空気を読む、ということについて

 

年末に感じたことがあるので、書いてみたいと思います^^

 

 

スクールを以前受けてくれて、ずっと仲良ししているさとみちゃんが

 

年末、ご飯を食べよう会に合わせて、愛に来てくれたことは書いたと思うのですが…。

 

そのときの様子、こちら✩

 

 

 

さとみちゃんが、わたしに

 

こんなことを言ってくれたんですよね。

 

「ちゃみさんは、すごーく空気を読んでいる人だなぁって思う」って。

 

 

 

この言葉をもらったとき、すんごくびっくりしたあと

 

じーっと感じていたら、はっきり気づいたことがあるの。

 

 

 

 

「そうよね、そうよね!!」って。

 

「うん、そうそう。そうなんよー!!」って。

 

 

 

 

「そう!!わたし、めっちゃわたしなりに、空気読んでるんだよ~」って。

 

心の叫び(笑)

 

 

 

 

 

 

わたしね、一般的には「空気が読めない人」って評価されることが多い。

 

そう言われる意味も、すっごくわかるんですよね。

 

 

 

でもね、実は…

 

自分なりに空気を読んだうえで

 

外している

 

ってことに

 

これまで自覚的に気づいてなかったあせる

 

 

 

うん、そう。

 

そうなの。

 

外してるんだよー

 

あ・え・て

 

外したことをしている。

 

 

 

どうして、あえて外すのか…というと

 

風穴を開けたい性質だから。

 

 

違う言い方をすると

 

壊したいの。

 

 

 

ある

 

当たり前

 

常識

 

暗黙の了解

 

ってやつを

 

どうしても壊したくなる(笑)

 

 

 

 

そういう性質はホロスコープを見ても

 

ほかのいろんな占い系を見ても、出てるから、もうあきらめた(笑)

 

 

わたしは壊し屋

 

として生まれてきたんだから。

 

 

 

だから主婦なのに、性のことを発信してきたし

 

自撮りファッションを載せてる。

 

そこにはわたしなりのメッセージがある。

 

 

 

もちろん、なんでもかんでも壊したくなるわけではないのだけど

 

わたしの感覚で

 

壊したほうが開くなって思えるとき

 

あえて、場の空気を壊すことをします。

 

そう、あえて空気の読めないふりをしてた。

 

それ、普通にやってたし、自覚的でなかったから

 

自分でもわかってなかった。

 

 

 

わたしはこれまでしてきたお仕事柄

 

初対面同士の人が集まっての場のコーディネーターをすることが多いのですが

 

そのとき集まった方たちの雰囲気を見て

 

その日、どんな風に場を作っていけば、みんなが開いて帰っていけるかなってことを

 

ずーっとやってきました。

 

 

もともと持っていた感覚もあるし

 

場を作り続けるなかで磨かれた感覚もあるように思います。

 

 

 

メンバーの中にたくさんしゃべる人がいるときは

 

わたしはしゃしゃり出て、トークを仕切ることはしないし

 

かといって、そのたくさんしゃべる人の独断場になりそうなら

 

割って入って、ほかの人にも機会を作ることもある。

 

 

あえて、まったくしゃべれずにこの日を終えてもらうことで

 

「悔しかった」「この次はもっと開こう」って感じてもらいたいなぁという場合もある。

 

そんなときは、あえてその人にトークの機会をふらないこともする。

 

 

みんな人見知りっぽかったら

 

わたしが率先して馬鹿話をすることで

 

話しやすい雰囲気を作ることもするし

 

 

ほんと感覚的すぎて、言語化がむずかしいのだけど

 

その日のテーマはなにか?

 

どこに風穴をあければこの場が開かれていくのか?

 

それはそれは慎重に空気を読むってことをしているんですよね。

 

とくに、会の前半は。

 

流れだしたら、あとは流れていくので

 

そこに至るまでは、空気を読むっていうか

 

神様の意図?に意識を凝らしている感じ。

 

 

 

でも、そのことは

 

もう当たり前にやっていたことすぎて

 

さとみちゃんに

 

「ちゃみさんはめっちゃ空気を読んでいる」

 

って言ってもらうまで、あまり意識の上にあがっていなかったのです。

 

 

そして世間のおおかたの評価である

 

「わたしは空気を読めない人間だ」

 

を、普通に採用していたのです。

 

 

 

世間一般では「空気が読めないこと」は

 

あまり「よし」とされないし

 

とくに30代前半はこの性質がもとで、人間関係に暗雲がさしたことがいっぱいありました。

 

けど最近は

 

わたしはこの事実を憂うことなく受け入れていたんですよ。

 

 

わたしにある「とってもすてきな性質ドキドキ」として。

 

 

それはあるとき、夫が

 

「お前は空気なんて読まなくていい」

 

「空気を読まないって、天才なんやで。」

 

「空気を読むやつばっかりやってみ、物事はなぁなぁでしか進んでいかへん。」

 

「中に空気を読めない人がいて、その人がとんでもないところからの意見をいったり、行動をしたりするからこそ

 

 物事は進化していくんやと思うで。」

 


 

この性質が災いして、トラブルを起こすときも

 

逆にこの性質が花開いて

 

人に喜ばれる存在になったときも

 

いつもいつも100パーセントの味方でいてくれた夫の言葉だったから

 

自分のことをまっすぐに受け入れられるようになってたんです。

 

 

 

でも、今回さとみちゃんに言ってもらえたことで

 

「空気を読めない」が反転しちゃったよ。

 

 

 

いやいや

 

わたし、空気めっちゃ読んでたんだよ。

 

 

その読み方が

 

おおかたの人と違う方法だったからこそ

 

読めないって評価になっていただけで

 

読んでたよー

 

そうだ、読んでた、って。

 

 

喜びが満ち溢れた。

 

 

 

image

 

 

 

世の「空気を読めない」といわれている人種のみなさんドキドキ

 

 

わたしたちは

 

わたしたちなりのやり方で

 

空気読んでるんだよねウインク

 

 

 

そのことにもっと意識的になっていいし

 

その与える効果も自分で評価していていいと思う。

 

 

世間の評価なんて要らない。

 

 

わたしが、わたしのことをちゃんとわかってあげられたら

 

こんなに内側から喜びって溢れるんだなって

 

ひさしぶりに体験したんです爆  笑爆  笑爆  笑