【前置き:アリストテレスの恋愛論】
数年前、同じ著者の 『愛をみつける アリストテレスの恋愛論』(サンマーク出版) を読んで、「ニコマコス倫理学」ってこんなに素敵な内容だったのか!と感嘆したものだった。大学の一般教養で選択したものの、「ニコマコス倫理学」ってタイトルからして「なんじゃこりゃ」だし、内容など言わずもがなの食わず嫌い的な意味不明で終わっていた。
著者は “こ難しい哲学” を、 ”分り易い文学的表現” に翻訳してくれている。だから良いのだ。哲学書でも倫理学書でもなく、良質な自己啓発書になっている。
それにしても、著者が過剰に善意の解釈を付しているのでないとするならば、アリストテレスって、これほどまでに現代的な垢抜けた、いや、現代的などではない、これほどまでに “聖なる恋愛論” を語っていたの! と驚いたものである。女流作家が書くような低級な恋愛論などを読むより、この “聖なる恋愛論” を読むほうが圧倒的に人生に資することが多いこと請け合い。
ところで、この本は今、猫の親分(妹)の本棚にあるはずだ。おそらく “猫に小判” 状態なのだろう。
【本題:ニーチェの恋愛論】
そんな読書ショックを与えてくれた著者の本なので発見して直ぐに買ったのである。こんどはアリストテレスではなくてニーチェ。
ニーチェといえば、大学生のころ読んだ 『ツァラトゥストラかく語りき』 を思い出してしまう。許せないほどにどうしようもなく傲慢で、そのくせ魂ごと魅入られてしまった、その語りの世界を。
私はそのとき 『ツァラトゥストラかく語りき』 を恋愛論という括りで読み取った記憶は全くないが、著者がどう書いてくれているのか、とても興味があった。美しいイラストを配して詩のように書かれているので、15分程度で熟読できてしまう。愛に関する記述、納得至極なので、最後の部分を書き出しておく。
『 私が今までに聞いたもっともしとやかな言葉
“真実の愛の中では、魂が肉体を包み込むものだ” 』
愛の中においてのみ、
人は始めて創造することができるようになる。
創造は、愛への感謝に満ちた返礼である。
そして、思い出せ!
この世は、すでに創造されている。
もし、愛をもっていきることに
なんらかの見返りや報酬を願うならば、
もはや愛の大地から転落している証拠である。
われわれは受け取る者ではない。
われわれは、橋である。
愛が通るためにかけられた橋である。
ニーチェに思い入れがあったのを思い出して、再度『ツァラトゥストラかく語りき』を読んでみたくなってしまった。
白取春彦
<了>