昨夕は久しぶりの長距離ドライブをしていて
なんかアドレナリン大放出しながら運転していたときに
ふと
思ったことなんですよね~。
みんな、殊更に「さげまん」を嫌うけど
もちろん、わたしも「さげまん時代」には戻りたくもないけど
今ね、わたしがプライベートでさらなる「あげまん」に上昇しようとしている中で
その意気込みを下支えしてくれているのが
実は「さげまん時代」にあったということがわかったの。
わたしが自分を大切にするために、時に「怖いもの知らず」な行動を取ることがあるんですけど
なぜ、なにも怖くないか?というと、
散々なさげまん時代があったからなんですよね。
まず貧乏が怖くない。
ハンバーグを作るのに豆腐をしこたま混ぜることも
材料がなかったら大根だけのカレーを作ることも
どうしても、の時にはプロミスのATMの使い方まで知ってる^^
なんなら、畑仕事、田んぼ仕事も経験がある。
ひとりで生活を廻すことも出来る。
電球だって変えれるし
電気ノコギリだって使えるし
薪割りだって出来る。
子どもたちとの生活を廻しながら、パン屋をしていたんだもの。
重いものはせっかく産んだ5人の息子に頼めるし^^
ざっとしか書いてませんが
わたしの超さげまん時代
つまり夫に全然頼ることをせず、自分でなにごともやっていた時代
あれがあるからこそ、勝負をかけたいとき
自分の心の声を遂行したいとき
なにを失ってでも自分を貫きたいとき
の、下支えが出来ていたんだな~と思ったんです。
そんな気づきがあったらね
あ!そうだ!
と思ったのが
あげまん
と
さげまん
も、陰と陽なはずで。
片方があるから、片方が生きる関係性。
片方の中に、片方が包括されている関係性。
そう思ったの。
つまり、あげまんになりたさの余りに
さげまんを怖がってもしょうがないってこと。
あげまんの中にはさげまんが包まれているんだよ(笑)
つまりは
自分の中にある(自分の人生の一時期にあった)さげまん(時代)を
愛してこそ
あげまんになれるってこと。
そして今、どう考えても自分はさげまんだと思えてしょうがない人の中にも
「あげまん」はあること。
その小さな芽を育てていけばいいってこと
楽しいね。
わたしは実際そうです。
今のわたしを支えてくれているのは、まさに「さげまん時代」のわたし。
なんか嬉しくて泣けてくる。
【ちゃみイベント情報】
あげまん道マスター シェアセミナー
ちゃみも一時間くらい参加しますね♪
◆3月6日
詳細こちら
あげまん道スクール生のパートナーシップの話&ちゃみトーク
あげまん学園 ちゃみ時間 @岐阜
◆3月12日
詳細こちら
波動高い場所であなたの未来のお話をしましょ♪
あげまん道的 姫体験&宇宙会議 @岐阜
◆3月12~13日
詳細こちら