映画「12日の殺人」 | champagne-bar-tritonのブログ 映画と観劇と浜田省吾

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「悪なき殺人」の監督最新作の、秀逸なサスペンス・スリラー。
未解決事件、それは人間の根源的な欲望を刺激する。


映画「12日の殺人」

 


冒頭、フランス警察が扱う殺人事件のうち、20%が未解決だという。
この事件もそのうちのひとつ、と明かされ、結末が早くも判明。


今作は殺人事件の真相に迫る物語ではない、と分かるが、果たして。


前任者から変わり、班長に昇進したばかりのヨアン刑事だったが。
10月12日の夜、21歳の女性が何者かに火をつけられて殺された。


翌朝無残な焼死体が発見され、美人女子大生クララだと分かる。
生きたまま焼かれるという、なんとも残酷でショッキングな事件。


警察で捜査班が結成され、ヨアンはベテラン刑事マルソーと組む。
こうして捜査が始まり、クララの周囲の人物に聞き込みをする。


調べるとクララは開放的で、多くの男性と関係を持っていたようだ。
どの男も怪しく、次から次へと捜査線上に容疑者が浮かび上がる。
だが決定的な証拠もなく、特定が難しく解決の糸口が見えなくなる。

 


捜査の過程がじっくり丁寧に描かれるが、とても地味で地道なもの。
聞き込みしては調書作成、膨大な事務仕事に追われる刑事たち。


ヨアンは捜査にのめりこむあまり、自身も事件に蝕まれていく。
怒りや憎しみの感情が溢れ、事件のことが頭から離れなくなる。


また、マルソーは夫婦間に問題を抱え、家庭は泥沼状態だった。
そんなメンタルで捜査に当たる中、ある容疑者に対し暴走してしまう。


警察の労働環境も盛り込み、心身共に大変な苦労があると分かる。
刑事と言えど同じ人間、真実を知りたいともがくが、弱く儚いもの。


捜査が行き詰った時の苦悩と葛藤、苛立ちと焦り、悔しさを描く。
警察側の目線で終始展開するので、モヤモヤ、イライラさせられる。


根底に潜むのは、男と女における普遍的な社会の理不尽、だろう。
クララは女だから殺されたのは確かだし、全ての男が犯人と言える。
男と女それぞれの役割や立ち位置、随所に生じる矛盾を突きつける。


いつしか迷宮入りとなり、3年が経過した後、再捜査が命じられる。
女性判事が事件に目を付けた、というところに意義があるのだろう。


新たな捜査の手法に疑問はあったが、解決を期待させたのが皮肉的。
現実は厳しいもので、なんのカタルシスも得られずむなしく終わる。


ヨアンは未解決事件に関わる事で、人生が変化したと最後に分かる。
アドバイス通り外の世界に飛び出したことで、成長を遂げたのか。


地味で想像したものと違い、エンタメ性が低く退屈な作品だった。

現実的ではあるが、救いも希望もなくただやるせない結末だった。