この日感動が大きすぎて
言葉にするのがもったいなくて…
そんなことってない?^^
ブログになかなか出来なくて、かなり日が経ってしまいました。
ちょうど1年前に大阪であげまん道スクールを受けてくれたメンバーが
同窓会っぽく、ちゃみの森オープンサロンに集まってくれました。
たしか、東寺出店の次の日だったので、とっても体は疲れていたのだけど
みんなが「ちゃみぱん、食べたい~」と言ってくれてたので
頑張って焼いたよ。
以前のわたしなら、きっと「ご自愛」という隠れ蓑の中で
焼かなかっただろうなって思う。
もちろん、大したものはしていないけど。
「する」と「しない」との差は大きいのだと思いました。
そして、もちろん、それはどっちでもよくって
「する」からえらくて、「しない」からえらくないとか、そういうことじゃないですよ。
この日の会話にもなったのだけど
そのことを江美子ちゃんがブログに書いてくれていて
もう、自分を活かして生きたいわたしが
どんどん顔を出しているなぁと
自分で自分のことが嬉しくなったのでした。
自分という資源を
そのとき出来る最大に活かして生きたい。
この笑顔ヽ(*´∀`)ノ
大好きな人たちの笑顔ヽ(*´∀`)ノ
一年前にわたしを見つけてくれたんだよね?
生きづらさをなんとかしたくて
わたしを頼ってきてくれた人たち。
以前はスクールに来てくださった人たちのことを「娘」と表現していましたが
やっぱりその気持ちは変わらず。
いっときだけと、お世話をさせていただきました^^
そしてその関係性も上に書いたことと同じだけど
お世話をするほうがえらくて
されるほうがえらくない、とかなくって。
子育てしている方ならわかると思うけど
もう、それは循環そのものなんです。
愛を注がせてもらったら
同時に受け取っていますから。
だから、言葉になりにくい。
言葉にしたくない
泣きそうな想いがそこにはある。
この日どうしても参加できなかった遠方の「娘」から届いた愛。
愛はアイスの味わいを深めてくれました
あげまん道を全国に広げる活動をしていて
財産はまさに「娘たち」でした。
もうね、最近はみんなのことを「娘」と表現することに、ためらいはある。
卒業していくしね
わたしと関わっていたことを消したいくらいの人もいるかもしれない。
この記事でも書いた次男への想いと同じだ。
だから、「娘」なんて書いたら
わたしが酔っているように感じられないかなーって恐怖。
いつまでも酔っているわけではないのですよ。
でも、出会ったことは
そのとき感じあった愛は
わたしの胸の中に永遠にあって
わたしの身体として
一部としてどうしてもあるから
たまにこうして「会える」と
たまらなく身体も心も反応してしまうのです。
うれしいねー。
せつないねー。
出会うって嬉しいばっかりじゃなく
せつなさと共にある。
大切な一日でした。
本当に豊かな人生だと思います。
ありがとう。