今朝、早く

ある夢を見て起きました。

 

 

その夢は…

 

✩ ✩ ✩

 

わたしとソラがいて、わたしはある場所から荷物を運ぶことをしていました。

 

わたしは、一番早く、そして効率のいい運び方を頭の中で考え

 

第一陣として、持てるだけの荷物を別の場所に移しました。

 

そしたら、ソラが手伝ってくれようとしたんですね。

 

ソラも荷物をいくつか持って来てくれたのですが

 

ソラが持ってきたものたちは、わたしがその場所に置いておきたい荷物だったのです。

 

運ばなくていいものを、持ってきたんですね。

 

いわゆる、余計なお世話になった図です。

 

そこでわたしはキーっと切れて、そのとき手に持っていたプラスティックのもので

 

ソラの頭を思いっきり叩いてしまいました。

 

そしてソラはとても悲しそうに大泣きしました。

 

✩ ✩ ✩

 

 

 

そういう夢でした。

 

 

目が覚めて、とても胸が苦しくて

 

ぼーっと眠りと起きてるの合間を漂っていました。

 

 

こういうとき、いろいろ「わかる」んですよね。

 

 

夢で見た場面は、わたしの過去の子育てにおいて、よくあった場面です。

 

 

そう

 

わたしは

 

「時間にいつも追われていて」

 

「効率ばかりを優先していた」

 

 

 

そこに子どもという天然な存在が絡むと、うまくいかないことばかりで

 

いつもキーっと切れてた。

 

 

ついには、「子どもなんてわたしの邪魔ばかりする存在だ」なんて思い始めていた。

 

 

今ならわかるんです。

 

時間なんて無限にあるし、効率なんて求めなくてもなんとかなることを。

 

 

でも、その頃のわたしはまるで「サヌキ(目に見えるもの)」しか信じてなかったから

 

時間と効率を重視して、目に見える結果ばかりを求めていたんですね。

 

 

アワ(目に見えないもの)を感じる力を封印してましたから。

 

 

 

そして、その

 

「時間に追われ」「効率を重視する」

 

ということが、もう要らない、という

 

先日の涙はそこの悲しみを流した涙だったんだなぁと

 

この夢のおかげでやっと言語化できたんですね。

 

 

 

 

 

先日の涙は、ものすごい深い部分からの涙であることには気づいていました。

 

へんな声が出るし、すごい嗚咽だし、止まらないし

 

理由がわかんないし…。

 

 

だけど、今朝の夢を見たあとの、まどろみの中で

 

さらにわかっちゃったんですよ。

 

 

 

そこをうまく書けるかどうか、わからないのですが挑戦してみますね。

 

 

わたしは特に長男にそういうキレ方をよくしていました。

 

そしてそれは本当に悲しいことでした。

 

 

長男は魂の挑戦として

 

そういうキレ方をしてしまう傷のあるわたしの元に

 

一番手として来てくれていると思っています。

 

 

受け手として、傷を受けることを承知で

 

この循環を食い止めるために、チャレンジしてくれたんだと思います。

 

 

長男は痛かったでしょう。

 

それは叩かれた体もそうですけど、心が痛んでいたでしょう。

 

 

でもね、これはわたしは

 

実は「痛み分け」だったことが

 

わかるんです。

 

 

だって、わたしの叩いた手も痛かったんです。

 

そしてそれ以上に

 

また叩いてしまったわたしの心も痛かったんです。

 

それは相当に。

 

 

 

でね、この痛み分けって

 

愛以外のなにものでもない気がして。

 

 

そんなわたしは父に叩かれていました。

 

わたしは循環を止めることは出来なかったけど

 

父から叩かれることで、痛みを分けていたのだと思ったんです。

 

 

 

そして長男のことで言えば

 

完全に循環を止められたわけではなく

 

特に四男に向かって、手が出たり、暴言が出たりしていました。

 

四男はまたサヌキ気質の強い子です。

 

次男、三男はアワ気質の強い子なので、あまりぶつからないのです。

 

 

もしかしたら、長男の痛み分けをしに

 

そういう気質で四番目に生まれてきてくれたのかもしれないのです。

 

 

避妊具を突き破ってまで来てくれたあの子は

 

長男との痛み分けで来たのだとしたら?

