5月18日 土曜日 晴れ 帰国後追加
この日は雨前で蒸し暑くて、少し歩くだけで汗がだらだら
寄って徒歩で15分程の距離でしたが、まだ短編映画を見ないといけないので
これ以上汗だくはNGだからタクシーで。
三成⇒奉恩寺⇒清潭(チョンダム)まで一直線の大通り!!
ソウルは道幅が広いです!
2016年、王子がインタビューで応えた静かに過ごす時に通うお寺が名刹・奉恩寺です。
冒頭長くなりますがインタビュー記事です。
☆
チャン・グンソク「「黄真伊」・「イケメンですね」時には帰って行きたい」②
2016-01-10 09:50
2009年に放送された「美男ですね」で男女主人公であるチャン・グンソクとパク・シネは
一気に日本と中国を襲ったし、特にチャン・グンソクは、日本で「グンちゃん」という
愛称とともに 'ヨン様'ペ・ヨンジュンをつなぐ大韓流スターになった。
彼は特に歌がされている俳優として、日本で相次いでアルバムを発表して、
大規模公演を開催してきたアジアを回るツアー公演も続いてきた。
国内活動を中断した昨年も彼は日本を中心に熱心に海外活動を広げた。
- 今年の目標は何なのか。
▲「国内」になるのだ。
これまでは、「輸出用」で活動したが、今年は国内で名誉を回復したい。
演技者としてのプライドを回復したい。
これまでの作品に粗雑にしたのが事実であり、反省する。
良い作品を決定しました。すぐに発表するものである。
- 作品の疎かしたが最近作が失望も抱かせた。
▲人は韓流スターを抽選だと思う。韓流スターだけキャスティングすると、
すべてが終わったと思って作品を顧みない。
それと共に韓流スターをキャスティングするために大金を賭けている。
お金に揺れない人はない。私揺れリョトドンが事実だ。
どんなドラマに私出演するとは100億ウォンが投資された。
お金があふれなんて、その時から、人々の態度が変わりませよ。
私の作品を十分にサルピジなかった望んだ方向とは異なる行っても
ブレーキをかけなかった。良い台本が来ても、ある瞬間のお金の影響を受け、
作品が変質し、あったよ。だからしばらく作品のが怖かった。
私出演するとしたら、突然サイズが大きくなってバブルがまくりできた。
しかし、今そうしないだろう。俳優として良い作品、良い演技を見せている。
- いつの姿に戻りたいと思う。
▲「黄真伊」(2006)、あるいは「美男ですね」(2009)時には帰りたい。
その時の様子は、その後の心に戻って演技をお見せしたい。
私が俳優ということをもう一度証明見せたい。
- 自分の演技に点数をつけるなら。
▲20代までは、その時点で行うことができる最善を尽くして演技したようだ。
一80点をあげたい。
30代からは本当に私の心を込めてしっかりと演技をしたい。
再びスタートラインに立ったなければならない。今再起動します。
(彼は「ノンストップ4」を経て、ドラマ「プラハの恋人」「エイリアンサム」「ファン・ジニ」
「快刀ホン・ギルドン」「イケメンですね」「ベートーベンウイルス」までずっと上昇曲線を描いて、
俳優としての存在感を誇示した。しかし、その後リリースした「メリーは外泊中」「愛の雨」
「きれいな男」では下方の曲線をかけた。)
- 以前より多く荒れた感じだ。
▲昨日「イケメンですね」チームとの酒の席で(パク)シネが「兄多く荒れたよ」と
言っていた。実際には堅くない。ただしその見せようとする面がある。
シネに「荒れない場合が底で生き残ることができない」と述べた。
これまで多くのことを経験し、私利用しようとする人もたくさん会った。
無邪気にのみ行くことにあうぴったりいいよ。だから強く見える必要性を感じ。
ところが、今日荒れに見えるのは質問攻めを受けてそうだ。記者様が粗く見えます。(笑)
私は平和、落ち着いたことを好む。
20代の時は酒の席が好きで、クラブに行くことを楽しんだ。
しかし、今は、節に行くのが一番いい。仏教信者ではないのに節で静かな時間を
過ごすのがとても良い。節位置森の匂いも良い。奉恩寺と映画会社を主にして下さい。
- 夢が何か。
▲アジアプリンス桁を維持するだろうか?(笑)
男に生まれた君の世界へ伸びてガヤジョ。
より広い舞台に進出したい。
そして前述したよう、アジアのプリンスジュニアを作るものである。
それは私が一番よくすることができることである。
もう一つ言えば、文化を通し、アジアの平和に貢献したい。
上半期にもアジアツアーを計画している。
- 荒れたりしたが、より軽くなった感じもする。チャン・グンソクは「考えによって 'か。
▲私はもともと軽く愉快である。私は骨に「考えによって 'だ。
死ぬ時も片手に台本を持って片手では、マイク持ったまま歌を歌って死にたい。
