◆ 日本経済成長の概要 ◆
 第二次世界大戦を行っていた日本は1945年に敗戦を迎えましたが、その後、朝鮮戦争が終わる1953年頃まで、実に7年間もアメリカの占領下におかれていました。そして1960年頃から本格的な経済成長が始まり、1989年のバブル崩壊まで30年近く高度経済成長が続きました。バブル崩壊以降、政治的な対応の悪さで不況が長引きましたが、それでも日本は依然として世界第2位の経済力を保持しています。
 留学生の皆さんから、「日本の経済力の強さの原因は何ですか」 と訊ねられます。 「その原因は、日本人の 『勤勉さ』 と 『教育』 である」 と答える日本人が多いようですが、それだけではありません。いくつもの理由があります。
 基本的な理由を下記の5つの分野に分けて簡略に説明します。

  < 別紙の 日本の産業技術力について も参照してください >

【政治】
 経済発展にとって、政治的な安定は実に重要なポイントです。政権が変るたびに政策が極端に変るようでは、長期的な企業の安定成長など望めません。
 欧米では、二大政党が順番に政権を担当していたのに対し、日本は、高度経済成長期間中、自由民主党という政党がずーっと政権を維持していました。隣国・北朝鮮という政治的不安定要因を軍事政権で克服し続けなければならなかった韓国や、文化大革命(1966~1977)という国内闘争をやっていた中国が、この期間殆どまったくと言っていいほど経済発展できなかったという事実を、日本と比較して見てください。政治が与える経済への影響力の大きさを物語っています。

【社会】
 具体的には、経済発展以前に身分制度・階級制度がなくなっていたことです。ヨーロッパでは今日でも階級(Class)が厳然と存在しています。日本では、江戸時代まであった 『士農工商』 という身分制度が、明治維新(1867)で壊されましたが、新たに 『士族と平民』 という階級が発生してしまいました。しかしこれも第2次世界大戦の敗戦でなくなりました。
 一万円札に描かれている福沢諭吉は明治維新に係った人物ですが、彼は古い身分制度を廃止するために、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という言葉を語っています。誰もが成功できる可能性がある(希望が持てる)という社会条件の有無が重要なポイントです。

【文化】
 中国人の実業家である邱永漢さんは「中国や韓国は商人国家、日本は職人国家である」と本の中で書いています。優れたものを作りたいという日本人の職人気質は、利益を求めてのものではなく、あくまでも職人自身の 『美意識』 に基いているのです。
 昔の日本人ならその本質を用意に察知できるでしょうが、武士道の根本にも 『美意識』 が横たわっています。つまり 『美意識』 は日本文化の基底なのですから、職人だけが持っているのではありません。サービス業においても 『美意識』 は当然のことのように活かされています。日本のサービス業の顧客に対する接し方を学ぼうとした外国企業はいくつもあるそうです。

【教育】
 日本の経済成長の第一の理由は教育であると考えている日本人が多いようですが、その答えでは部分的な正解でしかありません。個性を尊重しない画一的な日本の教育は、人手にたよっていた高度経済成長前期の同一規格大量生産時代には適していました。しかし、少量かつ多品目の生産が必要とされる今日の経済環境下では、日本の教育は再考を余儀なくされており、現在でも模索段階にあるというのが実状でしょう。
 経済成長に先行する技術教育に関していうならば、以下のような事情でした。
 日本は戦争中、アメリカとの技術力の差を痛感し工業系の学校をたくさん創設しました。しかし間も無く敗戦をむかえ、就職先のなくなった学生達は、小さな町工場に就職していったのです。現在の東京都、大田区・品川区、付近には、世界中から部品の生産依頼を受ける高度な技術力を持った中小企業が多く存在しています。

【国際状況】
 日本と同時期に経済成長を遂げていた国は、世界中に一つもありませんでした。つまり、価格や品質で競うライバルはなく、造りさえすれば、世界中の先進国(特にアメリカ)で買ってもらえるという、輸出独占状態だったのです。このことは、日本経済発展の要因として語られていませんが重要なポイントです。
 しかし、これは単なる偶然ではありません。帝国主義の時代、欧米の植民地にならぬよう、明治維新(1867)を遣り遂げて、アジアで唯一、近代化を成し遂げていたことが根本にあります。産業の米(主食=主要産業)といわれる製鉄業は、既に1901年に八幡製鉄所(現在の新日本製鉄所)として造られ技術を蓄積しつつ準備されていたのですから。
 日本より20年ほど遅れて同時期に経済成長を開始した、韓国・台湾・香港・シンガポールは、互いに価格競争関係にあり、品質においても国民性からか技術蓄積期間の短さからか、先行していた日本製品の品質を超えることは困難でした。 

 

<了>