土曜日日曜日で行ってきた神社巡りツアーのレポを書きたいと思います。

 

 

本当に言葉にできるかわからないくらいに

 

神がかった旅になりました。

 

どんな言葉で書いても陳腐になりそうで

 

もちろん

 

ここに書き記さなきゃいけない理由もないわけで

 

やめたっていいのですけど

 

ここを見に来てくれている方たちにこの感動を分かち合いたくて。。。

 

 

わたしが旅で感じたことの中から

 

きっと誰かの心のどこかに

 

しっくりくる言葉とか

 

ピタっとくる表現とかがきっと生まれるはずだから。。。

 

 

わたしの魂のお仕事のひとつであると思うので

 

全然伝えられないもどかしさと共に、書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

この晴天。。。

 

 

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いろんな流れがあって、わたしたちが選んだ日程は12月に入ってしまいました。

 

思考を使えば、あまり冬の時期に熊野に参らないほうが賢明です。

 

だって、かなりの山道を何時間も巡礼するんですから、凍結のこととか、ね。

 

けれど、なにも考えないというのは、最高の「神がかり」を体験できる

 

大きな条件なんだなって思うんです。

 

最初は11月の18~19日が候補日でした。

 

そして宿の空きを確認したとき、空いてたんです。

 

でもそのとき予約まで取らなくて、空きだけ確認して「じゃ、この日にしようね」とれいなちゃんと話し、

 

わたし、ちょっとサボって(^_^;) それから三日後くらいに宿の予約の電話をしたんです。

 

そうしたら、埋まってしまっていて。

 

それでこの日に延期したんです。しょうがなく。

 

でも、れいなちゃんと話してたんです。

 

「来れるメンバーの調整が入ったね^^」って。

 

 

ちなみに最初に行きたかった日程は

 

最後に参った天河神社で大きなご神事イベントが入って、ものすごい人手だったらしく

 

あまり人が多いのが好きではないので、ずれてよかったーだとか。

 

 

この旅はそんなことばかり起きました。

 

この天候だってそうですね。

 

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天候の心配をしていないからこそ、神さまは最高の天候をプレゼントしてくれたんだと思います。

 

それは天候だけでなく、日の入りとか、月の満ち欠けとかまで

 

もうありとあらゆるところに

 

「ご褒美」を仕掛けてくれていたんです。

 

 

そんな雲ひとつない空の中。

 

ご一緒したメンバーは、れいなちゃんとあとおふたり。

 

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あまり顔出しされたくないと思うので、この遠目のお写真だけ。

 

いちばん左は、一度うちにリトリートに来てくれたことのある、天使ちゃん。

 

 

 

 

なんとミラクルなのは、旅の三日前である水曜日にいきなりれいなちゃんが

 

「なんかなぁ、誰と旅をするかなぁとイメージしてたら、あの「天使ちゃん」が浮かんだんやけど、誘ってみてくれない?」

 

とメールしてきたんです。

 

たしかに彼女はこの記事のときのように、神社巡りが大好きだし

 

それにわたしは彼女が大好きだから、一緒に廻りたい!

 

けど、彼女は九州に住んでいるのです。それに学生さんです。

 

 

思考はすぐに「無理やろ~~~」

 

そう言ったんですけど

 

このれいなちゃんの「ふと」はとても大事なことだと思ったので

 

投げるだけ投げてみようと、ひさしぶりに彼女にメールを送りました。

 

マジ の ダメ元、で。(笑)

 

 

そうしたら、なんとなんと!!

↓↓

 

今週末、神社巡りツアーされるんですね(*´`*)

お声を掛けて頂き恐縮です…ありがとうございます!

 

参加…させて頂きたいです。

 

正直、スケジュール的にもお金的にもちょっと厳しいものがあるので迷いましたが

ちょっと勇気を出してチャレンジです(^^)

ずっとかみさんにもまたお会いしたいな〜また3月あたり行けるようにしたいなって思ってたのもありまして

 

 

玉置神社のこと全然知らなかったのですが、

ホームページのお写真みて、目頭が熱くなりました。なんだか懐かしい気持ちにもなりました。不思議(*´`*)

私、行けるかな。

 

↑↑

 

 

ありえへん。

 

それはもう二日前。

 

もう、びっくりで。

 

けど、ミラクルはここからすでに始まっていたんです。

 

 

 

あとで天使ちゃんに聞いたらね

 

「普通なら絶対に行かない決心をしていたはずだから、あえて反対のことをしてみた。」

 

って言うんです。

 

もう、すごいの一言。

 

聞けば今は看護師の実習中で、それこそ毎日毎日、病院で慣れない実習の毎日らしく。

 

前日も夜まで実習、旅の次の日も早朝から実習。

 

その合間をぬって、九州から三重まで来る??? 来ないよね。

 

