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 著者は日本で生まれた在日コリアン2世だという。

 

 

【日本国内で在日韓国人が密集している地域】
 東京では、上野、三河島、新大久保。
 三河島には特に、済州島北部の高内里(コネリ)出身者が非常に目立つ。 (p.16)
 それは、戦前、高内里出身の顔のきく軍需関係者がいたために、渡航証明書を容易に入手できたからだという。
 この書籍には、在日の人々が戦後土地を手に入れることができた理由が書かれていないけれど、それは、アメリカ軍の絨毯爆撃で破壊された住宅とともに、その住人も死んでしまっていた場合、その土地は先に住み着いた人の者になったからである。
 三河島に隣接する日暮里付近には繊維関係の販売をする店舗が多いが、これらの中にも韓国から安く繊維を仕入れて商っている在日の人々が多いようである。
 神奈川県では京浜工業地帯の労働者としてやって来た人々が川崎に住み着いた。
 京都には伝統産業である西陣織や友禅の作成にかかわる過酷な下働きを担ってきた伝統ある在日コリアンがいるという。
 大阪では、御幸通り、鶴橋に大きなコリアンタウンが存在する。
 阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区にも、ケミカルシューズ業界に関与する在日が非常に多くいるという。

 

 

【スポーツ界】
 日本に帰化しない限り、官公庁や大企業にはほぼ99.99%就職できなかったので、在日韓国人の進出する職業は、スポーツや芸能の世界、それに、著者は書いていないが、ヤクザの世界と水商売の世界が主体になっている。(但し、現在は就職に関する国籍条項を撤廃した自治体は、川崎市を筆頭に、かなりの数に上っている)
 スポーツでは、力道山を嚆矢として、プロ野球界にも名選手が多い。3000本安打の記録を持つ張本勲選手は、引退後も日曜日の朝の番組で今も頑張っている。フィギュア・スケートのコメントで、「キム・ヨナは真央ちゃんよりも高い得点を出して優勝ですよ。アッパレ!」 と堂々と発言して番組をかなり盛り下げていた。

 

 

【音楽】
 コリア民族は、「アジアのラテン系」とよく言われる。・・・(中略)・・・。20世紀は植民地支配と悲惨な内戦によって悲劇のどん底をさまよったが、それでも民族が希望を失わなかったのは大らかな性格が根底にあったからだ。
 コリア民族が特に大好きなのが踊りと歌。在日コリアンの祝いの席で、一世たちを中心に参加者みんなが歌って踊りまくるという場面を何度も見てきた。 (p.112)
 ソウルでパンソリを見た時、間断ない音楽と踊りの連続に、強い違和感をもったことがある。いわゆる “間のない芸能” という点でも、コリアは明らかにラテン的である。

 

 

【作家】
 私は大学を卒業してからそれほど文学を読んでこなかったから知らなかったけれど、在日コリアンで文学賞を受賞している人々が結構いることを、この本ではじめて知った。在日コリアンが文学で活躍する理由を、著者は、こう述べている。
 文学では、いかに切実なテーマを自分の内面につきつけられるかが大事。そういう意味でも、在日コリアンはその境遇からごく自然な形で切迫した主題を身につけている。 (p.117)
 現在の在日の若者たちは、既に3世4世の世代に入っているだろう。朝鮮学校にでも通わない限り日本語しか話せないであろう在日コリアンは、実質的にコリアンと言えるのだろうか。
 「国家とは国語」と言われるように、国家と言語と文化は一連のものである。既に日本語を話せなくなっている日系アメリカ人3世や4世が、日本文化の本質を理解するのはほぼ無理であるとチャンちゃんは思っている。彼らはアメリカ人以外の何者でもない。
 どの国の人がどの国に住む場合であれ、住んでいる国の言葉しか話せないで、住んでいる国に根ざす意思のない人々のありようが、チャンちゃんには理解しがたい。

 

 

