そだそだ^^
もうひとつ、北海道の旅で
はっきりクッキリわかったことがあったんだ!
夫とわたしでめちゃくちゃズレてた点。
それは
「子どもに何かしてあげたい」という想いの濃さ、方向性みたいなもの。
特に旅中は、めっちゃくちゃはっきりクッキリ違いがわかったんですよね。
旅をしていると、普段できないこと、食べられないもの、いっぱいあるから
普段とは違う体験をたっくさんしたいって思いますよね。
そんなとき、わたしは
視点が「子どもたちに…体験させてあげたい」っていうのが先にあるんですね。
けど、夫はいつだって
わたしが一番なんですよ。
そのズレ。
例えば、ひとつ例に出すと
4日目、ホテルのプールに行って遊んでました。
次男が途中で喉渇いたなぁって、ポツっと言ったんですね。
母親とは、そんな子どもの一言は逃しませんよね?
それはもう、赤ちゃん時代に
言葉にならない赤ちゃんの発する「音」から
なにを欲しているのか?してあげられることはなにか?を
アワを最大に発揮して、察してきた母親ですもの。
とくに体の欲求に欲すること
「お腹すいた」とか「喉がかわいた」「暑い、寒い」
には、とっても敏感。
で、その言葉を聞いたわたしは
お財布をもっている夫に伝えるんです。
でも、夫はとくにすぐには動こうとはしません。
そうして時間が過ぎ
しばらくして、わたしが
「カフェでなんか飲みたいなぁ」って言ったら
すぐに動くんです。
そしてわたしは言外に
次男にも買ってあげてほしいなぁと入れてるんですよ^^
けど、夫は
自分の分と、わたしの分だけ買ってくるんです。
でね、カフェで二人でずずーっと飲んで
半分以下になった自分のジュースを次男のところに持っていき
「飲めや」
って渡すんですよね。
それを見て
あ、忘れてはないんやなぁってわかるんですけど。
そんで、そろそろ帰ろうか~ってなって
夫が車を取りに行ってくれて、玄関まで廻してくるってなったんですね。
わたしらは着替えて、玄関に待機してたら
アクエリアスを何本も抱えて迎えにきてくれたんですよ。
そこで、わたしわかったのは
夫の考えでは
「少しぐらい我慢できるやろ」
という想いのもと
「子どもたちはペットボトルの飲み物でええやん」
「おしゃれなカフェのドリンクは夫婦で飲めばいいやん」
だったりするわけですね。
なんとなく、わたしと子どもは同じではない
という行動を
そこかしこで感じたわけなんです。
以前のさげまん時代のわたしなら
それをじっと観察して理解する前に
とっても正当なこととして、夫に文句を言ってたと思います。
「子どもが喉渇いてるって言うてるのに、はよ、買ってあげてよ!」
「なんで残りものなん?買ってあげたらいいやん!?」
みたいなね(苦笑
でも今は
すべての夫の行動にある「意図」を知りたいから
黙って様子を見ることができるようになってます。
そうしたら
「彼なり」の「愛」
がいつもそこにはあるんです。
わたしの発する言葉は全部聞いてくれてるし
それをときには「意外な」形で叶えてくれるのです。
発して待つ。
待ってると
愛が形となって
現れます