ちなみに11月の日程だったなら、来れていないそうです。

 

 

うれしかった~。

 

すごくうれしかった。

 

 

わたしも俄然、旅が楽しみになりました。

 

れいなちゃんにほんと感謝なんです。

 

 

もうひとりの参加者であるNさんのことは、またあとで書きたいです。

 

Nさんもわたしが「今」出会うべき、女神さんでした。

 

 

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最初に参ったのは、花の窟(いわや)神社。

 

ここはイザナミとカグツチノミコトのお墓であるとされています。

 

イザナミがカグツチノミコトを産んだときに、ホトが焼けて、そのせいで死んでしまったと言われていますよね。

 

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このような参道を歩いて、この建物を抜けたら、そのお墓というか、宿っている場所があるんですが…

 

 

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どーん。

 

ここ。

 

 

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この大きな大きな窟がイザナミのお墓。

 

大きさ伝わるかどうかわからないけど、圧巻。

 

そして

 

そこに向かい合うようにたっている小さな岩がカグツチノミコト。

 

あ、写真がない…あせる

 

 

写真では伝わるかどうか…ですが

 

ここはとても優しい母性愛が流れていました。

 

もっと「せつない」感じがあったりするのかなぁと思うでしょうが

 

全然!

 

お母さんと子どもの間に流れる、とんでもなく深くて温かな愛の交流を感じました。

 

 

 

わたしはここでじっと感じていたときに、ふと思い出したことがあって。

 

 

そういえば、わたし

 

長男と次男を産むとき、とても世の中を憂いている時期で

 

環境問題とか、食べ物の問題とかでね。

 

その頃、妊娠しながら

 

「こんな世の中に無責任にも生み出してしまっていいのだろうか?」

 

みたいなことを考えていたんです。

 

答えは出ず、でしたが、産みましたし、そこまで思い悩んだというわけでもないのですが

 

 

 

このイザナミとカグツチの親子愛を感じているとね

 

「生み出す苦しみ、痛み」

 

そして

 

「生み出される苦しみ、痛み」

 

があったんだろうなぁと。

 

 

痛み分け

 

 

 

親を焼いてしまってまで得る命。

 

焼かれて死んでまで与えたい命。

 

 

 

だけど、それは愛だったのだなぁと。

 

 

 

そこではっとしたのは、昨年の自分のブログ。

 

朝、出発前に、フェイスブックで過去記事があがってきていて、シェアしたところだったのです。

 

これね、去年の12月2日、ほんとちょうど一年前で。

 

ぜひ読んでください。https://ameblo.jp/chamipansuki/entry-12224876642.html

 

 

親子の痛み分け。

 

代々続いてきた痛み分け。

 

もう、終わらせると決めて泣きまくったこと。

 

 

 

そして、やっぱりもう終わったのだと感じました。

 

 

 

だって、このお天気の中のイザナミとカグツチの間に流れる空気が

 

それを表していましたもの。

 

もうね、時代は変わったんです。

 

ちょうど一年前のブログを思い出させてもらって

 

というか

 

やっぱり、この日程で旅することになったこと

 

朝、過去記事をタイミングよく見せてもらったこと

 

それはメッセージです。

 

 

たぶん、この旅のレポの中で何回も書くと思うのですが

 

 

だれがこんなシナリオを書けますか?

 

書けないよ。

 

大きな目線の人でないと書けない。

 

 

痛み分けの時代は終わり

 

愛の交流の時代に入ったってことを教えてくれ

 

目指す在り方まで教えてくれる旅になりました。

 

 

 

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ここの茶屋のおまんじゅうは絶品!!と

 

この玉置神社ツアーへのヒントをいっぱいくれた人フミちゃんが教えてくれていたので

 

食べました。

 

柔らかくて、甘さもちょうどよくて、美味しかったです。オススメ✩

 

 

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その次は、産田(うぶた)神社へ。

 

さっきの花の窟はお墓。ここは実際に産んだ場所であると言われています。

 

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本当はこの場所よりかなり後ろで祈祷するべき場所があるのですが

 

みんな、もっと近くに行きたい!って言い出して

 

「この石の上には靴を脱いでおあがりください」って書かれてあったので、靴下とかタイツで(笑)

 

かなり足つぼ押しにもなりました。

 

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こちらはしっとりした場所でした。

 

ただ、由緒でいうと、かなりかなり古い時代の場所。

 

 

このあとは、当初の予定はお宿に向かい、お宿近くの「丹倉(あかくら)神社」にいく予定だったのですが、

 

この日の朝、また入ったメッセージにより

 

「大馬(おおま)神社」に寄ることにしたんです。

 

メッセージ来てるの、早朝ですよ?朝の4時(笑)

 

フミちゃん、乳児ちゃんのいる方なので、きっと夜間授乳で起きたときに、ふとフェイスブックを見たのでしょう(笑)

