なかなか浜松のレポを書く気持ちにならなくて

 

書かないでおこうか~とも思ったのだけど

 

やはり「けじめ」として

 

「書く」という行為で感謝の気持ちを伝えたくて。

 

 

でも、時間をおけばおくほどに、どんどん書けなくなりそうです^^

 

 

 

大きな想いほど、文字にするのは本当にパワーが要りますね。

 

 

大げさにしたいんだよね。自分の中で。

 

簡単に文字にしちゃったら

 

簡単に済んでしまうことになるのが、さみしいんだね。

 

 

 

えいっっと、めちゃくちゃ正直な想いを書きます。

 

 

 

浜松のお話会の様子は

 

主催者さんや参加してくださった方のレポをしばらくリブログさせていただいてたので

 

それに代えさせていただきます✩

 


 

 

 

お気づきのように

 

わたしの中である時期に

 

前に出てお話させていただく、ということに

 

喜びを感じられなくなっていて

 

だけど、数ヵ月先までお仕事を受けていたのもあり

 

最後の浜松まで

 

なんとかやりきった。

 

そんな想いでいっぱいでした。

 

 

あまりにも心と予定が噛み合っていず

 

浜松に関しては

 

集客中にフェイスブックの友達整理をするとか

 

暴挙に出てしまいました。

 

 

頭(サヌキ)では、そんなことしちゃいけないの、わかってるんです。

 

でも肚(アワ)が言うんです。

 

わたしはそれを無視できなくて。


サヌキはアワを叶えるために使うと決めてるから。

 

 

だけど、そんなわたしを誰ひとり責める人はいませんでした。

 

みんな、集いに関わることを

 

「自分ごと」として楽しんでいたから

 

「誰かのせい」が一切生まれない世界で繋がっていました。

 

 

 

そのことが嬉しすぎて

 

嬉しすぎて

 

「ああ、自分が欲しかった世界に今、いるんだな。」

 

それがわーっと

 

甘い甘いキルフェボンのケーキを食べながら実感できて、泣いたのでした。

 

 

そして、どこの会場にも

 

「なにかを解決してほしい」という参加者さんより

 

「お礼を言いに来た」とか

 

「旦那さんといるちゃみさんが見たかった」とか

 

そういう理由で来てくださった方が多かったです。

 

 

それも泣けるほど嬉しかったのです。

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

わたしは正直ものの不器用人間です。

 

それを人ははちゃめちゃと言うのでしょう。

 

 

こんなはちゃめちゃな自分でごめんなさい。

 

 

この言葉は

 

わたしの人生に常に常に張り付いていた言葉でした。

 


だけど浜松にあったのは

 

はちゃめちゃでも許される世界。

 

 

 

 

 

わたし以上にはちゃめちゃな人ばかりが集っていた浜松。

 

そして香川。

 

出雲。

 

みんな、はちゃめちゃな人たちでした。

 

 

そう

 

みんなさ、脱いじゃえば、はちゃめちゃ。

 

 

はちゃめちゃ

 

とは

 

破茶滅茶

 

と書きます。

 

 

わたし的読みは

 

「ちゃみ(茶)が破壊され、滅する状態」

 

つまり

 

ちゃみという役割は終わり

 

小森可美に戻ったってことなの。

 

 

 

わはは。

 

 

そうなのだ。

 

 

ちゃみさんという呼ばれ方は嫌いじゃないので

 

そのまま呼んでいただきたいと思います^^

 

 

 

けど

 

「あげまん道の先生であるちゃみ」

 

という

 

役割は

 

終わったということ。

 

 

この日のはちゃめちゃで

 

「ちゃみ」は破壊され、滅しました(笑)

 

 

 

 

そう、この日

 

キルフェボンのケーキを食べながら、泣きながら

 

ひとつ思い出したことがあったのです。

 

 

 

それは、わたし、ブレイクする前に

 

天に祈ったことがあるんです。

 

 

それは

 

「女性性のお話をしたいんです。世に広めたいのです。どうか、わたしを使ってください。」

 

って。

 

 

 

わー!言うてた!!って(笑)

 

 

これ、思い出したんです。

 

 

だから、「使ってもらったんだ。」

 

 

ああ、願いって

 

まじで泣けるほどに叶っている。

 

 

 

思い出して

 

すぐに

 

「もういいです。満喫しました。もう使わないでください。」

 

って(笑)

 

言いましたとも。。。

 

 

✩ ✩ ✩

 

 

浜松を終えて

 

「講演家」でもない

 

「講師」でもない

 

またまっさらに戻った自分が

 

もともと

 

どれほど素晴らしかったのかに気づく日々です。

 

 

そしてそれは

 

自分ひとりでは気付けなかったことで。

 

 

特に最終のあちこちの出張で

 

お会いした人たちがかけてくれた言葉の中から

 

改めてわかりました。

 

 

それはどんな言葉たちかというと

 

「少女のよう」

 

「柔らかい」

 

「可愛い」

 

「素直」

 

そんな言葉たちでした。

 

 

 

そう、わたしはもともと素晴らしかった。

 

 

 

やばい。

 

素晴らしい。

 

めちゃくちゃわたし、素晴らしい。

 

 

 

心底思えた。

 

 

また、まっさらになったから

 

余計に。

 

 

そこに今浸っています。

 

 

 

↑わたし、この写真がすごく好きで

 

まさに、今のわたしの素晴らしさが現れていると思うの。

 

 

ただ、そこにちょこんと座っているだけ。

 

大したことをしてなくっても、ニコニコしているだけで愛されるべき存在。

 

夫に愛され、守られ、

 

女冥利に尽きる存在。

 

 

そうでありたい。

 

 

 

そこの位置を今

 

じーっと確認中なんです。

 

 

なんというか

 

そこの素晴らしさからズレそうになるときがあるから

 

一生懸命、自分を見つめています。

 

 

✩ ✩ ✩

 

 

この3年間

 

あげまん道の提唱者として

 

講演家として

 

講師として

 

たくさんの方に関わらせていただきました。

 

そのすべての方に感謝しています。

 

 

たくさんの出会いと

 

たくさんの別れがありました。

 

これまでの人生で一番華やかで忙しい3年間になりました。

 

 

わたしにもこんなことができるんだ、と

 

不思議に思えるくらいに

 

力を出し切った時間でした。

 

 

もう今のわたしは100人の人の前で講演なんて無理ですっ

 

(笑)

 

なんで、出来たんだろう?

 

あれは、本当にあったわたしの体験なんだろうか?

 

 

人生とは不思議すぎます。。。

 

 

だけどいつのときも

 

 

わたしはとても幸せでした。

 

 

めいいっぱいでした♡

 

 

これからまた

 

新しい生き方へシフトしていきます。

 

 

新たに願った未来に近づいていきますね。

 

 

これからもお付き合いのあるみなさま

 

よろしくお願いします。