お伊勢参りに行かせていただきました。
三重に移住してくる前に、家族で内宮だけちょこっとお参りさせてもらっていたものの、気になっていたんですね~。
滋賀時代の友人が主催する「神社ツアー」があることを目にしたので、参加させてもらいました。
kaworiちゃん
伊勢参りに順番があるのかは知らないけど、今回は外宮から内宮をお参りさせてもらいました。
kaworiちゃんという、いろんな声の聞こえる人と一緒に行ったからか
わたしもかなりゾーンに入っていて、いろんなメッセージを受け取りました。
おもしろいこともいっぱいで、タイミングとか、自分の感性を信じる楽しさをいっぱい味わったツアーでした。
外宮、とっても好きになりました。
↑外宮で2番目に気になった場所^^
感じたのは、ちゃんと参拝できる場所よりも、こうして立ち入りできなくなっている場所や、ひっそり隠れた場所にとってもエネルギーの高い場所がありました。
ここは神々しかったです✩
外宮の正宮では、わたしの真後ろに伊勢参りガイドさんが立ってね、
わたしに聴かせるかのように、正宮の中のことをしゃべり始めたんです(笑)
ね♪
調べていかなくったって、ちゃんと必要な情報は向こうから来るの^^
外宮も内宮も、女の神様が祀らられているそうです。
外宮には丸い鏡が真ん中に飾られていて、その周りに200以上もの宝物が囲んであるそうです。
内宮には三種の神器のひとつ、「八咫鏡」が祀られています。
その鏡の周りの宝物は、女の人が暮らすのに必要なものたちらしくて
布団とか、靴下のようなものとか、いろいろ。
そして伊勢では、男の神様は「神域」にはいらっしゃらないそうなんです。
これを聞いたときにね、やっぱり「あげまん道」イケてるやん♪って思いました。
女は家の真ん中(神域)にいて、居心地のよいモノに囲まれていればいい。
神域である場所、それはお家であったり、自分自身の身体やご機嫌だと思うのですけど、そこを守ることが一番のお仕事。
そして男は安心して、外に出て活躍するんだ、ということ。
それをガイドさんから聴き終えてね、正宮内のみんなのいる場所に歩いていったとき
お宮の中にある家族が入られてご祈祷が始まったんです。
ご祈祷をされていたのは、ご両親と12歳くらいの少年のご家族でした。
パリっとスーツを着せてもらって、髪型も散髪にいったところって感じの、綺麗に整えられた少年。
とってもピカピカだったんです。
そしてご祈祷が終わり、わたしたちの目の前を出てこられました。
つまり、内側に入っていた少年たちご家族が、出てくるときに
神様と私たちの間の扉が開いたんです。
目の前で、扉が開かれました。
あいた。
それがタイミングといい、とっても象徴的で。
あとね、少年以外には、わたしの目の前に「ハゲ」てる男性がくるの。
何度も。
それと、無邪気な男性もちらちら見かけたの。
大人の男性なのに、大きな木に耳をつけて、波動?を感じてる?なにかを聞こうとしている人とか、いたの
か、か、可愛い♡と思った。
これら、メッセージだと思っていたんですよね。
ハゲ、てる大人の男の人
そして、ピカピカの少年。
無邪気な大人の男の人。
そのときに感じたんですよね。
男の子を大事にって言葉を。
わたしが受け取ったのは、ハゲている男性は「疲れ」ていたり、「枯れ」ていることの象徴でそれと、無邪気な男性もちらちら見かけたの。
大人の男性なのに、大きな木に耳をつけて、波動?を感じてる?なにかを聞こうとしている人とか、いたの
か、か、可愛い♡と思った。
これら、メッセージだと思っていたんですよね。
ハゲ、てる大人の男の人
そして、ピカピカの少年。
無邪気な大人の男の人。
そのときに感じたんですよね。
男の子を大事にって言葉を。
※念のため、すべてのハゲている男性がそうだと言いたいわけではありませんよ(^_-)-☆
そして大切に育まれている少年とのコントラスト。
また、無邪気にいられる大人の男。
ああ、女はもう大丈夫なんだ。
そして、女が大丈夫になったら、注目すべきは男の人なんだ。
うちのパートナーシップでもそういう流れが来てます。
大丈夫になった女がそばにいたら
次は男の人が
もっと自分の感性を信じて
つまりは自分のアワやパートナーの豊富なアワを感じながら、影響されながら
自分らしく
生きていくっていう流れに
あげまん道は入っていくんだなぁってこと。
それを改めて
神様に言われているなぁと感じたんです。
わたしたち女は外宮の女神のように
自分の居心地を整えていくことを、さらにさらに。
そして、エネルギーを与えられるんだわ。
ただ、あげまんとして
あるだけで、ね。
象徴的でした~✨
あのピカピカの少年。
今、男の子を育てておられる方は
本当に男の子の感性を大切に育ててあげてください。
世の中がどんどん変わっていきます。
きっと、不登校になる子とか
発達障害といわれるくくりに入るお子様も
その感性ゆえ、今の世の中では生きにくさもあるんですけど
彼らがこれからの世の中を作っていってくれるのは間違いなくって。
神様に言われているなぁと感じたんです。
