広島・長崎の被爆。
あれから、75年が経ちました。
このブログに立ち寄った皆さん。
ちょっとだけでも、この事に耳と心を傾けてみませんか??
せっかくの節目の年ですし。
世界の情勢も、大変な中ですし。
8月のこの時期だけでも、戦争の悲しみと向き合う事が、少しでも平和に繋がるってことを感じてみませんか?
三重県出身の僕ですが。
僕は、広島が大好きでして。
お仕事でも毎月のように広島へ通ってた時期もありましたし、家族旅行でも、毎年遊びに行ってました。
この街の75年前の悲劇。
原爆を意識するようになったのは、今から25年前の僕=中学生の時。
こんな人間ながら当時は生徒会長だった僕は、三重県代表として戦後50周年の式典に出席させてもらった経験がありました。
出席するにあたり、一緒に住んでいたおじいちゃんおばあちゃんに戦時中の日本のお話や、戦地のお話を聞いた時のこと。
いつも優しいおじいちゃんおばあちゃんでしたが、その時の話になると、スイッチが入るのを今でも覚えております。
空から爆弾が降ってくる体験や、戦地にて目の前で仲間が死んでいく話を孫に伝えるって、いま考えると、とんでもないプレッシャーだったかと察します。
おじいちゃんおばあちゃんの話や広島・長崎で起こった悲劇を各学校代表の学生と一緒に勉強した上で参加した式典や資料館。
数えきれない命が一瞬にして失われた悲惨な光景を生々しく伝える当時の写真や人形。そして、ガイドさんの説明。
中学生の僕には衝撃すぎて、夏休み中ずっとドキドキが止まらなかった記憶があります。
だからでしょうか。
広島のお仕事の度、旅行の度、この悲劇と向き合う機会を出来る限り作っておりました。
そして。
ずっと仲良くしてもらってる広島出身のミュージシャンHIPPYさんと会う時でさえも、広島観光と共に、原爆のお話はよく聞かせてもらってました。
というのも、HIPPYさんは『原爆の語り部』を毎月開催し、被爆者の方々から当時のお話を聞き、その悲劇を後世に伝え続ける活動をされている中心人物だったもんですから。
被爆者の方々とのお話は、ネットで載っております。是非、ご覧になってみて下さい。
被爆を体験された方々、家族や仲間や街を失われた方々の直接伝えて下さる出来事や言葉。
原爆は、残忍・非道の極みです。
目の前で、家族が死んでしまう。
今までいた街が、吹っ飛んでしまう。
大切な仲間達が、目の前で焼け溶けてしまう。
何万人も方々が一瞬にして殺されてしまう。
ありのままを伝えて下さってます。
あれから、75年。
街は、見事によみがえりました。
大都市『広島』として、沢山のビルや施設や交通機関で賑わっております。
でも、体験した被爆者の方々にとっては、あの時の光景を75年という月日だけでは埋められるものでもなく。
今の広島が、夢みたいな景色なんだそうです。
毎月、被爆者の方々のお話を側で聞いて、その痛みを受け止めたHIPPYさん。
当然、聞くのもエネルギーのいる事です。
毎回、胸をえぐられる痛み。
でも、HIPPYさんは毎月続けます。
生まれ育った広島が大好きだからこそ、悲劇の広島も受け止めたいという気持ち。
何年もの『語り部の会』を経て、今年の夏。
そのHIPPYさんが、曲を作りました。
それが、これです。
【日々のハーモニー】
なにを『平和』と言えるのか。
「人それぞれだ」なんて言う人もいますが。
でも。
この戦争と向き合った上での平和の祈りぐらい、一緒の気持ちでいたいもんです。
命を奪い合う戦争の悲惨さを知り、共に心を痛めて、みんなで平和を願う。
改めて、命の尊さと向き合う。
毎日を大切に生きるために。
晴天を心から有難いと感じられるように。
明日、こんな番組があります。
是非、観てほしいです。
僕も少しだけ出演してます。
観ている方々にはお手数ですが、普段やってる『芸人』って肩書きをひとまず忘れて頂いてから、この番組を観てもらえたらと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。