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 日本人の富山さんと、国際的に高い評価を受けていた韓国人の芸術家夫妻の対談。李さんは1904年、朴さんは1926年生まれの方なので、韓国の最も激動の時代を生きた方。その意味で、本人の直接の体験談が語られている内容は、貴重である。


【日本統治の初期段階】
[富山]  先生(李)の叔父さんは1906年に「日韓併合」に抗し、義兵をつのって闘われたが破れ、自害されました。・・・みなさんにとって、何と不幸な隣人をもったことでしょう。でも李朝の民画を再認識した柳宗悦のような人がいたことは、いくらか心が休まります。
[李]  1919年の3・1独立運動は日本の弾圧で敗れたわけですが、しかし朝鮮民族のエネルギーに日本は恐れをなしたのでしょうね。それまでの武力的な弾圧から、文化統治という懐柔策に朝鮮総督府は政策を変えたわけですよ。それで民衆運動や文化活動が盛んになるのですね。 (p.81-83)

 私がこの部分を書き出しておいたのは、韓国人留学生が、日本統治期間中全期間にわたって武断統治を行っていたかのような、ありえない思い込みをしているらしいことを感じているからである。
 


【韓国に広まったキリスト教】
[仁景]  朝鮮でキリスト教が力をもちはじめるのは、ひとつには封建制度の重圧から逃れるためと、もうひとつは天皇を現人神としてあがめることを押しつけてくる日本の植民地政策への抵抗ということもあります。 (p.85)

 現在の韓国は、既に封建制度の時代ではないし現人神も存在しない。なのにキリスト教の信者が日本に比べてとても多い。つまり本質的な理由は上述のいずれでもないのである。
 両班と賤民を分かつ階級社会が固定的に存在していたことが本質的な理由なのである。支配される者は、支配する者を上位から裁く宗教的存在、すなわち一神教を受け入れやすいということである。


【済州島の悲劇】
[富山]  済州島民の蜂起に対して李承晩の弾圧はものすごいものですね。1948年から49年にかけて、島民の20数万のうち三分の一が虐殺されたそうですね。私は在日朝鮮人作家、金石範の 『鴉の死』 という小説で知ったのですが。(p.130)

 李承晩はアメリカの後押しで大統領になった人物なので、アメリカの要求に従ったのだという。済州島のこのような大虐殺について、おそらく韓国人は知らされていないのだろう。


【フランスで拉致・ソウルに投獄】
 画家の李さんは、日本支配下で協力していた朝鮮人が今度はアメリカの下で働いている状況につよい危機感を感じていたという。
 そんな李さんの政治的発言が当局に嫌われ、フランスで拉致されソウルの監獄にいれられたそうである。


【文化を尊んだフランス】
[李]  韓国で出版されている現代絵画の画集から、私の名前も作品も排除されています。
[富山]  そうなんですか。振り返ってみますと20世紀の画家の歴史は政治的な受難の歴史のように思われますね。ロシア革命で追われてきた画家、スペインからの亡命者、ナチスから逃れてきた画家など、思えばパリというところはそれぞれの国を追われてきた芸術家たちを迎え入れることで文化的に豊かになったところですね。(p.194)

 ヨーロッパの中心と自負するフランス、アジアの中華を気取る中国。フランス近代には文化の積み重ねがあるけれど、中国近代は文化の流出ばかりである。中華を自負するのは勝手であるけれど、文化を軽んずる国は、即ち覇権意欲を露骨に表すだけの野蛮国家だろう。厳重注意が必要である。


【ピカソが描いた『1951年・朝鮮の虐殺』】
 この作品のことを知っている韓国人はどれほどいるのだろうか。ピカソは、スペイン内戦で民衆を弾圧した政治家に抗議して、『ゲルニカ』を描いた。ピカソは同時代に極東の地・朝鮮で行われていた政治的弾圧にも目を向けていたのである。
   《参照》  『世界・美術の旅ガイド2 南フランス』 (美術出版社) 《後編》
            【ピカソ】~【南仏で】

 203ページ以降に、富山さんの「画家と人生」という章の中に書かれていることを読んで、学生の頃読んでいた本のことを思い出していた。芸術家達は、激動の時代の中で弾圧に屈することなく芸術家として立派に闘っていた。ゴヤ、グレコ、ベラスケス。これらの画家と絵画は、すでに私の中では、どれが誰の作品なのかわからなくなってしまっているけれど・・・。

 

<了>