わたしたち女は外宮の女神のように
自分の居心地を整えていくことを、さらにさらに。
そして、エネルギーを与えられるんだわ。
ただ、あげまんとして
あるだけで、ね。
象徴的でした~✨
あのピカピカの少年。
今、男の子を育てておられる方は
本当に男の子の感性を大切に育ててあげてください。
世の中がどんどん変わっていきます。
きっと、不登校になる子とか
発達障害といわれるくくりに入るお子様も
その感性ゆえ、今の世の中では生きにくさもあるんですけど
彼らがこれからの世の中を作っていってくれるのは間違いなくって。
うちにもそんな子がいるので、ず~っと思っていましたが
わたしが見かけたあのピカピカの少年のように
大切に育まれるべき存在。
それは決して過保護というのではなく
彼らの繊細でユニークな感性を守ってあげること。
わたしたち世代には理解がしがたいことがあったとしても
彼らは必要だからするし
彼らはもうその個性でこの人生への勝算を持っているということ。
女性性の高い男子が増えているのも
きっとその流れのひとつだし
流れには逆らえない。
逆らうなんて、傲慢すぎておそろしいことです。
ちなみに✩
女の子をお育てのママは、なにもしなくていいの?って^^
いえいえ、あなたが「あげまん」としてあることで
女の子は大丈夫だから。
強いから。
あなたのように✩
✩ ✩ ✩
しばらく、このピカピカの少年に道案内されるかのようにあちらこちらを出会いながら
外宮の中のとっても波動の高い場所にも導かれました。
そこは、とくに人が参るような場所ではなかったのですが
わたしが一番泣きそうになった素敵な場所でした。
滋賀で住んでいた原生林に似た雰囲気で
きれいな水が奥から流れてきていました。
その水にみんなで手を浸し、ウツシを得ました。
次いくことがあっても、必ずあそこは参らせてもらおうと思います。
女の子をお育てのママは、なにもしなくていいの?って^^
いえいえ、あなたが「あげまん」としてあることで
女の子は大丈夫だから。
強いから。
あなたのように✩
✩ ✩ ✩
しばらく、このピカピカの少年に道案内されるかのようにあちらこちらを出会いながら
外宮の中のとっても波動の高い場所にも導かれました。
そこは、とくに人が参るような場所ではなかったのですが
わたしが一番泣きそうになった素敵な場所でした。
滋賀で住んでいた原生林に似た雰囲気で
きれいな水が奥から流れてきていました。
その水にみんなで手を浸し、ウツシを得ました。
次いくことがあっても、必ずあそこは参らせてもらおうと思います。
kaworiちゃんの提案で、神様へのお供えものとして、りんごを持って行ってました。
外宮の別宮である多賀宮で、豊受大御神さまにお供えし、お下がりとして
みんなお家にもって帰ります。
そのりんごを、家族で分け合って食べることで、豊かさを持ち帰るというアイデア。
すっごい美味しいりんごでしたよ。
夫と息子に食べさせました。
これも女の役割なんだなって思いました。
女が神域をご機嫌に守りつつ
たまに外に出るときは
豊富なアワを使って、新しい波動を取り込んでくる。
そんな豊かさをエネルギーとして、また神域持ち帰れるんだなってこと。
わたしのお仕事の仕方も、そうなってきているので^^
✩ ✩ ✩
あとは、外宮のそばにある茜社にもよって
内宮の中を流れる五十鈴川。
ここでも、わたしの後ろにガイドさんが(笑)
五十鈴川の水はとっても澄んでいるんですけど、大雨などが降って濁ったとしても、本当にすぐに澄むんですって。
なんでこれを神様はわたしに聞かせたかったのかな~?って感じていたのですけど
人としての成熟した姿だなってことかな?
あげまん道を進んでいくと
いろんなことがあって、揺れることは変わりなくありますけど
ご機嫌に戻る時間が早くなる。
起こることの意味も受け取れるし
いつでも愛されていると信じられているから
すべてがありがたいってことが、腑に落ちてるんですよね。
この川のようにありたいですね✩
内宮。
外宮で感じていた、凛としたエネルギーの高さではなく
おだやかでした。
おだやかなエネルギーはまるで
外宮で感じたことの、さらに上を教えてくれているようで
「ひだまり」って言葉が浮かびました。
天照さまは、ひだまりなんだな~。
女は神様として、こうあればいいんだな。
内宮でもね、やっぱり気になるのは、立ち入り禁止になっている場所。
でも、そこでも、扉が開くというミラクルがあったんですよね~。
二度目^^
ほんと、ツイテました。
きっとね、ちゃんと受け取ることができるから
そして、持ち帰ることが出来るから
開けてもらえたんだと感じてます。
つまりは、もう
本当にここまで来たら
頑張るということを手放して
頑張らなくても
もらえるということを
信頼していけばいいんだなってことです。
信頼すべきは本当に自分の感性です。
多くの人があちらに流れていくから、流れていく、のではなく
自分の「気になる」を大切に。
その「気になる」は
ギフトのありかを教えてくれている。