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 脳障害児のルナ君。もう16歳だからかなり大きくなって、ご両親は介護が大変だろう。
 ルナ君の本は、癒しというより、気付き、自己啓発というジャンルに属します。月のシリーズは幾冊もあって、それらのどれであっても必要な人が、必要な時に手にして、必要な部分を学び取ることができます。


【自らの思考を奪い返す】
 いままでの社会が生み出してきた権力への服従により、人は自らの思考を奪われてきたのです。いま、気付き始めた人々が他人への依存をやめ、自らの心に問う時代が来ています。 己自身を深く見つめたとき、人はそこに神をみるのだと思うのです。 (P.102)

 自らの思考を回復させるために、リセットする勇気のない人々より、もしかしたらニートの方が魂の深いところで、神とつながっているのかも・・・・などと考えてしまいます。いや、ニートの大半は、神や宇宙にすら、心が向いていないように思います。彼らの魂は、単なるカラッポで、そこに不善という名の悪魔が住んでいるかもしれません。魂は志向性を持たなければ輝けないのです。思考、志向、試行、施行、指向、至高。これらの言霊が証拠です。


【宗教的環境】
 宗教的環境というのは、本来の宗教の本質を知ることと宗教の矛盾を感じるためにとても良い環境であったと感じます。本来の宗教の教えは、だんだんとこうあるべきという押しつけが強くなっているものが多いのですが、実際、元をたどればまったく違うものであると知ることになります。 (p.111)

 ルナ君の言うとおりだと思います。付け加えるなら、神道系教団は、仏教系の教団より、宗教的環境が孕む矛盾をより過少な状態へと上手に回避していると思います。メイン・フィールドとしている次元が違っているのですから。
 まとも至極な神道系教団であるならば、ジョン・レノンの「イマジン」の世界を目指していることは確実です。
    《参照》   『今あなたに知ってもらいたいこと』 オノ・ヨーコ (幻冬舎)


【パ~の進化論】 (p.155)
 ここで言うパ~とは、クルクルパーのことです。つまり、頭の悪い人々は進化するという面白いロジックです。具体的に言えば、ルナ君のリハビリを手伝うために、交通費をかけ、時間をかけてやってくる人々。そんな彼らのように、己の心の満足だけで行動してしまい、損得計算のできない人々はパ~なのであり、頭の悪い人々であるのだそうです。
 いうまでもなく、立派な反語表現であって、頭の悪い、パ~な人々は多大な徳分を積んでいるわけです。人は己が心の最も深い部分を満たすために、「損得を抜きにして、人助けがしたい」、と思えるのが本来の姿のように思います。

 

<了>