2016年10月2日。
待望の子供が無事に生まれましたことを御報告させて頂きます。
3538gの元気な女の子でございます。
振り返りますと、去年の1月31日に結婚してからというもの、子供が欲しいと妊活する毎日でございました。
沢山の本やサイトを見ながら、子授けに効くものは何か・・・必死で色々と探してくる奥さん。
夫婦で大好きな神社巡りも【子授け】を求めて参拝してまわり、数えてみたら年間20を越えておりました。
というのも、ウチは歳上女房というのもありまして、やはり奥さんが色々と背負ってしまったからであります。
「どちらかが悪いとかではない」そう言うものの、毎月「ごめんなさい」と謝ってくる奥さん。
だからこそ、神社巡りなどは特に心の支えとなってくれました。
それでも物足りない時は、奥さんは1人でこんな所にも行ってました。
鳥取県にある三徳山三仏寺《投入堂》です。『世界一危険な国宝』と呼ばれる場所に登り、自分を追い込んで参拝しておりました。
このペースじゃ奥さんがボロボロになっちゃう・・・と思っていた、そんな時です。
忘れもしません、去年のクリスマス。
僕が一方的に大ファンの槇原敬之先生が、会社のクリスマスパーティーに我々夫婦を呼んでくれたんです。
名曲『超えろ。』のMVに夫婦で出演させてもらったご縁もあり、御招待を頂きました。
そのクリスマスパーティーというのは、槇原敬之先生の会社のオフィスの荷物を一旦お片づけして、オードブルやピザなどを並べてみんなで談笑しながら食べるというアットホームな会。
そこでのお話で、夫婦の休日の過ごし方が子授けの神社巡りだと伝えたら、先生がこうおっしゃいました。
「実はうちのオフィスの神棚の前の席の人が子供を授かりました」
そう言われて、案内してくれる先生。
そこで、神棚からお腹に「入れ入れ」と手で漕いで御利益を運んでくれる超大物アーティスト。
その優しくて無邪気過ぎる行動に心から救われました。
そして、明けた年から奥さんは会社を辞めまして、妊活1本の専業主婦になったのであります。
楽しそうに家事をこなし、僕の帰りを待ってくれた奥さん。
忙しいお仕事の合間に妊活する日々とは真逆の生活。
ゆったりとした時間が流れていった、のんびりの1月・・・に妊娠が発覚!!!
今まで何だったんだと思うような早さでありました。
これは槇原敬之先生のパワーなのか、オフィスの席のパワーなのかわかりませんが、リラックスした日々が上手く重なったから結果が出たのかなと、僕達なりの結論が出ました。
皆さん聞いたことないですか?
『オキシトシン』
幸せホルモンってやつです。
幸せを感じた時に脳からオキシトシンが分泌されると乳母はお乳を作る。
更には出産時に脳からオキシトシンが分泌されることで《痛み=幸せ》に変換されて、苦しさを乗り越えたり。
はたまた幸せだと感じる生活に脳からオキシトシンが分泌されて、妊娠しやすくなったり。
と、まぁこんな効果が期待できるらしいんです。同じ立場の方々がいらっしゃるのならば、参考までにどうぞです。
妊娠してからは、休みの時はお礼参りを兼ねて安産祈願で神社をまわる日々でした。
神前式で家族婚を挙げた、三重県にある二見興玉神社の夫婦岩にも安産祈願。
そして妊娠9ヶ月になった頃でしょうか。奥さんのスマホをチラッと見ました。
「えっ!?このお嬢様は??」
奥さんに聞くと、
「白城あやかさん、中山秀征さんの奥様だよ。」
「えっ!?なんで秀さんの奥様を待受にしてるの??」
「子沢山だから御守りにしてたの。」
いやいや大先輩の奥様を待受にしてる後輩の嫁、聞いたことないよ!!!!!
