放射能から身を守れ!放射能情報

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 イトーヨーカ堂は18日、コメのプライベートブランド(PB=自主企画)で、放射性物質の自主検査を始めたと発表した。同社のコメの売り上げの約60%を占める「あたたかのお米」の平成23年産の新米が対象で、19日からは店頭に並ぶ同PBのすべてが検査済みとなる態勢を整えた。

 まず宮城県や新潟県などの産地にある玄米の保存倉庫で、玄米の入荷ごとに検査を実施。その後、首都圏近郊にある精米工場で月1回のぺースで検査を行う。同時に「ゲルマニウム半導体検出器」を持つ第三者機関に検査を依頼し、放射性物質を検出しなかったコメのみを販売する。

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 仙台市青葉区のせんだいメディアテークで開かれている第63回毎日書道展東北仙台展(毎日新聞社、財団法人毎日書道会主催、県、県教委、仙台市、同市教委、東北電力宮城支店、仙台勝山館後援)は19日、東日本大震災の被災地の書家5人による揮毫(きごう)会を行った。気仙沼市の書家、横田汀華さん(64)は津波で自宅を失ったが、震災を乗り越え、来場者の前で華麗な筆さばきを披露した。【須藤唯哉】
 行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います。
 放射能が降っています。静かな夜です
 横田さんは福島市在住の詩人、和合亮一さんの詩集「詩の礫(つぶて)」の一部を引用した。揮毫前には震災直後を振り返り言葉を詰まらせる場面も。しかし筆を執ると真剣な表情で一気に書き上げ、来場者から大きな拍手が起きた。
 震災から半年。横田さんは「将来に対する虚無感だけだった。書道までは考えられなくて、毎日が大変だった」と当時を振り返る。3月11日は父幸治さん(93)と書道仲間の3人でJR鹿折唐桑駅近くの自宅にいた。強い揺れの後で避難したが、自宅は2階の天井近くまで津波が押し寄せたため全壊した。
 4月下旬、自宅2階に置いていた筆やはんこなどの書道用品は流されず、泥まみれの状態で発見された。「泥臭かったり、油臭かったりしたけど、『え、流れなかったんだ』って驚いた。書道はやめられないということかな」と横田さん。5月には同じように被災した地元の書道仲間とともに例年通り書道展に出品することを決意した。
 自宅は現在、「取り壊しの順番待ち」という。震災後は幸治さんと2人で親族や友人の家に身を寄せているが、10月には気仙沼市内の賃貸アパートに移る予定という。
   ◇
 19日の揮毫会では横田さんのほか▽菊池春苔さん▽嵯峨大拙さん▽千葉蒼玄さん▽阿部海鶴さん--の書家4人が被災体験や作品解説を交えながら、腕前を披露し、来場者を魅了した。揮毫後、千葉さんは「被災経験は私にとって、すごく大きな体験だった。今後は被災地を記録していくような作品を作りたい」と創作への意欲を語った。

9月20日朝刊

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 枝野幸男経済産業相は16日の閣議後の記者会見で、「福島県で原発を稼働することに県民の皆さんの理解を得られる状況かと言われれば、そうした状況ではない」と述べた。これは放射能漏れ事故を起こした東京電力福島第1原発だけでなく、福島第2原発の廃炉も不可避との認識を示した発言だ。
 東電は、福島第1の1~4号機の廃炉を表明している。しかし、第1の5、6号機と第2原発の扱いは今後検討するとしていた。 

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 鉢呂吉雄経済産業相は8日午後11時過ぎごろ、福島第1原発視察を終え防災服姿のまま東京・赤坂の議員宿舎に帰宅した際、記者団に非公式の取材に応じた。

 10人程度の記者に取り囲まれた鉢呂氏は、視察について「ひどいと感じた」などと感想を述べた。その際、近くにいた毎日新聞記者に近寄って防災服をすりつける仕草をし「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をした。その後、除染作業を急ぐ必要性を強調した。

