本日も「世界の裏側を知って自分軸で生きるためのお話会」zoom開催させていただきました。

 

今日もこのテーマが出たのですが

今、ワクチンの怖さを感じていて

旦那さまや、家族や友人に

どうにか打つことをやめてもらいたいって思っていて

 

だけど、ワクチンの怖さについては

テレビや新聞で報じられているわけではなく

 

ネットで拾ってきた情報に直感が合致したという感じで

 

だから大切な人への説得に

根拠を示せないし

だいたいが女性って論理的に話するのが苦手だし

 

どうしたものか…というお悩みがあります。

 

 

これをあげまん道的にどういうコミュニケーションがおすすめかというと

いろいろあるんですけど

 

まず

「へんな人って思われるのが怖い」の

裏側に

 

実は自己不信が先にあるのではないかなって思うのです。

 

実は自分が自分のことを

信頼できていないってときに

 

その投影として、パートナーから図星的にそれを言われちゃうってことがよくあります。

 

つまり、「お前のこと信じられない」と言われちゃうのです。(あちゃ~

 

 

また

自己不信があるときに

違う側面で外側に投影が起きるパターンとしては

 

外側に「へんな人」が現れます。

 

そのへんな人を見たときに

心の中で「へんな人!」って心の中でジャッジが起きますよね?

 

自分がそう思っちゃうんだから

きっとほかの人もわたしのことをそう思うんだろう?という想像が働いてしまう。

 

逆をいうと

 

自分がいろんな人を見て

「あの人へん!」ってジャッジしていなかったら

自分が「へん!」って思われるという想像が生まれないと思うのです。

 

 

わたしがもともと「へんな人」って思われることに対して耐性が高いのは

人のことをあまり「へん」だと思っていない背景もあるのかな?って気づきました。

 

今日急に小学校の頃の思い出がよみがえってきたのですが

3,4年生のころに、クラスにいるMくんという

当時の言い方でいうと「ようご」と言われていた(←差別用語になっていたらごめんなさい、そういう意味で使いたいわけではなく)

ちょっと変わった男子がいたのですが

 

その子に好かれていて、ちょっと困った思い出。

 

Mくんがわたしのことを好きだと言うから

ほかの男子がMくんをけしかけて、わたしのことを追いかけさせるんです。

 

思い返してみて、わたしは当時逃げ回っていたのですが

感情的にはそんなに嫌ではなかったなぁというか

 

たぶんわたし、そのMくんに対して

嫌な感情は抱いていなかったのですよね。

 

たぶんほかの女子はMくんを気持ち悪いとかで避けていたと思うのですが

わたしはあんがい普通に接していたのです。

 

だからきっと好かれちゃったのかな、と思うのだけど。

 

つまり、元々そのあたりの個性をへんって思う感覚が薄くて

自分自身も変わっている自覚があったし

人のことも、気にならないというか、そもそも興味がないというか。

 

今でも、変わった人がいると

むしろ話を聞いてみたくてたまらなくなるし

 

最近、ココナラってところで電話相談を受けているのだけど

「性癖のお悩み」を聞くのが一番人気だったりして(笑)

 

話しがそれてる気もするけれど…(笑)

 

人の性癖っておもしろいって思っちゃう。

 

中にはとってもグロイお話もあるにはあるんだけど

人間ってそういうものってどこかで思っているから

お話聞けちゃうんですよね。

 

 

 

へんな人って思われるのが怖い心の裏側には

同じだけ、きっと

外側にへんな人を見つけてしまっているのだろうなって思います。

 

 

 

外側にへんな人を見つけて

ジャッジしまくっている人も一定数いるとは思うけど

 

わたしみたいに人のことに興味がなく

ああ、そういう考え方もあるのね~って感じで流している人も一定数いると思うのです。

 

 

そして思う人はなにを見ても思うし

 

思わない人はなにを見てもなにも思わない。

 

そんなものだと思うのです。

 

 

先日のブログにも書いたけど

 

今、コロナやらワクチンやらのテーマにおいて

 

いろんな関係性において「あぶり出し」が起きているのだと思います。

 

 

そういうわたしのところも

いつもわたしが発信している陰謀的な話を

先日旦那さんにやっと共有しようとしたけれど

 

少し聞いて、聞きたくないそぶりをされました(笑)

 

うちの旦那さんはとても政治の話が好きで、歴史も好きで

本人的にはとてもそこに自信を持っているから

最近ハマった「にわか」なわたしの話は聞きたくなさそ~にされました。

 

「お前はなにかに夢中になったら走りすぎるところがあるから気をつけろ」

的なことを言われ(笑)

 

 

長年一緒にいるから、わたしのいいところも悪いところもわかってくれていて

確かにその意見には一理あって

ぎゃふん、なのだけど

 

でも、落ち着いてから思ったのは

旦那さんはいつもわたしのストッパーになることを役割としていてくれる。

 

表面上は否定しているように見えても

実は、底では寄り添ってくれていて

ただ、走っちゃうわたしと一緒に走ってしまわないようにいてくれているのがわかる。

 

その証拠に次の日くらいに

旦那さんの知り合いがわたしのFacebookを見て

ワクチン打つのやめたそうやで〜!って

報告してくれたのです。

 

それは暗に

俺は話は聞かないけど

否定してないよ、とのことだとわかった。

 

意見は共感しあえなくても

同じ方向を向いているって感じなのです。

 

わたしはこれでいいなって思いました。

 

 

きっと関係性にはいろいろあると思います。

 

正解はないと思う。

 

 

だから今、あぶり出されて

苦しくて、泣いたりして

叫んでしまうことも

 

きっと必要があって起こっていると思う。

 

わたしたちに関しては

そんなにを山ほど超えてきて、今があるから。

 

みなまで言わなくても、なんかお互いわかっちゃう。

 

いろんなパターンをお聞きするけれど

きっときっと

かけがえのない時間を過ごしているのだろうなって思えて

どれもこれも美しく見える。

 

 

がんばりましょうね☆

 

戦時中だからね。