とはいえ、これがまた見つめるだけで安心していたそうな。良かったら皆さんも安産祈願でどうぞです。
「いつ産まれてもおかしくないです」
そうお医者さんに言われたのは予定日より2週間前のことでした。
泊まりのお仕事が多い僕は、こればっかりは計算出来ないってのを分かっておきがら、お腹の子にスケジュールを語り続けたりもしました。
お仕事から帰ってきてセーフと思い、またお仕事に行きながらヒヤヒヤして、また帰ってきてセーフと思い・・・。
この繰り返しの中、奥さんは僕が立ち会える間に産まれて欲しいと、陣痛が来る運動も沢山してくれてまして。
そうです、愛宕神社の《出世の階段》です。
それを《出産の階段》にしてしまおうという狙いだったみたいですが・・・この日も来ず。
結局、陣痛が来たのは僕が大分県に2泊3日で居ない時でした。
相方えとうさんの地元でのお仕事で、生放送が終わった18時頃。
[陣痛来たかも]
というメールが入ってきました。
僕が側に居ないからと、奥さんの義母さんが泊まりに来てくれてて助かりました。
迅速な対応で病院に向かう中、義母さんに電話を繋いでもらいながら奥さんとお話させてもらったのですが、そんな中なのに痛がりながら謝ってくる奥さんがいました。
「立ち会い出来ないかも。ごめんね!ごめんね!」
そのまま電話が切れて、次に電話がかかってきたのは20時頃。
義母さんが僕と繋いで奥さんを励ます作戦に出ましたが、もう電話の向こうにいる奥さんからは叫び声しか聞こえませんでした。
僕は、ただ夫婦の御守りを握り締めてエールを叫ぶだけでした。
この画像を送ると必ず、
送り返してくれた御守り。
夫婦岩の御守りにどれだけ助けられたか分かりません。
ソワソワしながら数時間。
結局は日付も変わり夜中の2時頃、義母さんから連絡がありました。
「無事に産まれましたよ!」
そのお話の合間から聞こえてくる産まれたての娘の声に、現実がどっちなのか分からないまま、何となく向こうの世界に引き寄せられていく感覚。
安堵感いっぱいの向こう側の声のトーンに合わせながら、実感が掴めないまま会話をします。
ただハッキリしているのは、今の自分の無力さ。これを痛感してしまうのでした。
とにもかくにも、奥さんと娘が無事なら良かったと、ボロボロになった御守りを離しました。
命懸けで産んでくれた奥さん。
命懸けで産まれてくれた娘。
全力でサポートしてくれた義母さん。
早く会いたいという気持ちの違う方向から、このスーパーヒーロー達の輪にどう入れるのか、正直不安でいっぱいでした。
[東京に着きました。すぐ病院に向かいます]
そう連絡をしたのは、もう21時を回ったぐらいでしょうか。
すると奥さんからすぐ返事が来て、
[お仕事を優先してくれて、いいお父さん!おかえりなさい!待ってます!]
と入ってきました。
もう涙が止まりませんでした。
僕の不安を全部分かってくれている、なんと優しい言葉。
この言葉のおかげで僕は、不安というのが取り除かれて病院に向かうことが出来ました。
これがオキシトシンというやつなら、オキシトシンって最高です!
優しい言葉でオキシトシンが分泌されるなら、誰にだってプレゼントすることが出来る。
それが『オキシトシン』であります。
病室に入って、まず奥さんをいっぱいギュッと抱きしめて、命懸けで産んでくれたことを感謝しました。
そして娘もいっぱいギュッと抱きしめて、命懸けで産まれてきてくれたことに御礼を言わせてもらいました。
そこからは、赤ちゃんのイイ匂いにハマっちゃって、ずっとクンクンタイム。
チラッと見たら、大きな福耳!!!
ちなみに僕は・・・
顔が絶対に僕に似ないように、フルパワーで「気をつけなはれや!」と美顔祈願しました。
命懸けで祈り続けたいと思います。