がっかり、である。
 アンバサーダー・ホテル。その場所にいた一般人の日々と共に描かれていたのであるが、当時のアメリカの高揚した雰囲気は、殆ど伝わって来なかった。


【ボビー】
 何も知らない人のために、基本的なことを書いておくと、ボビーとは、ロバート・フランシス・ケネディー (RFK) の愛称である。1960年にアメリカ大統領になったジョン・フィッツジェラルド・ケネディー (JFK) の弟で、兄が大統領だったときは、ボビーは司法長官を務めていた。
 当時のアメリカは、国内・国外に重要な問題を抱えていた。
 国内問題としては、当時のアメリカには人種差別がまだ根強く、黒人に白人と同様な「公民権」 (日本流に言うなら 「市民権」 である) はなかった。ボビーは黒人に「公民権」を与える法案成立の積極的な推進者だった。
 国外問題としては、アメリカはベトナム戦争に介入を続け、戦場に送られた大勢の若者達が死んで行った。無事任務を終えて帰国した若者が結婚して子供が生まれると、枯葉剤の影響で奇形児たちがアメリカ国内でも数多く生まれていた。しかし、戦争を続けることで利益が確保できる軍需産業に関与するパワー・エリート達は力ずくで奇形児情報は押さえ込み、戦争を続行させていたのである。ボビーは、ベトナム戦争反対の政策を掲げる重要な人物でもあった。
 ボビーの兄、JFKは大統領になって僅か2年で暗殺されてしまう。暫くして、黒人を良識的に結束させていたキング牧師も暗殺されてしまった。ボビーは国内問題においても国外問題においてもアメリカの最後の希望の星だった。 
 しかし、ボビーがカリフォルニア州で大統領予備選に勝ち、アメリカの希望と理想と良識が再び実現できると国民が信じたその時、アンバサダー・ホテルで暗殺されてしまったのである。


【この映画は・・・】

 この映画の製作者は、ボビーを中心にしてはいるが、アメリカ60年代の雰囲気をできるだけ自然に再現したかったらしい。場所は、大統領選の行方を占うのに重要なカリフォルニア州。ベトナム戦争に反対を唱える若者たちがカウンター・カルチャーの担い手として集まっていた州でもある。故に、LSDなどのトリップ剤にはまる若者が、ボビーへの投票活動をサボるなどというシナリオで描かれていた。
 なるほど、実際にはそのような若者がいたかもしれない。しかしこれではアメリカ全体に燃え上がった希望や理想の雰囲気など感じられないではないか。落合信彦の 『BOBY THE MAN』 には、足腰の悪い老人達を送迎してボビーへの得票を促進させようとガンバル大勢の若者達の姿が描かれていたのに・・・・・・。
 希望や理想の再現を希求していた時代、その雰囲気が描かれていないから、アメリカの良心となる人々の、深い深い挫折も哀しみも殆ど伝わってこないのだ。
 このような1960年代アメリカの大筋すら知らない日本の若者がこの映画を見たら、“ボビーが暗殺されて、嘆き哀しむ人々で混乱した場面があって、「暴力はよくない」というナレーションの字幕があった”、という程度の感想しか持てないのではないだろうか。
 だから、ガッカリなのである。


【この映画より 『BOBY THE MAN』】
 『BOBY THE MAN』 は、落合信彦の小説。『男たちのバラード』 か 『英雄たちのバラード』 のいずれかに収められていた短編である。


    《関連参照》   『それでもなお、人を愛しなさい』 ケント・M・キース 早川書房

                 【「逆説の10か条」 が書かれた頃のアメリカ】



<了>