イメージ 1

 

 副題に、「思索へのトリガー」と書いてあるけれど、著者自身の知的な思索を書き綴ってみた書籍のようだ。読者にトリガーを提供するような内容ではない。


【引用の連続】
 前半は、古典の短文が連続的に引用されている。著者の思うところを、できるだけ古典からの引用で構成することで、密度の高いものにしたかったようであるけれど、読む方とすればかなり分かりづらい。


【数学とは何かの議論】
 117頁から記述されているこの部分は、チャンちゃんの頭ではチンプンカンプン。興味が持てて理解ができるとしたら理学部数学科の学生くらいのものだろう。


【宗教への思い】 

 般若系(←誤植:経)、浄土三部経、法華経、維摩経などの大乗経典もさることながら、本当に惹かれるのは、スッタニパータやダンマパダ(法句経)などの原始仏教経典である。(p.148) 

 と著者さんは、書いている。
 これに関しては、全く同感。

 法句経は複数の学者さんの手によって訳されているけれど、なんといっても中村元先生の訳に限る。同じ句を読み比べてみて、心に浸み込む度合いの違いは歴然としている。
 中村元先生が訳された岩波文庫の 「スッタニパータ」 には、文末が 「・・・・犀の角のようにただ独り歩め」 となっていた句がとても多かったのを記憶している。群れを成して生きるのが嫌いだったチャンちゃんは、これらを読んで “独り” であることの積極的な価値を見出せて大いに慰められたものだった。
   《参照》  『ブッタとシッタカブッタ2』 小泉吉宏 (メディアファクトリー)



【無駄がないこのとの脆さ】
 すべてにおいて全く無駄が無いというのは、実は脆弱なのである。肺や腎臓が二重になっているのもこのためであろう。肝臓や心臓は一つしかないため、これらがやられれば致命的となるので「肝心」な臓器である。 (p.160)

 なるほどと思い、「かんじん」 を広辞苑で引いてみると、「肝心・肝腎」 の2つが表示されている。しかし、二つある腎臓より一つしかない心臓のほうがより大切な臓器であろうから、「肝腎」 よりは 「肝心」 を使うことにしよう。 

 

<了>