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 ドイツ人で自動車の父といわれたカール・ベンツ。彼が生きていた85年間 (1844~1929) に変遷した車の設計図面や写真が豊富に掲載されている。
 『アメリカに車輪をつけた男』 ヘンリー・フォード (1863~1947 )よりは、20年、時代を先行して生きている。 旧大陸と新大陸の違いはあれど、時代の変化が急加速しつつあった頃であるから、その20年の差がフォードとの大きな違いを生んでいるらしい。

 

 

【ダッシュボード】
 ベンツが晩年にモータースポーツについていけなくなったのは残念だが、ベンツ車がヨーロッパの旧体制側の人達に人気があったように、永い馬車の歴史的背景があったためであろうと思われる。現在の自動車のハンドルの前面に付くダッシュボードの名称が馬車の泥よけに由来するように、先達から多くのことを継承しながら自動車は発展していくのである。 (p.122)
 訳者あとがきのクロージングセンテンスであるけれど、この本の読後感は、まさにこの文章に集約されている。

 

 

【馬車を対比しての設計・製造】
 もしも所有者が自分で運転をし整備をすれば、年間の必要経費はたったの600ポンドで、馬車輸送の場合と比べると、同じ支出で経費は半分になることになる。 (p.34)
 当時、馬車と御者を所有するということは、餌代などを含め少なからぬ経費を必要としたらしい。
 ベンツとダイムラーは乗り物のスピードよりも実用面の要求に的を絞った実験を重視した。二人は下層・中流階級の出身だったが、もし二頭立て馬車が上位中流階級の標準的な輸送機関を代表し、四頭立て馬車が金持ち層を代表するならば、2馬力と5馬力の機械的な輸送機関があらゆる自動車の要望にこたえることができるはずだと確信した。
 こうしてベンツのアイデアは画期的な自動車に結実し、1885年歴史的な初運転をした。 (p.34)
 これがベンツがマンハイムで作った初の自動車。
 形は、幌なし馬車そのもの。前輪は1つで三輪車である。
 また、同年にダイムラーが製作した唯一のオートバイも運転を成功させている。
 数年前にマルクスとルノアールという二人が車を走らせているので、世界初の車というわけではない。

 

 

【保守的実用性の罠】
 モーターレースで成功した生産者たちは新しい市場を開拓し、ベンツに持っていかれた多くの客をうまいこと取り込んだ。カール・ベンツ自身は変化しているまわりの状況に概してうとかった。
 彼は最初の自動車を発明したのは自分であり、1900年までには自動車をその究極段階にまで到達させたと固く信じていたようである。ベンツは彼以上の設計は誰にもできないものと確信していた。・・・(中略)・・・。低速で反応の鈍い彼の水平エンジンは完全な設計であり、ダイムラーの高速動力エンジンは一時的な成功に過ぎないとベンツは確信していた。
 ベンツの販売が落ち込んでいる間、彼は情勢に目を向けようとせず、買おうとする人達がまち望んでいるものをつくろうという考えはさらさらなかった。・・・(中略)・・・。彼は、将来を見すえた新しい開発のために時間を割くよりも、古典的な製品の販売先をてこ入れすることにずっとこだわりつづけた。 (p.77)
 ベンツにとって先行車は、やはりどこまでも馬車のみだったのだろう。馬が跳ね上げる泥を防ぐためのダッシュボードは、前方の視界を遮りはしないけれど、ベンツを追い越そうとする他社の車が迫っている時代の変化を、心理的に遮ってしまっていたのかもしれない。
 自動車の父といわれる人であっても、やはりこのように保守的になってしまう傾向がある。
 ましてや、時代の先鞭をつけるような革新的なことなど生涯において何一つなしえていない我々大多数の凡人は、生まれてこの方、一貫して致命的なほどに保守的である。ベンツを笑うことなど到底できはしない。
 
 
<了>