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 帝国主義以来の西欧の悪知恵、特にアメリカのそれにはホトホト感心している。しかし、感心しているだけではいけない。日本の良さを知って、日本のもつ本来的な役割を見出さなくては・・・。


【曲学阿西 と 西洋中心主義】
 西洋文明も支那文明も、日本の西方から入ってくるので、私はこれら輸入文明を礼賛する学者、文化人を「曲学阿西」の徒と呼ぶことにしている。これは終戦直後の流行語、「曲学阿世」をもじったものである。 (p.96)

 世界史における西洋中心主義、それは明治20年に帝国大学が招いたお雇い外国人教師ルートビッヒ・リースに遡ることができる。彼は近代歴史学の父といわれたランケ(1795~1886)の高弟だが、そのランケは世界史講義の中でアジアを蔑視し、アジア野蛮論を説き、西洋優位支配の正統性を述べている。西洋は善であり父であるという西洋から見た世界史の伝統が、帝大のリース教授を通じて現代の教室にまで尾を引いているのは不幸というしかない。 (p.54)

 今こそわれわれは「白禍」という名の文化侵略に載せられていたことを反省して自尊自栄の日本国を構築し、日本文化を再発見し、誇りをもって欧化に対抗すべきときなのである。  (p.90)
 曲学阿世の代表とは、ソ連ならばルイセンコ、日本では横田喜三郎である。
 それにしても、日本人全体が、真正の日本神道について知らなさ過ぎる。日本は、神道は、世界に対して重要な役割を担っているのに。

 

 

【日本の植民地支配の異質性】
 日本の大東亜戦争を契機として、彼ら(西洋諸国)は虎の子の植民地を失ってしまったので、とたんに斜陽国に転落していった。
 ところが、日本のみ戦後植民地を失ったにもかかわらず、独り空前の繁栄を誇っているのはなぜだろう。日本にとって植民地は略奪の対象ではなく、国費持ち出しの対象だったからである。
 これによって、日本のいうところの植民地支配は、西洋のそれとは全く異質であったことが、はからずも実証される結果となった。 (p.163)
 さらに付け加えるならば、日本の植民地であった台湾、韓国ともに戦後大発展したのに、西欧諸国の植民地であった国々は、香港、シンガポールの都市国家以外、発展しなかったことも、明々白々な実証である。
 

 

【日本をどこに見出すか】
 日本に普通にあって外国にはないものの中に、日本の本質はあるはずだという視点である。それは風土環境、神道、天皇制、日本語、手の文化、けじめ文化(時間認識)、家族制度、湯の文化、長寿文化、道の文化、義理人情、思いやり、ワビ・サビ、シブさ、物のあわれ、風、鳥、虫の音の情感などである。これらは日本人の日常生活の中にあり、しかも太古から不変なので、当たり前と考え、これが日本だけの特殊なものとは気付かない。 (p.210)
 これらに関しては、228頁以降に、「パックス・ジャポニカ」を目指せ、という章の中で詳細に記述されている。

 
【人種差別?】
 かつて支那のヨーロッパ諸国の租界では、入口に “犬とシナ人、入るべからず” の看板が立っていた。白人は有色人種に物を与えるのに、直接手で渡さず、犬に対するように床に投げすてて拾わせて平気だった。 (P.216)
 これに関しては、案外、中国人は日本人ほど、差別されているとは感じていなかったのではないだろうか。
 現在の中国でも、買い物の後、釣り銭の紙幣は投げて返されるし、職場内の中国人同士の上下関係は実に露骨である。つまり、中国国内では中国人同士であっても差別が普通なのである。
 

 

【東・西・南・北】
 面白い記述を見つけた。特に「南」がいい。
【北】 私たちは明治・大正生まれの祖父母から、ロジアはその名のとおり「オソロシア」だと教えられた。だから日本では、敗れることを「敗北」といい、「敗南」とは決して言わない。現在でも北京、北朝鮮と、北のロシアは日本最大の北の脅威である。片時も警戒を怠ってはならない。
【西と東】 西の中国からは軍事的脅威を受け、東の米国からはグローバル・スタンダードという名の経済、金融、文化的脅威を受けている。私はこれを西の「中禍」と東の「白禍」と呼んでいる。
【南】私は最近「南」という文字を分解して次のことを発見して喜んでいる。この文字の構成は、東西の壁に守られて、その内側に「幸」という字が浮かび上がってくるからである。さらに、よく見るとその壁の内側に通貨の「¥」も隠されている。
 アメリカ通貨=$の世界に対する支配的な役割が終焉を迎えれば、日本の通貨=¥が世界に幸せをもたらすことになるだろう。日本は、和の国であり、共生の国であるのだから。
 
<了>
 

  清水馨八郎・著の読書記録

     『グローバル「白人スタンダード」という新たなる侵略』

     『「日本文明」の真価』