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不安抱え、それぞれの道   震災から半年 京への避難者は今
避難先で店を再開した紺野さん。「ほっとしてもらえる空間にしたい」(東近江市乙女浜町)
 東日本大震災の発生から11日で半年を迎え、福島県から京都市の市営住宅に避難した家族が、それぞれの道を歩み始めている。放射能への懸念から当面の帰郷を断念して京滋に腰を据えた人。慣れない土地での生活から東北地方へ帰った人。望郷の思いを胸に、先の見えない生活を送る人もいる。同県南相馬市から逃れてきた三つの家族の今を追った。
■再起 湖国で店再開「戻れない」
 築100年を超える古民家に食器や家具が並ぶ。東近江市の田園地帯に8月、開店した雑貨店「仮庵(かりいお)」。店主の紺野奈緒子さん(55)は地元で営んでいた店を避難先で再開した。
 3月、家族7人で伏見区に避難した。アルバイトで食べつなぎ、母クニ子さん(81)の世話もできる融通の利く仕事を探したが、見つからなかった。慣れない環境に母は帰郷の思いを募らせた。自身も心に余裕がなくなった。故郷に似た景色が広がる土地を探し、2カ月後に湖国に仮住まいを得た。
 南相馬市の自宅と店があるのは、原発から約24キロの「緊急時避難準備区域」。7月、国が区域の解除を検討していると耳にしたことが再開の転機になった。地元に荷物を取りに戻れば自前の線量計が反応する。「安全だという保証はどこにもない。人の命より経済を優先するのか」。不信感から帰郷の選択は遠のいた。
 義援金を使い、店舗用の民家を借りた。南相馬市まで車で7往復して商品を運んだ。肌に触れるハンカチなどは避け、家具などは一つずつ線量計で汚染の有無を確認した。
 東北の工芸品も並ぶ店内の一角では、コーヒーやケーキを振る舞う。「ずるいと言われるかもしれないが、今は故郷には戻れない。自分と同じ避難者を、ここで支えたい」
■望郷 いつか必ず帰る
「この半年、あっという間だった。新しい環境に慣れるのに夢中で」。家族4人で避難してきた鈴木初子さん(62)は、山科区の団地で振り返った。
 自宅は原発から20キロ圏内。いつ帰れるのか。情報を求めて毎日、新聞やテレビを食い入るように見ている。しかし、政府の方針は定まらない。「もう、一喜一憂するのにも疲れました」
 慣れない土地での生活。夫の正明さん(65)は家に閉じこもりがちになった。地元では家族で鮮魚の仲買業を営んでいた。
 福島沖は好漁場。正明さんは「ヒラメ、カレイにカツオやサンマ…。9月は一気にいろんな魚が揚がるんだ」と表情を和らげた。その漁港も、津波と原発事故で機能を失った。
 京都では役所も近隣の人たちも親切にしてくれる。「こんなにいい所に住まわせてもらって、感謝でいっぱい」と初子さん。それでも、いつか必ず帰るつもりだ。「若い人はもうだめと割り切れるだろう。でも私たちは、懐かしい所で死にたいんです」
■帰郷 安心できる環境求め
 山科区の市営住宅に家族4人で避難していた中目優明さん(25)は、5カ月に及ぶ京都での生活を終え、8月半ばに実家のある仙台市に移った。
 南相馬市の自宅は原発から20~30キロ圏。長女琉愛(りあ)ちゃん(2)と長男琉翔(りくと)君(1)への放射能の影響を考えると住めなかった。避難当初は京都で腰を据えると決め、電気設備会社に正社員の職を得た。だが、子どもが頻繁に体調を崩すようになった。働きに出ると、子育ての負担は妻麗望(れみ)さん(25)に集まった。
 市営住宅には避難者が多く、住民の支えもあったが、気軽に相談し合える隣人はできなかった。麗望さんは「自分で頑張らねばというプレッシャーがあった。もっと周囲に溶け込んでいたら」。
 仙台市の借り上げマンションに無償入居できると知った。仙台は夫婦が学生時代を共に過ごした地。「子どもにも妻にも安心できる環境が必要だった」。優明さんは、京都を去ることを決めた。
 仙台に戻り、子どもも落ち着いたようにみえる。一人で歩き始めた琉翔君。京都にいる間に成長した。「家族が一緒にいること。仕事のありがたみ。日常の大切さに気が付いた」と語る優明さんは、再び就職活動を続けている。

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