歌って公演して演技するのがとても良いです。
やってみたいことも多い。映画もたくさん撮りたい。シナリオも25個程度書いた。
私演出する誰くれるかわからないとにかくやりたいことが多い。
- 今までよく生きてきたと思いますか。
▲目標100mに行くつもりなら25mぐらい来たようだ。
正義かろうじてよくきたと思う。
昨年、学校に通いながらジーン経験をした。
短編映画の撮影に現場スタッフが来て私に挨拶をしたよ。
「型が出した奨学金のおかげで、学校に通っている」と。
私ハット住んなかったなと思った。
-30通り入った。成熟なったか。
▲成熟までではなく、私振り返ることができたようだ。
過ぎた時間の省察をすることができ、今後の道では、より広くてみようとする。
外に出て、より多くのぶつかり見割れもより広くてみようとする。
また、これまでは残る勝とうとする競争心が強い場合は、
今のように行きたいと思うようになった。
☆
チャン・グンソク「洋画大橋は私の話...貧しく狂ったように住んでいた "①
2016-01-10 09:50
"今年は、国内では本当に熱く活動です。
韓流スターも国内の基盤がなければ空虚ですね。
俳優として再び国内で認められてたいです。" チャン・グンソクが帰ってくる。
私たちの年齢として、今年三十になった彼は、上半期中のドラマを通じて視聴者に
挨拶する予定である。彼のドラマ出演は、2013年の「きれいな男」以後3年ぶりだ。
また、国内の活動も3年ぶりに再開することになる。
当初彼は昨年1月tvN「三試三食漁村編」を通じて自然人チャン・グンソクの魅力を
見せてくれる期待に膨らんでいた。
しかし、撮影まですべてしておいて放送を目前にした時点で発生した「脱税議論」で、
彼は2015年に国内活動をたたまなければならいた。
言葉は多く見えた口を閉ざしたまま、自分に向かって注がれた後ろ指と非難を耐えた
彼は三十を控えて厳しく通過儀礼を経ようだった。
2016年を迎え、新たに覚悟を固め、30通り入ったチャン・グンソクを最近会った。
あまりにも貧弱たので、お金を稼ぐために走らなければならなイケメン少年は
韓流スターになったが、後に迷いもしたし、このようなあんな袋叩きも当たった。
そして今、再びスタートラインに立った。
- 過去1年どのように過ごしたか。
▲学校一生懸命通った。漢陽大大学院演劇映画学科修士・博士統合課程に
在学中で今の2学期残った。休まず今年まで、まるでうとする。
学校に通うことができて本当に良かった。
短編映画4編を撮っ仲間の学生と多く似合った。
また、日本など海外でも熱心に活動した。
- 昨年1月、脱税議論があった。
▲記事が起こった時、日本にいた。信じないだろうが、私は全く知らないことだった。
そして正確にしたいのです脱税をしたというのではなく「議論」であった。
人々の反応にあまりにも恥ずかしいし、気に障った。瞬く間に私は「脱税犯」になったよ。
3週間の携帯電話も切って、私知っている人がいないところでのみ通った。
日本でも山に入っていた。
途中略
途中略
- 寄付はずっと多くてきたが、後輩養成やエージェントは、チャン・グンソクに
ちょっと不慣れられる。
▲高カプゲ見るかもしれないが、私が最も上手にできることだと思う。
私の肩の上の責任が非常に大きい。今まで受けた愛をお返しする方法の中には、
私の知るノウハウを伝授し、先輩・後輩の仲間を取りまとめることもあると思う。
今までは会社の運営に関心をしない持っているが、もう30代なったお金を従わなくても
なるので、韓流スターとして大きな愛を受けた私が今まで身につけたノウハウで
芸能界に何か役立つことをしたい。
20代の時はお金を稼ぐために動いあった場合、30代からは別の方法で生きたい。
- 再度お金の話だ。これまでは、お金を追っアトナ。
▲貧しかった。
ジャイアントティーの「洋画大橋」を聞きながら「本当に良い歌だ」と、
「私の話だ」と思った。
父がタクシーを運転たし、母親がレストランで皿洗いの仕事をされた。
堤川で住んでいた私たち三人家族は一人息子の教育は、ソウルでなければという
母の意味で私は12歳のときにソウルに上がってきた。
20万ウォン持って上京したため、外からの住み込みをしなければならいた。
父は洋画大橋ではなく、千戸大橋を主に乗っていたと、私はそれ下着広告を撮った。
三家族のすべてのお金を稼ぐために狂ったように最善を尽くして生きた。
一緒に夕食を食べるのが願いだったそれが一番幸せな時間だった。
三枚肉の入ったキムチチゲを中央置い囲ん夕食を一緒に食べる日には本当に幸せだった。
その稼い2年ぶりに外を抜け出し、家賃20万ウォンの私たちの家に行った。