【同姓同本を娶らず】
 朝鮮半島では、「姓」と「本貫」が同じであれば、同じ一族とみなされ広い意味で親族となる。この「本貫」とは、その「姓」が誕生した故地のことである。
 さすがに最近は法律上で許容するようになったが、社会通念としては「同姓同本を娶らず」という戒律はまだ生きている。   (p.124-125)
 日本にはあってもせいぜい「家系図」だろうけれど、朝鮮では「族譜」で何十代も前の先祖を特定するのだという。これこそ儒教社会の根底をなすもの。

 

 

【日本国内の朝鮮人の推移】
 この人口の数値は、書籍により極端に違っている場合があるけれど、この書籍には概略以下のような数値が記述されている。
  1000人 : 日韓併合以前に日本に住んでいた朝鮮人
 31万人 : 朝鮮総督府が1910年代に徹底した「土地調査事業」を行って、農民の土地を収奪した故の増加
230万人 : 敗戦(1945年)の時の人口(国家総動員法で日本に連行された人数およそ200万人)
 88万人 : 戦後帰国した数142万人
 62万人 : 現在の在日人口。    (p.140-142)
 戦後(1945)、帰国船が運航されたのにもかかわらず、日本に居残った人々は、自らの意思による選択だろう。その後、朝鮮戦争(1050-1953)の勃発によって帰国を断念した人と、再び日本にやって来た人々も少なからずいるはずである。
 在日となった人々が日本で盛んにさせた2大ビジネスが、焼肉とパチンコだという。

 

 

【在日コリアンの3大出身地】
1位:慶尚道(キョンサンド):釜山を中心とする、韓国の南東部の地域。
 地理的にも日本に一番近いので、それも当然か。また、慶尚道は山間部が多く、農地に恵まれなかった。やむにやまれぬ事情で日本に渡ってくるケースがほとんどだった。 (p.173)
2位:済州島:東シナ海に浮かぶ周囲240kmの楕円形の島
 火山島であるため土地は痩せ、島民の暮らしは貧しかった。
 戦前に済州島と大阪を結ぶ定期連絡船があった関係で、貧しい環境からの脱皮を求めて多くの若者たちが日本にやってきた。 (p.172)
 此れゆえ、大阪には済州島出身者が多いという。
 日本で大学教授をしている呉善花さんが、『海の彼方の国へ』(PHP) という本で、ご自身の出身地である済州島のことを詳しく書いている。
3位:全羅道(チョルラド):韓国の南西部の地域。
 朝鮮半島の最高の美食地帯であり、キムチ、ビビンバ、塩辛などの食文化の中心地でもあるのだ。
 ビビンバとは日本語で “混ぜる” の意味である。
 韓国人にビビンバを勧められても、決して混ぜることなく食べていた日本人女性を見ていて無性に可笑しく思ったことがある。上品な日本人女性は、 “混ぜるという行為が美しくない” ので、忌避してしまうのである。
 日本へやってきたばかりの韓国人は、男性であれ女性であれ、牛丼を最初からいきなり混ぜているから、すぐに韓国人であることが分かる。日本人に言わせれば、そのような食べ方は “猫マンマ仕様” になってしまう。
    《参照》   日本と韓国<文化に関する雑記>
4位は韓国中部の忠清道(チュンチョンド)で、のんびりした性格の人が多いそうである。

 

 

【外国人登録者数に閉める韓国人の割合】
 法務省入国管理局の2000年度統計 (p.183) によると、韓国人の割合は37%となっている。

 

 

【共生】
 過去の歴史には痛ましい不幸があった。かって関東大震災のとき、流言飛語によって数多くの在日朝鮮人が虐殺された。しかし、阪神大震災のときはまったく逆だった。そのとき在日コリアンと日本人の結束には、「不幸な歴史を絶対に繰り返してはいけない」という強い決意が込められていた。 (p.188)
 
 

<了>