この北海道旅行では、4泊の間に2度もセッ クスをしました。
もちろん、わたしから求めてのことですが
夫も嫌々ではなく、楽しそうに見えました。
ちょうど宿を人数の関係でふた部屋取っていることが多く
自然と夫婦だけの時間が増えたからです。
今年に入ってから、夫の性欲がなくなってしまったことは何度か書いてますが
その一つの理由に
ふすま一つ隔てただけの部屋に、大きくなってきた子どもたちがいつまでも起きているから
というのがありました。
が、わたしはそれをあまり理由として重要視してなかったのです。
過去、子どもたちが起きてくるのが気になるから、と
わたしが何度も断ってても
それを逆に楽しそうに求めてくるということが夫にはあったからなんですよね。
最近、この夫の変化を
わたしの持ち前の研究対象として 笑
ずっと考えたり感じていたのですけど
いろいろ見えてきたことがあります。
それを今から書いてみますが
特に性癖とは絶対に人によって違うものなので
あくまでもうちの夫婦の研究結果であることをご了承し読んでくださいね。
どこのレス問題にも合うわけではないと思います。
が、どこかサヌキとアワの性質的な共通項もあるかと思います。
夫がわたしに対して性欲があまり湧かなくなった一番大きな理由は
先日書いたこの記事
わたしを自分の所有物だと思えなくなった
と、いうもの。
そしてその後も対話を重ねていく中で出てきたキーワードに
『癒しじゃなくなってしまってん』
というのがありました。
わたしはそれを聞いた時、癒しってどういう意味を込めて使っているのかな?と思いました。
私たち女性がその言葉を使うとき、安心とか、心地よさとか、緩む感覚を指すと思うのです。
けど、夫はわたしといるとき
明らかに緩んでますし、幸せそうなのです。
セッ クスは求めてきませんが
キスやハグはたくさんあります。
だから
ちょっとわたしの思う意味と違うのだろうな、と思いました。
なので、もっと聞いていきました。
わたし、なんでも
自分でしっかり掴みたいんですよね^ ^
対話を重ねて、なんとなくつかめたのは
夫はセッ クスにおいて女性に
『慰みもの』
みたいな感覚を求めていたんだろうな、と思ったんです。
これは男性共通の性癖なのか
夫特有のものなのかはわかりません。
でも、少しはサヌキ的なものなのかなと感じてます。
慰みもの。
言葉にすると、少し女性にとっては悲しい響きがあります。
わたしなりにもう少し言葉を重ねるとするなら
お人形的
征服欲が満たされる
所有欲
コントロール
そんなもの。
過去のセッ クスにおいて、特に夫が積極的なときは、こんな様子の時が多かったように思います。
でも当時のわたしは
そんな風に激しく求められること、を
愛されている
と感覚的に受け取っていました。
これもアワ的なものでもあるし
その強さ弱さは個人差があると思うんですね。
でね
それって
それって
今思うと、
…
もしかしたら
とても未熟な繋がり方だったのかもしれないなぁと。
どちらもサヌキとして、アワとして、
とても未熟だった。
だってサヌキは力を誇示するためにセッ クスをし
アワは埋めるためにセッ クスをしていたのですから。
だから以前は
わたしが嫌がっても、子どものそばでセッ クスが出来ていたのもあるんですね。
もちろん、いろんなセッ クスがありましたし
形はいつも一つではなかったのですが
二人が燃え上がったなぁと共通して思っていた形って
これが多かったように振り返ると思うんですね。
今の状況では
夫はわたしへの尊敬の気持ちをはっきり自覚し始めて
上のような未熟な性欲がなくなったということだと気づいたんです。
強い性欲が湧かなくなったと自覚しているのは
征服欲がないからなんだと。
それでね、今回の旅でした2度のセッ クスはどんな感じだったかというと
わたしが求め、夫はとても嬉しそう。
決して夫は燃え上らないし、熱中もしてないし、興奮もしていなんです。
かたやわたしは自分の快に集中。
夫は冷めたままで、わたしの快のサポートのために動く。
そんな感じで^ ^
わたしがとても集中して気持ちよくなっていくところを、時折ケラケラと笑ったりするくらいで。
そんなこと初めてで
でもその夫の笑い方がわたしにとっては嫌ではなく
そこにとても愛を感じてしまって。
夫から
『そんな気持ちええんか?』
ニコ^ ^
『なんでそんな声出すん?』
ケラケラ^ ^
って感じの会話があったり。
すごくリラックスして、楽しんでいる雰囲気でした。
すごーく、こんなのいい!って思ったんです。
時折、まだ
過去が体に染み付いていて
激しく求められたい!って思うときもあるけど
関係性が成熟してきているのを
手に取るように感じているので
このまま新しい展開を
やっと手放しで楽しんでいけそうです。
夫からセッ クスは求められないけど
わたしが必要なときは
家でなく
安心な二人きりの場所さえあれば
叶うという安心感。