実はハワイの初日で

かなりグッときた風景が2つあるんです。


1つ目は

ドレスアップして行ったレストランのウェイティングをしている時

レストラン内にいた父親と10歳くらいの娘ちゃんが、店に流れる音楽に合わせて、自然な感じでダンスし始めたんですね。

大きな体のダッドの腕の中で、無邪気にくるくるダンスする娘ちゃん。

とっても素敵でした。


その場面と

今度はもしかしたら同じく親子。

もしかしたら違ったかもしれないのですが、同じくらいの娘ちゃんのバースデーを祝うファミリー。

隣のテーブルだったんです。

ダッドとママとお姉ちゃん、そして10歳くらいの子の四人家族で。

ダッドの膝の上に座りながら、家族とケーキを給仕してきたレストランの女性から、ハッピーバースデーを歌ってもらってた。

私たちも思わず幸せな気分になって、一緒に歌って祝ったのですけど^ ^



その光景が後から後から、じんわりくるんですよ。


泣けたんですね。



ほんで、この風景のなににこんなに泣けるのか?
言語化しようと感じてました。



このアウラニに泊まっているファミリーは間違いなくみんな豊かな家族だと思います。

そしてそんな豊かな家族に生まれて、きっと彼女たちは、アウラニでバースデーを祝ってもらうことは、最初から普通のことなんだろうなぁって。

そしてご両親にとっても

こんな場所で娘のバースデーを祝うことは、とても自然で、

いや、もしかしたら、私たちみたいに成り上りなら、さらにさらに幸せなことのんだろうな~と。



そしてバースデーを祝う場所が

別に

アウラニである必要はなく

例えばそれがココスでだって同じなのですが

この普通に子どものバースデーを祝ってる幸せな空間、時間を

あんなにゆったりと過ごせるってことの背景には

やっぱりある程度の豊かさが必要だなって感じたんです。




例えば、日本でよくあるパターンなら

お父さんが忙しくて、家族揃ってバースデーを祝える時間帯に家に帰ってこれないとか

たとえ、家族は揃えても

夫婦間がギスギスしていて、ゆったりと愛の流れる空間を作れなかったりとか。



自分の経験から言うと

子育てが大変過ぎるころ

子どものバースデーをゆったり祝いたい気持ちはあっても

ケーキにろうそくを指し、それを触ろうとする1歳児がいるとか

ケーキは一瞬で食べ終わり、そのあとの片付けが大変だとか

テーブルから手からベタベタにされるのを見張ってたりとか

イチゴがない!
あいつのが大きい!
と、喧嘩を始めるのとか、

その余裕のなさ加減があることで

楽しむために作っている時間なはずなのに

イライラして怒っちゃって

とんでもなく、それは悲しいことだった。



そしてもっと思い出すと

わたしの父親があんなにゆったりと、娘を膝に乗せたりして、バースデーを祝うシチュエーションを整えることのできる人ではなくって

それは、父親の育った環境で

そんな体験を与えられたことがないからであって

だって兄弟で一本の卵焼きを取り合って食べていたのだから

与えられてないから、出来ないだけなんですよね。



そして、わたしは

ケーキは与えられていましたけど

今日ハワイで見たあんな父娘みたいな愛のまっすぐゆるりと流れる時間は

与えられたことがなくって



そしてわたしは息子たちに

やっと最近、こんな風な愛のまっすぐとしたゆるりとした時間を与えられるようになってきたのですけど



父から娘へ、そしてその息子たちへの愛の循環は、少しずつ少しずつ良くなってきている。





そこで思うのは

人は豊かでないと与えられないんだなってこと。


その豊かさはお金だけでなく

でも、お金は確実に安心できる環境にあることが条件で

そこに愛も人間関係も含めて

豊かでないと無理なんです。



そしてだいたい

お金の豊かさと

愛の豊かさは

比例していることが多い。



お金があるから

人は人に優しくなれるのか?

人に優しいから

お金の流れ込みが多いのか?



どちらからでもアプローチできると思いますが

とにかく、自分がみじめで飢えている時に

絶対になにも与えることなんてできないんだという事実を。



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愛を知らない中で精一杯の愛をくれていた父のこと

愛を知らない中で精一杯の愛を流していたつもりの夫やわたしのこと


だれも人は、殴ったり、傷つけたり、したくてしている人はいなくって

その欠如さえ埋まったら

誰だってあの豊かさの象徴のような父娘になれるはずだと思ったんです。



そうあれない悲しさが

わたしの周りから1つでも減ったらいいなって改めて思いました。



まずは自分を満たすことから。

最初はそれをやり始めると、奪うんですけどね。



いつまでも奪わないでよいメソッドをスクールでは教え、徹底的に実践できるようサポートしています。



早いとこ、自分くらい埋めれるように自立しちゃって

自然に流れ出るもので

人に何かを与えられる

そんな豊かな人にみんなでなりたいですね。



だからね、表面上のことを見ないでくださいね。

例えば、わたしはみんねをハワイに誘ってますが

ハワイに来れたら満たされるのではないんです。

お洋服を買えば、満たされるのではないんです。


そんなところより

もっと日々の小さな不足感を

日々の小さな工夫で

埋められることの方が大きいです。



そしてそれは自分で出来ますし

何度も言いますが

自分でしか出来ません。



そこすっ飛ばすと

自分を満たすために周りから奪う時間が

とても長引きます。



本当の豊かさを手に入れましょうね。



豊かなら

人は絶対に奪わないと思います。


それは人の本質であるはずだと

楽園のようなホテルにいると感じます。



眠れない夜に


書いてみました。