今日は新月ですね。


ここ最近すごく感じていることがあるので

久しぶりにつれづれ想うことを。




占星術の世界で年齢域と言われるものがあります。


わたしが知ったのは下の記事を数年前に読んだ時。



わたしが自分の火星の年齢域だった時(36〜45歳くらい)思いっきり外に向けて自分を押し出していたのはこのエネルギーだったのだとわかりました。


ちなみにわたしの火星は冥王星と180度なので

わかる人はわかると思いますが

生きるか死ぬかで自分を押し出してしまう笑


本当にそうだったと思います^ ^


そんなわたしが45歳の声を聞いた途端に

外向けの仕事に興味を示さなくなり

全てをいったん終いにかかったのは

木星期という年齢域に入ったからだったんだなって

とても納得行きました。



※かげしたさんのブログ内よりお借りしてます。




火星期にはもっと


やれることは全部やり切りたい!

やらずに言い訳してるなんてダサい!

死ぬ気で生きろ!


くらいの勢いでしたから

この変化に1番戸惑ってたのはわたしです笑


木星期に入った

たまに火星の感覚で物事を動かしたくなっても

体力がないし気力も湧いてこなくて


だけど火星期での成功体験があまりにもビビッドにあるから、木星期がわたしに馴染んでくるまではしばらく時間が掛かりました。



わたしの木星は7ハウスの射手座。


だからこの時期に

新たにパートナーシップを広げたりだとか

未知なるものを目指していたりだとか

とにかく納得しかなくて。



社会的な自分のあり方は

しばらく動かないうちに見えてきて


もう、お金でもなく名声でもなく


ただただわたしを使って欲しい


持ってるものをあげたい


みたいな気持ちになってきました。



そしてパートナーシップや子育ての場面では

さらに【待つ】ということが出来る様になりました。



その人が気づくまで待つ


その人の命の強さを信じる


人を変えようとしない


もたらされるものを有難く頂戴する


みたいな。




年齢を経ると

どんどんエネルギーが無くなってきて

出来ることが減っていくのかと思ってたけど


そうではなくて


やりたいことを自分で全部やる代わりに


周りが実現してくれるように


なってきたなぁという感じなのです。


コントロールしなくても

自分以外の

モノ、コト、ヒトを


自分のモノ、コト、ヒトのように

使ってる?みたいな感じがある。


たくさんは出来ないから

心地いいことを厳選してやっている。



自我の強さは薄れていくけど

その分周囲と馴染んでいく感覚。


自分が消えてもいいし、怖くない。


きっと薄まって広がっていってるんだと感じます。


それが、タイトルにもあるように


引き算ができる余裕なんだと感じてます。



これまで引くってことは怖かった。


ダサいと思ってた。


それはやってないってことだと思ってた。


けど、引くことで生まれるスペースに


何かが入ってくるのを待てるようになった。


45歳からの木星期を過ごして

はや5年。


やっと木星期ってものがわかるような気がしています。



こちらを読んでくださっている方はわたしより若い人が多いと思うので

そんなときが来るんだな、くらいに読んでおいてくださいね。


いいもんですよ〜ってこと☺️