った業者に発注してしまったため、今や統合に莫大な費用を要するシステムになっている。
 社会保険庁の年金に関しても、本来は誰がやっても簡単な式で算出できて当然のものである。いまだに、意図的に分かりづらくしているとしか思えないような意味不明な表がずらずら並んでいる。お役人とこれに癒着した業者ほど、本来の高性能で効率的なIT化を阻んでいる人々はいない。

 

 

【教育とIT】
 私は管理職教育のシステムを作り、1998年からブロードバンドで一度に300人に教えているが、実際にやってみてこの方法のほうがはるかに効果がある。・・・中略・・・。私自身がやってみて、いずれ学校の教育も大変革されるだろうと確信している。
 現実に、教師の本当に大事な仕事は進路指導だったり、生徒が人間として成長してゆくための生活面・精神面での指導だったりする。それが今の教師にできていないから遠隔教育に淘汰されてしまうのだが、逆に考えれば、これはチャンスである。・・・中略・・・、子供たちが人間として成長していくことを手助けする、教育者本来の仕事に力を注ぐことができるのだから。(p.261)
 学びたいけどイジメなどの理由で不登校になる生徒は、PC上で優れた e-learning 教材に出会えるのだから、なにも無理して学校になど行かなくてもいいだろう。
 生徒の理解の進み度合を無視した、学校の授業より、個人のレベルに合わせて学べる e-learning 教材が出そろえば、生徒にとっていいばかりか、教師も本来の仕事に戻れるはずである。しかし、それを公立高校が率先して推進するとは思いがたい。
 中高の私立高校と公立高校における e-learning 教材の格差は、日増しに拡がってゆくことだろう。      
 
<了>
 

以上