 

 

そして四男は、ものすごいリアルタイムで感情解放をする子なんです。

 

わーわー喚くし、大声で泣くし、モノには当たるけど

 

すぐにケロッとする子なんです。

 

循環はさせない。

 

上には歯向かうけど、下にはとても優しい、まるで昔のヤンキーみたいな子(笑)

 

 

そうするするわかってくると

 

「愛されること以外受け付けない」といったような五男は

 

もう、この循環を完全に終わりを示すために

 

受け付けませんよ、と、あんなに愛らしい外見と性格で生まれてきてくれたのだとしたら

 

 

 

 

わたしの先日の涙は

 

わたしに綿々と続いてきた代々の痛みの

 

浄化だったのではないかな?

 

そう感じたんです。

 

 

 

だって、わたしの父も痛みを抱えていましたから。

 

そしてその父の上の代も

 

痛みを抱えていたはずですから。

 

 

その痛みは「サヌキがち」だった時代ゆえの

 

「時間に追われ」「効率ばかりを優先し」

 

見えるもの(サヌキ)

 

つまり、結果、成績、大きくなること、増やすこと、階級、、、

 

そんなものばかり重視してきたゆえに

 

生まれた痛みだったと思うのです。

 

 

 

そして今

 

かつてないほどに日本の中で

 

いじめ問題、DV問題、幼児虐待問題が起きているのは

 

総出で

 

痛み分けをしているんじゃないかな?って思ったら

 

泣けてきて

 

泣けてきて

 

 

それって、愛でしかない。

 

 

 

わたしは長男に対して

 

もう一度「ごめんなさい」が言いたくなり

 

心の中で何度も「ごめんなさい」と言いました。

 

 

でも、長男からはこう返って来たような気がしたんです。

 

 

「お母ちゃん、僕もごめんね。

 

わざと、お母ちゃんのその痛みを引き出しにきたんだから。

 

 痛かったでしょ?

 

 ごめんね。」

 

 

そう。

 

この言葉を聞いて思い出したことがあるのですが

 

長男は小さな頃、わたしにたくさん怒られた時代の話をするときに

 

「僕な、怒られるのわかってて、やってたんやで。」

 

そう言ってたんです。

 

 

わたしは

 

「へぇ~、そうなんや。怒られたくないもんじゃないのかな?」

 

そう思って聞いていたのですが

 

 

よくよく思い出せば

 

 

わたしも父に怒られるのをわかっていても、門限とか破ってたなぁと思って

 

それって、衝動でしかなかったのですけど

 

もしかして

 

もしかして

 

忘れてしまっていただけで

 

「父との痛み分け」は魂の目的のひとつだったから

 

衝動という形で出てきていたけれど

 

すべて、願い通りに行っていただけで

 

そうやって、加害者・被害者というのは、作られてきた。

 

 

 

の、なら

 

さっき書いたように

 

今、日本中で起こっている悲しい出来事たちの底にも

 

加害者からの「ごめんなさい、そしてありがとう」

 

 

被害者からも「ごめんなさい、そしてありがとう」

 

の世界があるのではないかな?って。

 

 

 

そうしたら、愛しかないやん

 

って、また思えて、泣けてきたんですね。

 

 

ホ・オポノポノの本は数年前に何度か読んだことがありますが

 

すべてこのふたつの言葉で説明できる

 

愛の世界だったんです。

 

 

 

 

今、これ書ききって

 

まだ胸が苦しいですが

 

この胸のつかえが取れたら

 

わたしの関わる代々の悲しみは

 

浄化されていくのではないかな?と思えています。

 

 

 

2017年には

 

もう要らないから。。。

 

 

「時間に追われ」「効率だけを重視する」

 

このサヌキに偏りすぎた生き方は要らないから

 

今の時期に出てきてくれて、ありがとうなのです。

 

 

もうちょっと感じていって

 

手放します。

 

 

 

ありがとうございます。