10日の夜に自宅を出発し、最後の雷鳥詣に向かった。
 
今回は「雷鳥」メインだが、団体臨時列車で近々引退との噂の489系ボンネット車と485系新潟車が来るので色々と忙しいが、結構まとまって次々来るので段取りがしやすかった。
 
朝の部を雪のマキノ付近で撮り、昼の部まで4時間ほど空くので、寝不足解消のため昼寝をして備えた。団体列車2本を奇跡の晴れ間で撮り、夕方の最終「雷鳥33号」までまた4時間空くので他の列車を撮っていた。待機中に吹雪になり風が強くなり、すごく車が揺れた。「そんなに強風?」と思ってから5分後位に嫁さんから電話があり、東北地方で地震があった事が分かった。その時の揺れは、タイミング的にその地震だったのだろう。
 
気になるので携帯電話のワンセグで確認したら、それはもうえらい事になっていた。東北や東京の親戚や友人にメールをし、暫くしてから大丈夫な事が分かりホッとしたが、気になって仕方がない。
 
しかし、今日という日は戻ってこないので、少し不謹慎かもしれないがどっぷり「雷鳥」最終日を味わう事にした。その後みやけ。さんと合流し、最終「雷鳥33号」に備えた。が、車内トラブルや何やらで10分以上遅れている模様。丁度暗くなる時間帯なので、刻一刻と露出が下がっていく。そしてギリギリの状態で撮ったのがこの写真だ。
 
イメージ 1
 
これが、私の「雷鳥」のラストショット。
 
撮影後、みやけ。さんと走り去る最終「雷鳥33号」のテールライトを見えなくなるまで見つめ続けた。
 
今日に関しては出来はどうでも良く、仲間内での聖地で仲間と見送れた事に充実感を感じられた。ただ、ぽっかり穴が開いた感覚は否定できない。
 
みやけ。さんと「お会いする機会が減りますね」「まだ日本海があるし…」などと言いながら、お互い現場を後にした。
 
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帰宅後、地震のニュースをみて、改めて驚いた。
私は仙台に親戚が居る。母が連絡をとっているがまだ繋がらない。焦っても仕方がないので様子見だろうか。無事を祈る。
 
被災地域の皆様に、心よりお見舞い申し上げますm(__)m