私たち家族は再び50万ウォンを見て、また100万ウォンを見て、また200万ウォンを
眺めながら住んでいた。少しずつお金を稼ぐ行くのが幸せだった。
しかし、お金はいくら稼いでも、人の欲を満たしてくれないことを後で気づいた。
- ニュージーランドに移住したりもした。
▲8ヶ月住んで帰ってきた。中学3年生終えた。
私続け、英語を学びたいと、留学に行きたいとせがんだ。
米国に行くお金はないから叔父がレストランをなさった、ニュージーランドに行った。
ところが、珍しくもそこの英語ではない学び、日本の友達と似合った。
8ヶ月の間に日本語を学んできた。
その時から日本に関心を持った日本に進出する夢を育てた。
すぐ韓国に帰ってきたのは、MBC「ノンストップ4」にキャスティング提案が来てた。
やはりお金のためだった。
当時、私たちの都合の出演料を無視することができなかった。
- 実際に日本で大きな愛を受けて韓流スターになった。
▲日本進出の夢を育ててから9年ぶりに(夢の象徴である)東京ドームで
コンサートを開催した。
感無量た目標を達成してバックになった。
ところが、その後、思わぬ喪失感が押し寄せたよ。
そのように達成したい前だけ見て優れていた目標をついに達成してからこそ、
突然何をすべきかの方向を喪失した感じだった。
人生最高の喜びを味わった直後、すぐにあなたの人生の最高の試練を経験
したわけだ。多く大変だった。
奉恩寺の足跡を検証してたらインタビュー記事①、②がありました。
(以前もblogに掲載しましたが、eoblogが見れ無いので再度掲載)
心を静かに癒す為に奉恩寺に行く話、大学で短編映画を撮った事(4本)、
貧しかったけどニュージーランド留学の事、夢の東京ドーム公演後にうつになった事、
この病の影響で現在、兵役・代替勤務中。
うなぎは知ってる話ですが、こうして①&②を読むと胸が熱くなります。
感慨深く、しんみりとなってしまいました。
参加出来なかったうなぎさんには申し訳無いのですが、
今回ラッキーな事に参加出来て、6作品を一挙鑑賞出来て本当に良かったです。
ソギの全てが分かった訳ではありませんが、分かった気になれました。←オイ!
ソギが制作した作品は、以上のインタビュー①&②が原点にあるのですが
この記事を再度拝見して、更に6作品が理解出来ました。
俳優チャン・グンソクを私が好きな理由が6作品に込められています!!
韓国ソウルの江南(カンナム)に位置する、韓国仏教の最大宗派の伝統寺院「奉恩寺」。
韓国語での読み方はポンウンサです。794年に創建され、かつては山野が広がっていて、
修道山と呼ばれていました。本堂にあたる大雄殿や1856年に建てられた板殿など約20棟の
伽藍(がらん)が林立し、高さ23メートルの韓国最大の弥勒大仏もあります。
現在は信者はもちろん、パワースポットとしてビジネスマンや観光客も大勢参拝。
寺院宿泊体験ができるテンプルステイもあり、国内外問わず人気です。
☆
住所:ソウル特別市 江南区(カンナムグ) 三成洞(サムソンドン) 73
(道路名住所) 奉恩寺路 531
電話:02-3218-4827
交通: 地下鉄9号線奉恩寺(ポンウンサ、Bongeunsa)駅 1番出口 徒歩2分
地下鉄2号線三成(サムソン、Samseong)駅 6番出口 徒歩10分
海水観世音菩薩
本殿
大雄殿(テウンジョン)
釈迦牟尼仏が奉ってあります。
写真はコネストより(仏様の写真は撮りません)
この本殿で隙間も無い程、皆さん座って祈祷中。
私も中に入って座布団を敷いて二人の王子の事をお祈りしました
天上が高く冷やりとして東西に風が吹き抜けて涼しく・・・
パワースポットに癒されました!
仏教徒ではありませんが、大きな力の懐に抱かれる感じです。
ソギもそう感じるのかな?
門の西側の天王像
門の東側の天王像↑
気持ちがほっとして、お参りして良かった!!
奉恩寺の前の公園
サラリーマンや主婦の方々がベンチに座って木陰で涼んでました。
紅葉の新緑が本当に綺麗!
向こうに見えるのがインターコンチネンタルホテル。
ここからまたタクシーで三成駅の地下鉄6番入り口前で下車。
☆
チャン・グンソク&少女時代ユナ主演『ラブレイン』の
ロマンチックなシーンはここで撮影された!
2013-09-04
そして現在は噴水広場はなくなりました。
MilenniumPlazaはこんな風に・・・
ここの向こう側にあったんですが何も無し
SMTOWNビル
以下は2012年12月31日にピアノ広場へ行った時の写真↓
弘大もそうですが「LoveRain」のロケ地が段々様変わりして行きます。
ここから地下鉄2番出口へ出て会場へ戻りました。
KT&G サンサンアートホール