 

寝れなくなったんだって^^

 

 

「なにが良かったかと言われると説明しにくいのですが、なんかちゃみさんにはぜひ、行ってくもらいたいなぁと。」ってメッセージ。

 

 

こうしてね、いろんな「声」に助けられていった旅でもあったんです。

 

 

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かなり山を昇ったところにある神社でした。

 

 

 

最初は雰囲気がすごくあるなぁという位で参り始めたのですが

 

駐車場である二人連れがいたんです。

 

品川ナンバーだったので、「おお、東京から来てるのか?」と思って。

 

参道を歩いていると、右手に川に下りるようにして「禊場(みそぎば)」というのがあることに気づきました。

 

そこに気になって降りていくと、なんとその品川ナンバーの二人が

 

今、まさに川に入ろうとしていたの!

 

この寒い中!!

 

わたしの中で話しかけねば!っていう衝動があって 「こんにちは~」って声をかけると

 

なんと古神道を研究、実践されているという方だったのです。

 

あとでお名前を伺いましたが、磯さんと言われる方で。

 

これとか読んでみてください… http://blog.livedoor.jp/tennen_koodoboku/archives/12651405.html

https://ameblo.jp/333ahahaha333/entry-12109380211.html

 

 

古神道実践家であり、投資家なんだって、もぉーなにー。

 

 

この方とこの神社を廻らせていただくことになったんです。

 

 

これって、フミちゃんがメッセージをくれてなかったら行ってない、会ってない。

 

わたしがそれを受け取らなかったら、行ってない、会ってない。

 

そしてこの時間でないと、会ってない。

 

そんな偶然の積み重ね。

 

こんなシナリオ書けますか???

 

 

 

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この写真は、禊場にて、龍神さまにお供えをしているところ。

 

磯さんとご一緒にさせていただいた、ご神事については細かに書いてはいけないと思うので、割愛します。

 

けど、磯さんだから知っている

 

裏の参り方。

 

本当はこの神社はこうでああで

 

なにが祀られていて、なにが隠されていて

 

古代人のものすごい知恵と、それを継承できてない歴史と、

 

本当は…

 

 

の数々。

 

 

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ご神事でわたしたちは縄文時代の知恵者の封印を解き、その意識をチューニングしました。

あ、あやしいあせる

 

 

ちょうど天使ちゃん、ここ最近「縄文」が気になっていたらしく…

 

磯さんも、「ここで会ったのはみなさんもこの封印された意識にご縁のある方々なのでしょうね」と。

 

惜しみなく、磯さんの知識を教えてくださいました。初めて会ったわたしたちに笑い泣き

 

 

 

自然とともに生き

 

「わかっていた人たち」

 

それが縄文人の在り方、だとしたら

 

この場に居合わさせて

 

ご縁をもらったわたしたちがこれからどう在るか?だと思うのです。

 

身が引き締まります。

 

けど、次の日の展開でその答えは出ました。

 

また順に書きますね。

 

 

 

 

 

もうびっくりすぎる展開で。

 

 

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この滝ね、社の奥にありますが、この角度からは見えません。

 

あの岩がね、本当の御神体であり、この場の主。

 

あの岩はシリウスと同期しているそうで…。

あ、あやしいねあせる

 

 

けどね、言葉じゃないんです。

 

ここに立ったら、感じるんです。

 

 

異次元なんです、ここ。

 

 

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ここの神社が本当に伝えたいことは

 

すべてを許すということでした。

 

 

いろんな歴史がある。

 

いろんな事件が起きる。

 

いろんな諍いがある。

 

加害者がいて被害者がいる。

 

教えられたのは

 

けど、そのすべてを許しているという感覚でした。

 

 

縄文の意識は

 

すべてを許していました。

 

 

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この写真。

 

ぜんぜん実際の風景に追いついていないのが悔しいのですが

 

大馬神社を降りて目の前に

 

ぽっかり満月一日前の大きな月があったんですよ。

 

 

それはご褒美のように。

 

 

目の前に大きな大きな月が。

 

縄文を感じきって、帰るわたしたちにご褒美のように。

 

 

もう、大きな歓声しかなく。。。

 

 

涙しかなく。。。

 

 

 

だってね

 

来るはずのなかった神社

 

予定をはずして来てみたら、出会いがあり

 

それを終えて、目の前にご褒美のような月。

 

あの月の大きさは

 

あの時間でないと見れないんです。

 

もっと前でも

 

もっと後でも位置が違うんですよ。

 

 

あの瞬間にわたしたちがあそこを歩くことを

 

知っている人がいるってこと。

 

 

それが言うながら

 

神さまなんです。

 

 

それは内側からのとして

 

ときに、人を介したとして

 

現れてくれるんですよね。

 

 

 

このお月様が旅の最後にも出てきました。

 

それもまた書きますね。