この続きを書きます。
自立側の苦しむパターンを書いてみたいと思います。
自立側は求められる側になります。
なので、求められることを与えることができている場合は、苦しまないです。
でも、求められるものを与えられていないなぁ、とか
もしくはもう与えることができなそうだなぁ、と感じるときに
とても心地悪くなります。
だって、自分が「悪人」だと感じさせられちゃうからです。
そこがもっと進むと
(依存側)のせいで、この感情を感じているような思いになり
依存側を傷つけてしまいたくなります。
依存側を傷つけるのは
自立側にとっては簡単。
だって依存側は感情的に自立側によっかかっているからです。
だからといって、傷つける方法を取ってしまったとき
めちゃくちゃ罪悪感を感じますよね。
自立側が怖いのは
その依存側から感じる感情の波なのです。
不足を訴えられたり
泣かれたり
さらに不安のループになっている姿を見たくないんです。
それを見せられたら、感じるのはTHE罪悪感!!
だからコミュニケーションをとる時に、自立側はとても慎重になってしまうんです。
できるだけそこに巻き込まれないように
ずんずん感情のスイッチを切ってしまいます。
そして、ふたりの関係性のバランスを取ろうとして
さらに自立的に振舞ってしまいます。
たとえ本当は、たまには依存したい気持ちがあったとしても
それは出さないし、我慢したりする。
でも自立を強化すると、ますます依存側の不足感が強まるんですよね。
依存側が欲しいのは感情の共有。
自立側がなにを感じているのか、
どう考えているのか
無表情、無反応に見える自立側の感情がわかったら安心が手に入るのです。
でも、さっきも書いたように
自立側はバランスを取るかのように、さらに感情を切り離していってしまいます。
そして自立側は「理解されない」と思いがちです。
「理解されない」のなら、さらにひとりの世界でいいや、と孤独に逃げ込もうとします。
周りをシャットダウンし、切り離していきます。
そして、この循環が強まると、関係性は悪化していきます。
もし、あなたが自立側にいて
関係性がうまくいってないとしたら
できることは、感情のシェアです。
感じていることを、怖がらずに面倒くさがらずに、依存側にシェアすることで関係性はよくなります。
理解されないと感じるのなら
理解されるように、相手との間に感情的なものを共有するための対話をしていかないとよくならないのです。
でも、自立側は感情的な共有をしかけることで
さらに依存側からの感情的な寄りかかりがくるのが怖いんです。
たとえば、恋愛でよく起こる悩みに今の時代
ラインの既読や未読問題があると思うのですけど。
なぜ、自立側は既読スルーや未読スルーをしてしまうのかというと
返信をすることで、さらに依存側からの返信がくることが怖かったりします。
とめどなくズルズルいってしまうことが怖くて自制してたりします。
あと、確実なことでないと言わないでおこうとか思います。
プロセスを説明しないのです。
ちゃんと決まってから言おうとは思ってしまうので。
なぜかというと、不確実なことを言ってしまって、喜ばせたあと落胆、みたいなのを
してしまうのが怖いのです。
だって依存側の期待をつねに感じているのですから。
これ、わたしが自立側にたつ関係性でめちゃ感じます。
依存側がもっと欲しがっているのは、感じるしわかっているのです。
だからって、とめどなく与えてしまったら、どうなるんだろう?って自制してしまうことあります。
自立の強い人にとって、状況がコントロールできなくなることはすごく怖いんです。
なんでも感情と切り離して、思考で処理をしようとする自立側にとって
委ねる、とか、流れる、とかはすごく怖いこと。
だからわたしが自立側にいるときに気をつけていることは
適度に自制して
適度にゆるんでみる。
適度に感情のシェアをして、共有する時間をとるように意識します。
依存側に寄るということですよね。
それで両者のバランスが取れ始めます。
目指すべきは、お互い自立した者同士として、相互依存できる関係性。
とにかくキーは罪悪感。
ここを自分でいやすこと。
言いたいことをちゃんと伝える。
そして委ねる、ゆるむ、分かち合う。
あげまん道でいうところの「本音を言う」と「降伏する」がここに当たるかな。
どっちもやって
どっちの苦しみもわかりました。
今のわたしにはすべて糧になり、それらを俯瞰できるようになりましたね。
ありがたい。
ここがわかると、あらゆる関係性で
偏って、うまくまわらなくなったところに
どう手をつけていっていいのか、わかるようになりました。