四十九日の間、母はまだ父の側にいるかもしれませんが、目には見えない存在となりました。


いまだかつて、父が自ら進んで仏壇の前に座る姿など見たことがありませんでしたが、母の死後は度々仏壇の前に座り、手を合わせている様子です。

もっといたわってやれば良かった、優しい言葉をかけてやれば良かった..と後悔しているようにも見えました。


父は、母が居るのが当たりまえ過ぎて、居てくれることのありがたさがわからなかったのでしょう。

いよいよ母が亡くなりそうになった頃から涙を見せ始めました。


通夜や葬儀に訪れてくださる方々に「女房が先に逝きました」と力なく話し、そこでも度々泣きました。


父も肝臓がんを患っており、手術をしたり入退院を繰り返しているので、先はそう長くないのですが、母が苦しむ姿を見て「死ぬのがおぞうなった(怖くなった)」と言っていました。


そうだよね、死ぬのは怖いよね。

人間だもの。


ほんとは次元を移動するだけで、どうってことない事だと思うけど、未知なる死を恐れるのは人間として当然の感情でしょう。


寿命の限り懸命に生きようとするのが、人間としての礼儀なのだと思っています。



母の病院にきれいに咲いていた河津桜です。