今朝書いたブログ記事

これ、うちの夫婦の場合に限らず

きっと、これからのみんなが幸せになるってところの

目標は降伏なのは間違いないと思っていて。



それは、きっと時代的に「サヌキ」が過ぎていたからこその

降伏が大事ってことなんですけど


本当にいつもここが伝わりにくくてもどかしいのは


なんでもかんでも降伏すりゃ~いいってことじゃないのですよ。



サヌキが過ぎるということは

※サヌキとアワのDVDを見てもらえていない人のために書きますと


サヌキ(男性性)の質に

・勝ち負けにこだわる

・一番が好き

・成果・業績・見えるものが大事

・大きいがいい


それは、ひっくるめて言うと、「結果主義」という質があるんですが

これが過ぎていたため

幸せの基準が

・お金のあること

・わかりやすい成果を出していること

・成績がいいこと

・名のある会社に入ること

・肩書きがあること


などなど、と、目に見えることだけを求めがちだったというところに、行き過ぎていたんですよね。


それを指して、「サヌキが過ぎていた」と表現しています。



逆に、アワ(女性性)の質には

・あり方

・調和

・みんな良かれ

みたいな質があり、それをひっくるめると「プロセスが大事」ということなんですけど

そこが、おろそかにされがちだったことから

幸せを求めても、幸せになれないってところに陥ってたと思うんです。



だから、成功者が自殺したり

お金はあるのに家族は仲違いとかね

そういうことが起きてたんですね。




特に、パートナーシップで言うと

愛し合って、結婚したはずなのに

心の底のそこで

「パートナーに負けたくない」

があったりして、そこで悩んでいる人、本当に多いのです。


これ、気が付くと

まじで「どこと戦ってんの?」って思えるはずなのに

でも、負けられない。



それは、どうしてかって

「自己重要感」を感じるために

自分よりできない人を作らなきゃいけないシステムが働いていて、そうなるんです。



そこで、わたしは「降伏」の大切さを知りました。


戦うべき場所じゃないのに、戦っていると幸せになれないと。



でもわたしが降伏してても、

パートナーが降伏できていないと、本質的に幸せを感じられないのだと思う。


そこは二人でひとつだから。



うちの場合の現在は


夫は朝から晩まで働いてる。

そして主なお金の入口であるわたしは

朝から生産的なことと言えば、洗濯をしたくらいで

あとはブログ書いて、洋服のコーディネート考えて、紅茶飲んで、ごろごろしてる。



宇宙はそんなわたしを通して、お金を注ぎ込んでくれている。



ひと昔前の感覚で言えば、こんな矛盾的なことあっていいの?って感じです。



こんなの、ワリにあわないよ!ってなりますよね。



だから降伏しちゃわないと、幸せになれない。




自分を愛している人を通して、お金という愛を注がれるシステムだったみたい。


それに気づいて、動いた人から

豊かになっていく。




見た目のこと

結果のこと

業績のこと

なにをしたか?



だけではなく

(それも大事)

(だけど)



どう人としてあるか?

を無視していると、うまくいかない。

※大好きな歌 AKBの365日の紙ヒコーキもそこを歌ってますね♪


人生は紙ヒコーキ 願い乗せて 飛んでいくよ~

風の中を力の限り  ただ進むだけ

その距離を競うより

どう飛んだか?

どこを飛んだのか?

それが一番大切なんだ~

さあ、心のままに~  365日~ 







そして、ここで間違いそうになるのは

今度、アワに一気に傾きすぎて

「目に見えるものなんて、価値がない」

「結果じゃなく、あり方でしょーよ。ガツガツしてんじゃないわ。」

なんてところに行き過ぎると、またまた幸せから遠のくのだと思います。




わたしで言えば

「あること」の幸せに満たされはじめたら

今度、「不足」を感じてる自分にショックを受けてたでしょ?
↑これ、小菅くんに指摘されて、そうだー!と思った^^ ありがとう。



そう、「不足」もあっていい。


「もっともっと」

それがサヌキ。


ただ「もっともっと」に飲まれすぎて

「あり方」を忘れてきたのが、現代までの不幸の種だったから。



「あり方」がまず、根っこで

そこさえしっかり保っていれば

「もっともっと」とサヌキが伸びようとするのは、これ、自然。








わたしのこないだの苦しみは、ここを否定しようとしていたことも、原因だわ。


「もっともっと」はあっていい。


すべてはバランスだから。





わたしが苦しかったのは、

誰かを認めないことで

自己重要感を満たそうとしていた

その「ケチなあり方」にだったんだもの。


戦わなくていいところと、戦っている自分に絶望してました。


事務局長には言われてました。

水と油ほど違うと。

聖子ちゃんと百恵ちゃんだと。
※ちなみにわたしは百恵ちゃんらしいのですが、小学生のころ、聖子ちゃんファンだったのヽ(;▽;)ノ



聖子ちゃんになりたいーって悶えてたの。

それ言われても、頭ではわかるのに、

戦おうとしてる自分に絶望してたのです。



誰かを認めたら

自分が減るという幻想から

最後の最後の砦になってくれていたある人を通して



感情を感じきって

抜けたって話でした。



自分のホロスコープ知って

やっぱりお仕事の面では

「もっともっと」も抱いていこうと思えたもの。



アワを満たしつつの

サヌキは認めてあげよう。


わたしは百恵ちゃんかもしれないけど

聖子ちゃんになることをあきらめなくってもいいってこと。


もちろん、百恵ちゃんであることを

ちゃんと受け取れていなかったら

聖子ちゃんになれることがあったとしても

また別の不足を探して

わたしはいつまでも不幸でいつづける。



サヌキ



アワ



バランスこそ、命だな。


どちらも大事。

ふたつでひとつ。





また、ある人が違う側面でわたしのホロスコープを読んでくださっているので

それもこちらでご紹介しまーす♡